緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 13

7.「ごちゃごちゃ言ってんじゃねーよ」アガタは迫力ある顔にものを言わせた(1)

 クマ達はその日、機関誌 "DANDY" 最終号の編集の為、試験休み中ではあったが登校した。一番最初に教室

に入ったクマは、女子が数名いるのを見て一瞬驚いたが、すぐに『クラス合宿の打ち合わせだな』納得しな

がら、何か世間話でもしようか迷っているうちに、彼女達に背を向けて座っている自分に、相変わらずの不甲

斐なさを感じた。2-4インケングループは、彼の侵入を拒んでいるかのように、冷たい雰囲気を辺りに漂わ

せていたのだ。ところが、彼がおもむろにボールペン原紙を取り出そうとした時、ナッパを始めニッカ、ホナ

ミといった連中が突然、彼に詰め寄って来た。クマは差し迫った危機感に生唾を飲み込んだ。『何だ、何だ、

俺は別に何も悪い事はしていないもんね・・・』

 「あの~、歌の伴奏はどうなっているんですか?」例のアグネスチャンの歌声をトレブル目一杯上げたよう

な声だ。クマは適当な言葉が見つからず、目を少し大きく開けて『どういう意味?』といった表情を作った。

ナッパは優しい微笑みを浮かべて、「コンサートの時、伴奏を付けて下さるんですか?」と改まって言った。

「えっ? あれ~、そちらで用意されるんじゃないんですか? だったらこちらでやらして頂いてもかまいま

せんが。」クマは緊張すると妙な敬語で喋る癖がある。『それにしても、すべてこちらの思惑通り、なんと

我が計算の鋭さ!』彼は思わず笑えて来ちゃってしまいそうな顔を必死にこらえ「それじゃあ伴奏の練習し

ときます。」と上擦った声で了解した。

 インケンの一団が去って、アガタが例のボーカルアンプを抱えてやって来た。クマはすかさずこの吉報を

伝える。彼は返事の代わりに、手で顎を摩りながら得意のヨダレを啜る音で、それに答えたのだった。

 ”DANDY" の編集を終え、午後からセンヌキの家に集まったクマ達「深沢うたたね団」は、ナッパのバック

をつつがなく務める為、急遽歌謡バンドに変身。尚、アガタは何とか用事にかこつけ、またしても不参加。

日頃、歌謡曲や和製フォークソングを軽蔑しているクマは、何の抵抗もなくAm-Dm-F-G-Eといった類の単純

コード進行を受け入れ、まだ風邪でひっくり返っているアグリーの居ぬ間に、すべてのパートを決め、彼の

出る幕を無くしてしまった。『だけど奴め、きっと出しゃばってくるぞ』とひとり呟いたクマの脳裏に、突然

名案が閃いた。

「ところで諸君!」彼は自信溢れる声で静かに言った。「僕等はこうして練習し、ある程度纏まってきた。

しかし、より完璧を期す為、歌と合わせてみる必要があるのではないか? ついては明日、ナッパをここに

呼んで合同練習したいと思う。」

センヌキは『お前の魂胆は見えてるぞ』という顔つきで、しかし嬉しそうに「それはいい考えだ!」と叫び、

カメ達はヤレヤレといった感じで了承した。

 その日、家に帰ったクマは早速ナッパに電話を架け、帰宅途中バスの中で考え抜いた言葉を機関銃のように

まくし立て、合同練習の必要性を語った。

「だから、やっぱり、やっておく必要があると思うんですが・・・」

「はい、ちょっと腹ブーにも相談してみます。」ナッパは相変わらずアグネスチャンの歌声のピッチを上げた

ような声で答えた。クマにとっては無論、一部共演する腹山などどうでもいい存在だったが、しかしあから

さまにそう言う訳にもいかず、「腹山さんの都合が悪くても、一人でも来て下さいね。」と念をおして電話を

切った。

暫くしてナッパから返事があった。「腹山さんは来れないって・・・」 『だからどうしたってんだ! 俺は

腹山の都合なんか聞いちゃあいないんだよ!』と心の中で叫びながら、「それは残念ですね。」とクマは言

た。「それでナッパさんはどうするんですか?」、「はい、ええ~っと、一応お願いしようかなって思って

いるんですけれども。」

 結局、彼女は翌日、クラス合宿の打ち合わせで登校するので、それが終わったらセンヌキの家に電話を入

れ、誰かが迎えに行くと決まった。

思えば "DANDY" の記事で彼女に泣かれてから、1か月も経っていない。アガタの言った通り、事態は進展

したのだ。遅れ馳せながら訪れた所謂「青春」に、クマは大声を張り上げたくなるような歓喜を感じていた。

しかし、さすがに夕日に向かって走り出しはしなかった。        

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 12

6.「月の法善寺横丁」???

 4月から高校3年に進級することを控え、卒業後の進路に合わせてクラスの振り分けをする参考の為、学校

側による「進学」「就職」、そして「進学組」は国公立大学、私立大四年制、短大のそれぞれ理系、文系別の

個人調査が行われた。出来れば早く数学と縁を切りたいと切望していたクマとアグリーは、迷わず、とはいえ

学費の出費の問題も関係するので、無論親と相談の上、私大文系を選択。当時の相場は、受験料1万円、学費

年間25~30万円位、その他入学金として数十万円だった。

 センヌキは突然「東大に入りたい。」と宣言、国立文系を選んだ。その理由はといえば、「とにかく東大に

入りさえすれば、将来一流企業の何処かには就職出来るはずだから、大学時代一番遊べるのは何と言っても、

やっぱり東大だ。」という彼らしく世の中を舐めた現実的なものだったが、いくら大学教授の息子とはいえ、

東大に合格すること自体に現実性がないことには、気付いていないようだった。

 女子の方では国立大学を目指すメガネユキコ以外、殆ど私立大学文系を選んだ。ナッパはどうも女子短大

志望らしかった。『・・・という事は3年でも、ナッパと同じクラスになる可能性があるな』クマとアグリー

は同じ事を考えたが、互いに口に出すことは無かった。その頃将来をきっちり見据えていたのはそれこそ進学

しない青山純くらいだけだったかも知れない。

 さてフェアウェル・コンサートの方だが、風邪気味が続いているという理由で出演を保留にしていたナッパ

は、ついに英断を下したのか出演が決定した。一応『原ブー』こと腹山という同クラスの女子と一部共演との

事であった。とにかくクマやアグリーにしてみれば、大ウエルカムだったが、日頃あまり目立ちたがり屋で

ない彼女を思うと、一同「へ~え!?」という印象の方が強かった。演目は、小坂明子『あなた』、チェリッ

シュ『若草の髪飾り』、お約束のアグネスチャン『草原の輝き』、そして何故か理解不能な藤島桓夫『月の

法善寺丁』。伴奏は例のムーがやるものと思われたが、クマはまさかの場合に備え、彼女が届け出た歌の

演奏を、「うたたね団」用にアレンジし、人知れず練習を開始した。そして自分のギターやベースに合わ

歌う彼女の姿を想像し、しばらくの間うっとりしていたのであった。

 いつになく難問が多かった魔の三学期末試験を何とか乗り越え、いざ I,S&Nも本格的に練習をという時、

アグリーが風邪をひき寝込んでしまった。その間にクマは、アガタと共にアガタの中学の同級生で、今は大工

をやっているというシュウという男に、コンサートで使うボーカルアンプを借りる為、彼の家を訪ねた。

シュウはバギーのGパンをはいて、ベッドの上に寝転がり煙草を吹かしていた。リーゼント頭の見るからに

ツッパリ男である。そういう人物、空間に場慣れしていないクマはすっかり縮み上がって帰ってきた。アンプ

は気前よく借してもらえたのだが、雨が降り出して来た為、数日内にアガタが学校まで運んでくれる事に

なった。

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 11

5.「青純がいるのに」皆そう思った

 実質二ヵ月位しかない第三学期は、瞬く間に過ぎた。その間クマは、オリジナル全8曲からなるソロ・アル

バムのテープ第二弾を、極一部の学友諸君に対し緊急発表し、アグリーも新曲を2曲作った。アグリーは20

世紀最大のメロディーメーカーを目指すだけあって、結構キャッチーなメロディーラインを得意としていた。

それはクマも認めざるを得ないところで、二人の関係は音楽を通じて繋がっていた、と言っても過言ではな

かった。アグリーはクマの演奏技術に一目おいていた。かって高校1年当初クマが学校に愛用のギター(S.

ヤイリYD-304)を持って行き、休み時間、おもむろに取り出すと5~6名の男子が集まる中、P.サイモンの

「休戦記念日」というDチューニング(DADF#AD)を使った曲を弾くと、一人「サイモン買ったの?」と

聞く男があり、「うん」と答えた。それがクマとアグリーの最初の会話だった。

 アグリーの音楽ルーツはビートルズに始まり、ボブ・ディランサイモン&ガーファンクルサンタナ

カーペンターズ、ブレッド、シールズ&クロフツetc.と幅広く、レコードには惜しみなく小遣いをつぎ込んで

いた。一方クマも一応は何でも聴いていたが、サイモン&ガーファンクルにのめり込んだ後、C,S,N&Yにハマ

り、広く浅くよりは狭く深い、楽器、演奏、ハーモニーといった実技系に興味があった。二人に共通していた

のは、洋楽好きで当時流行っていた日本のフォークソングなどは、加藤和彦等一部を除いて殆ど聞かない、

いう点であったが、それに引き換えセンヌキ吉田拓郎が神様で、そこがクマやアグリーから「オマエは

ボブ・ディランを聴いた事が無いのか?」とバカにされる要因の一つでもあった。

 三学期になると「深沢うたたね団」自体、いつの間にかバンドとなっており、I,S&Nはアコースティック

主体、「うたたね団」はエレキを使ったロック色の強いもの、といった一応の色分けがなされていた。

機関誌 "DANDY" の音楽情報欄は次のように伝えている。

    1月15日付ローリング石ころ誌が伝えたところによると、

    ロックンロールを主体とした新グループが結成された。

    名前は「深沢うたたね団」

    メンバーはギター(クマ、アグリー、カメ)、ベース(センヌキ)

    パーカッション(トシキ)、リードギター(アガタ)、ボーカル(ダンディー

アガタはクリームやツェッペリンが好きと公言していたが、クマは一度「天国への階段」をコピーしてくれと

頼まれ、TAB譜の無い時代、生ギターの部分だけ耳コピで五線譜に書いて渡したことがあった。しかし誰も

アガタのギタープレイを聴いた者はおらず、誰も期待していない、かなり怪しいリード・ギタリストだった。

それはともかくメンバーを見て、誰もが思った『ドラムスは?』

 ロックバンドにとってドラムが無い、という事は致命的欠陥である。しかし、いないものはいないのだ。

いや、厳密に言えばそれは嘘になる。彼等のクラスには青山 純という男がいた。小柄でいつも濃紺系の地味

な服装が多かったが、眉毛がキリッとした所謂ハンサムボーイで、それでいて女の子が夢中になっていると

う噂はなかった。クマ達はそれ程親しくしておらず、ただ、ヤマハの音楽スクールに通っている程度の情報

しか持っていなかったが、何かの時、青純がクマに「クロスビーとかやってるの?」聞いた事があった。クマ

は『うん』と頷きながら「今、何か活動してるの?」と尋ねると「屋上ビアガーデンとかで頼まれて叩いて

いる位。」と自嘲気味に笑った。それでも高校2年生で既にセミプロであり、クマ達オチャラケ・バンドと

遊んでいる暇など無かったのだった。クマもさすがに「一緒にやろう」とは言い出せなかった。その後、彼が

日本のミュージックシーンで一流ドラマーの一人になるとは誰も想像だにしていなかった。<続>

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 10

4.「許せない!」クマはジェラシーの炎に身を焦がした(2)

 アグリーによる投稿に対する『夢診断』は次のように書かれていた。

    天国の花園より夢見る少女へ・・・

    若い日々の一つの愛は、あなたを今まで行ったことの無い所へ連れていってくれる。

    愛を与える為愛に生き、愛に生きる為、あなたは愛の化身となる。

    夢は眠りの為にあり、愛は涙を流すことの為に・・・。

    そして愛とは愛されたいと願うこと。

    恐れと涙の伴わない愛は真の愛ではない。

                       with Love           DAY DREAMER

『何なのだ、これは!』クマは激しく怒った。『何が with Love だ! 何処が診断だ! これは公私混同だ! 

だいたいやり方がインケンじゃないか!』その上アグリーが、その投稿を自分の家に持って帰ってしまった

も気に入らなかった。クマは決して変態趣味ではないが、それがもしナッパの物であるとしら、彼はきっと

彼女がかんだ鼻紙でも、他人が自分の物にすることを許せなかったであろう。しかも今度の春休みに、再び

クラス合宿が行われることとなり、その責任者の中にナッパとアグリーも入っていて、放課後などに時折数名

で集まり、楽しそうに打ち合わせしているのだ。『許せない!』クマは燃え盛るジェラシーの炎に身を焦が

していた。

 そこで彼は「深沢うたたね団」のトシキを誘い、あるイタズラを実行することにした。その日クマは家に

帰ると、例の便箋に書かれてあるナッパの字を小一時間睨み続け、彼女の筆跡をほぼ完璧にマスターした。

そして『夢診断』に再び彼女が投稿したかのように見せる為、時間も空間も無視したあたかも本当の夢の

ような適当な文章を書いて、翌日こっそりと投書箱に入れておいた。

 はたして、それを最初に見つけたのは、またしてもアグリーだった。彼はクマとトシキが観察しているとも

知らず、ちらっとその紙片を見るや再びポケットにねじ込み、編集部に届けるどころか家に持って帰って

しまった。『ヤツめ、この間の紙と見比べて、筆跡を調べる気だな』クマとトシキは顔を見合わせてほくそ

笑んだ。

 ところが数日経ってもアグリーは一向にそれを持って来ようとしない。"DANDY" の編集の日まであまり

日数が無かった。『アグリーは前回に勝る、超弩級の診断を考えあぐねているのか?』それとなく探りに出た

トシキに何も知らないアグリーは「投稿があったけど、ナッパのものではないようだ。」と漏らした。最初

クマは自分が作文した「夢」をアグリーがナッパのものと勘違し、得意になっているのを見、種明しをして

皆で大いに笑ってやるつもりだった。しかしトシキから報告を聞かされて、再び腹を立ててしまった。

『アイツは何の権限をもって、ナッパ以外の投稿を勝手にボツにするのか!』しかしそれと同時に、あまり

にも子供じみたイタズラをしたという自責の念にもかられたのであった。

 そして木曜日の放課後、いつものように "DANDY" の編集が始められると、アグリーは多少悪びれた態度で

皺くちゃになったクマの書いた「夢」を持ってきた。アグリーが去った後、その紙片はクマの手の中で引き

裂かれていた。<続>

                

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 9

4.「許せない!」クマはジェラシーの炎に身を焦がした(1)

 フェアウェル・コンサート出演依頼に対するナッパからの返事は直接届けられず、教室の壁にアガタが何処

からかくすねてきて取り付けた "DANDY" の投書箱に入れられていた。それを最初に取り出したのは、何故か

まだ正式に編集部員ではなかったアグリーであったが、その時彼は返事が入った封筒と共にもう一つ、折り

たたんだ紙片を見つけた。それは前週から "DANDY" で始めた『夢診断』に寄せられた「夢」であった。

 『夢診断』とは言うまでもなくG.フロイトの著名書だが、編集部はクラスメイトから自分が見た「夢」を

募集し、勝手な分析を加え紙面に発表する、という触れ込みの企画であった、しかしもっともその頃、編集部

フロイトを読破した者はおらず、かろうじてクマが、E. フロムの『夢の精神分析ー忘れられた言語ー』を

読んだ程度だった。彼は「フロイト流はどうしても性的な部分に触れざる得なくなるから。」と知ったかぶ

を言った。

 アグリーはその紙片に素早く目を通し、直観でナッパのものだと思った。

              夢の中で 私は泣いていました

    夢の中に 誰か立っていました

    私は見上げて聞きました

    どうしてあなたは人を愛さないの

    その人は答えました

    君だって人を愛すのが恐いんじゃないか

    涙で霧がよけい濃くなりました

    悲しい夢でした

                  匿名希望

 いかにも少女趣味でちょっと気持が悪くなりそうな内容の紙片を、アグリーは汚いGパンのポケットにねじ

込み、取敢えず出演依頼の返事だけをダンディーやクマの所に持って行くことにした。然したる理由は無い。

唯、クマに直ぐ見せたくなかったのだ。一方、クマはクマでナッパがアグリーの所に直接返事を持って来たの

と思い、不快な気分になったが、しつこく問いただした結果そうではないと知って、ひとまず安心したの

だった。

 返事は見るからに少女趣味な便箋に、「風邪気味が続いている為、出演出来るかどうか判りません」と書い

てあり、本名の下にジョージ・マチバリと署名されていた。「どういう意味だい?」と尋ねたセンヌキに

ジョージ・ハリソンが好きなんだよ。」とクマは何の確証も無いことを言った。編集部で一応回し読みが済

むと「かわいい便箋で良かったね」とダンディーがクマにそれを渡してくれた。

 そしてその日の放課後 "DANDY" のガリ切りが始められると、アグリーは例の紙片を出してきて、そこに書

かれてある「夢」に対する診断を勝手に自分で書き始めた。診断はダンディーの担当と決まっていたが、人の

いい彼はアグリーのするままにさせている。クマはその紙片に興味津々なくせに、まるで平静を装い精一杯

クールな態度でそれを読んだ。『確かに見覚えのあるある筆跡だ』先程の便箋と見比べたが、しかしナッパの

ものであるという確信は無かった。『それにこの八行の夢は実際に見たというよりは、どちらかと言えば詩で

はないのか』彼は考えた。『もしこれを書いたのが本当にナッパならば、一体何が言いたいのだ。夢の中に

立っていた「その人」とは誰なのか。ナッパは「その人」のことを愛しているのか。そもそもこれを投書箱に

入れたという事は、誰かに読んで貰いたかったのか』そこまで考えてクマは急にバカバカしくなってきた。誰

これを書いたにせよ、単なる遊びで投稿したかも知れないのだ。それよりもアグリーの陰険なやり方の方が

問題である。だんだん腹が立ってきた彼は、その紙片に唯『匿名希望』とだけ書いてあるのを見て「自分の

名前も書かず匿名希望なんていうバカがいるかい。」とトゲトゲしく言った。するとアグリーは、まるで自分

に対する非難に答えるかのように「いいだろう!」と強く言い放ったのだった。

 結局その投稿がナッパのものであるという確証は何も無かった。しかしこれまで "DANDY" の編集に殆ど

関係してこなかったアグリーが、今回ナッパからのものらしき投稿がきて、急に出しゃばってきた事に対し、

クマは不愉快この上なかった。<続>

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 8

3. 「私は怒っています」ナッパは電話の向こうで泣いた (3)

   話が少し遠回りしたが、機関誌 "DANDY" の編集は毎週木曜日に行われていた事は既に述べた。そんなある

日、現国のテストの答案が返って来た。教員チカン清水は一人ずつ名前を呼んで教壇から返却するのだが、

ナッパの時何故か「今回クラスで一番。」と皆に聞かせるよう嬉しそうに言い放ったのだった。教室には一瞬

ある種の違和感が漂い、皆が沈黙した。別に妬みや羨望ではない。清水教員がそんな事を言うのが初めてだっ

たからだ。ナッパは恥ずかしそうに受け取って席に戻り、皆も我に返ったように拍手した。

 その日の "DANDY" 編集は紙面にまだ余白があったのが一番の理由だが、センヌキを中心にアガタ、クマの

三人で、「S教員との対話」と題し、チカン清水とナッパのスキャンダラスな関係、その他教員の糾弾や揶揄

などを書いた誰が読んでも冗談と判る記事をでっち上げた。翌日それを配布する前に、よせばいいのにナッパ

に、これまた冗談で『お詫び状』を編集部一同名で手渡したところ、その日の昼休み、先ず何の関係もない

アグリーが彼女から相当強い口調で抗議を受けた。彼は弁明の機会さえ与えらず、次の授業が体育だった為、

更衣室で殆ど半ベソをかきながら、何故無関係な自分が責められるのかとクマ達に当り散らした。彼にして

みれば恋敵であるクマのした事で、自分がナッパから嫌われてしまう訳にはいかなかったのだ。当事者である

三人は「所詮オタクの日頃の行いが悪いのよ。」などと訳の分からない事を言いながら、さほど気にも留めて

いなかった。

 はたしてクマが帰宅して、いつものようにギターの練習をしていると、ナッパから電話がかかってきた。

考えてみれば、ナッパから電話を貰うのはそれが初めての事だった、クマはその時気づくべきだったろう。

その第一声たるや、「私は怒っています。」ときた。電話のせいかアグネスチャンの歌声が少し笑いを抑えた

ような風に聞こえたクマは、てっきり冗談かと思い、ヤツもなかなかユーモアのある人間だなと感心しなが

ら、『しかし待てよ、わざわざ冗談を言う為に電話して来るということは、ひょっとして俺に気があるの

かな』と勝手な解釈をして、「本当に怒っているの。」と少し馴れ馴れしく訊いた。ところが暫く話している

うちに彼女はなんと泣き出してしまった。『本当に怒っている!・・・』

 クマは幼稚園からこのかた女の子を泣かした事など一度もなかった。どちらかと言えば自分が傷つき泣か

されてきた方が多い位なのだ。泣かした事がないのだから、泣いている、しかも憧れの女の子に対する『傾向

と対策』など知るはずもない。彼はビビった。

 涙声のまま「さよなら」と言って二年近くクマが恋焦がれ続けたマドンナのナッパは電話を切った。

『もしかしたら、これが最期の会話になってしまうのか?』

『あの優しい微笑みは、もう二度と振り向かないのか?』

『あの澄んだ瞳は、再び僕の影を映すことはないのか?』

『この想いを伝える事も出来ず、何も始まらないまま全ては終わってしまうのか?』

『幸せは訪れず、唯、去ってゆくだけなのか?』

彼はどんな場合でも、物事を冷静且つ詩的に考えてしまう癖がある。というのは嘘で、すっかり取り乱し、

慌てふためく自分を落ち着かせようと、手当たり次第に電話を架けまくった。彼等の反応は様々であった。

   センヌキ  「アホクサ」

   ダンディー 「それはナッパさんが君を好きだからだよぅ」

   アガタ   「これはチャンスだ、前よりも進展したぞ」

   アグリー  「アナタ、もう、おしまいよ」

 クマはアガタの答えが気に入った。そしてナッパに電話をし、出来うる限りの誠実さを装い、自分でも

バカバカしくなる程神妙に謝り、取敢えず機嫌を直して貰う事に成功した。

心の中に新たな期待が大きく膨らんでいくのを感じながら、しかし顔の締まりが無くなり、だらしなく微笑ん

でいることには、まるで気付いてはいなかった。  <続>

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 7

3. 「私は怒っています」ナッパは電話の向こうで泣いた (2)

 『五行 ①中国古来の哲理にいう、天地の間に循環流行して停息しない木・火・土・金・水の五つの元気。

万物組成の元素とする。』(広辞苑第六版より抜粋)

 

 現国の教員チカン清水は中間、期末といった定期試験の他、予告、抜き打ちのテスト以外、あまり教科書に

従わず生徒達に題目を指示しさかんに作文を書かせた。それは「現代国語の授業の最終目的は文章を書ける

ようになる事」という彼の持論によるものであり、授業中であったり宿題となった。 問題はその作文の評価

だった。試験やテストは100点満点方式で査定されたが、作文には漢字一文字が赤鉛筆で書かれているだけな

のだ。清水教員は手の内を明かさないし、生徒は面食らった。「俺は "金" だ。」と喜ぶ者あり、「私は "火"

だけど。」と訝しがる者もいる。やがて生徒達はカレンダーの曜日順ではないかと推測したが、更に回数を重

ね情報を収集すると "日” と "月”が無い事が判明し、皆で色々調べた結果、ようやく木火土金水の順に高評価

だという結論で落ち着いた。しかし教員は最後まで真実を語らずニヤニヤ薄ら笑いを浮かべるだけだった。

   因みにクマはいつも "木" だったが、一度だけ題目「旅」で授業中に書いた短文では違う評価を受けた。

 

               「青春の旅路」

                              2年4組  クマ

   まだ明けきらない紫色の空が遠く流れる雲の影を写して、

  目覚めた渡り鳥のように、一人また一人、今再び旅立つ。

  通り過ぎる思い出を置き去り、まだ見ぬ明日を追って、旅を続けるのは人の定め。

  傷ついた涙と失くした愛を、誰が忘れずにいられるだろうか。

  「さようなら」という言葉を何度も呟きながら、行ってしまう心。

  僕等はここまでの旅に疲れてしまった。

     新しい道には別の君が待っているかも知れない。そんなささやかな望みも

  いつか捨てる時が来て、その時また立ち止まって振り向く事が出来たら、

  きっと誰かが微笑みかけてくれるのを待っているだろう。

   今、青春という儚い道程が終わる頃、子供の夢は波に浚われる砂の城のように

  脆く崩れてゆく。

  忍び寄る冬の足音に外套の襟を立てて、ここに一つの別れと出会いがある、

   そしてまた新しい涙を求めて、旅は永遠に続く。

 

 数日後、クマの手元に戻ってきた原稿用紙には、「名文!」と二文字、赤鉛筆で書かれてあった。<続>