緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 11
5.「青純がいるのに」皆そう思った
実質二ヵ月位しかない第三学期は、瞬く間に過ぎた。その間クマは、オリジナル全8曲からなるソロ・アル
バムのテープ第二弾を、極一部の学友諸君に対し緊急発表し、アグリーも新曲を2曲作った。アグリーは20
世紀最大のメロディーメーカーを目指すだけあって、結構キャッチーなメロディーラインを得意としていた。
それはクマも認めざるを得ないところで、二人の関係は音楽を通じて繋がっていた、と言っても過言ではな
かった。アグリーはクマの演奏技術に一目おいていた。かって高校1年当初クマが学校に愛用のギター(S.
ヤイリYD-304)を持って行き、休み時間、おもむろに取り出すと5~6名の男子が集まる中、P.サイモンの
「休戦記念日」というDチューニング(DADF#AD)を使った曲を弾くと、一人「サイモン買ったの?」と
聞く男があり、「うん」と答えた。それがクマとアグリーの最初の会話だった。
アグリーの音楽ルーツはビートルズに始まり、ボブ・ディラン、サイモン&ガーファンクル、サンタナ、
カーペンターズ、ブレッド、シールズ&クロフツetc.と幅広く、レコードには惜しみなく小遣いをつぎ込んで
いた。一方クマも一応は何でも聴いていたが、サイモン&ガーファンクルにのめり込んだ後、C,S,N&Yにハマ
り、広く浅くよりは狭く深い、楽器、演奏、ハーモニーといった実技系に興味があった。二人に共通していた
のは、洋楽好きで当時流行っていた日本のフォークソングなどは、加藤和彦等一部を除いて殆ど聞かない、
という点であったが、それに引き換えセンヌキは吉田拓郎が神様で、そこがクマやアグリーから「オマエは
ボブ・ディランを聴いた事が無いのか?」とバカにされる要因の一つでもあった。
三学期になると「深沢うたたね団」自体、いつの間にかバンドとなっており、I,S&Nはアコースティック
主体、「うたたね団」はエレキを使ったロック色の強いもの、といった一応の色分けがなされていた。
機関誌 "DANDY" の音楽情報欄は次のように伝えている。
1月15日付ローリング石ころ誌が伝えたところによると、
ロックンロールを主体とした新グループが結成された。
名前は「深沢うたたね団」
メンバーはギター(クマ、アグリー、カメ)、ベース(センヌキ)
パーカッション(トシキ)、リードギター(アガタ)、ボーカル(ダンディー)
アガタはクリームやツェッペリンが好きと公言していたが、クマは一度「天国への階段」をコピーしてくれと
頼まれ、TAB譜の無い時代、生ギターの部分だけ耳コピで五線譜に書いて渡したことがあった。しかし誰も
アガタのギタープレイを聴いた者はおらず、誰も期待していない、かなり怪しいリード・ギタリストだった。
それはともかくメンバーを見て、誰もが思った『ドラムスは?』
ロックバンドにとってドラムが無い、という事は致命的欠陥である。しかし、いないものはいないのだ。
いや、厳密に言えばそれは嘘になる。彼等のクラスには青山 純という男がいた。小柄でいつも濃紺系の地味
な服装が多かったが、眉毛がキリッとした所謂ハンサムボーイで、それでいて女の子が夢中になっていると
いう噂はなかった。クマ達はそれ程親しくしておらず、ただ、ヤマハの音楽スクールに通っている程度の情報
しか持っていなかったが、何かの時、青純がクマに「クロスビーとかやってるの?」聞いた事があった。クマ
は『うん』と頷きながら「今、何か活動してるの?」と尋ねると「屋上ビアガーデンとかで頼まれて叩いて
いる位。」と自嘲気味に笑った。それでも高校2年生で既にセミプロであり、クマ達オチャラケ・バンドと
遊んでいる暇など無かったのだった。クマもさすがに「一緒にやろう」とは言い出せなかった。その後、彼が
日本のミュージックシーンで一流ドラマーの一人になるとは誰も想像だにしていなかった。<続>