2016-11-01から1ヶ月間の記事一覧

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 10

4.「許せない!」クマはジェラシーの炎に身を焦がした(2) アグリーによる投稿に対する『夢診断』は次のように書かれていた。 天国の花園より夢見る少女へ・・・ 若い日々の一つの愛は、あなたを今まで行ったことの無い所へ連れていってくれる。 愛を与…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 9

4.「許せない!」クマはジェラシーの炎に身を焦がした(1) フェアウェル・コンサート出演依頼に対するナッパからの返事は直接届けられず、教室の壁にアガタが何処 からかくすねてきて取り付けた "DANDY" の投書箱に入れられていた。それを最初に取り出し…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 8

3. 「私は怒っています」ナッパは電話の向こうで泣いた (3) 話が少し遠回りしたが、機関誌 "DANDY" の編集は毎週木曜日に行われていた事は既に述べた。そんなある 日、現国のテストの答案が返って来た。教員チカン清水は一人ずつ名前を呼んで教壇から返却す…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 7

3. 「私は怒っています」ナッパは電話の向こうで泣いた (2) 『五行 ①中国古来の哲理にいう、天地の間に循環流行して停息しない木・火・土・金・水の五つの元気。 万物組成の元素とする。』(広辞苑第六版より抜粋) 現国の教員チカン清水は中間、期末といっ…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 6

3. 「私は怒っています」ナッパは電話の向こうで泣いた (1) センヌキは安美津子ことメガネユキコにフェアウェル・コンサート出演を依頼したが、あっさり断ら れてしまった。彼女は学級委員でそこそこ成績も良く、ズケズケものも言ったが、傲慢なところは無 …

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 5

2.「僕達は週刊DANDYを発行します」編集部一同が宣言した (2) 一方コンサートの方は、「2-4 フェアウェル・コンサート」と名をうって "DANDY" の紙面を借り、 PRが始められた。 「ウッドストック、バングラデシュと並ぶ愛と平和と音楽の祭典」とは、無論…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 4

2.「僕達は週刊DANDYを発行します」編集部一同が宣言した 1974年1月、”軍艦島”と呼ばれる高島炭鉱閉山のニュースが流れていた。 それとは全く関係無く、深沢 全共闘兼新聞委員のアガタの発案のもと、機関誌がクラス内のみ発行される事になった。 全共闘と言…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 3

1.「コンサートやらないか」アグリーが言い出した (3) アグリーのソロアルバム制作は、手持ちの作品がまだ残っていたが、開始時に時間を浪費し過ぎた為、結局 4曲録音して取敢えず終了した。 残りは後にアグリーとセンヌキ二人がベーストラックを作り、ア…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 2

1.「コンサートやらないか」アグリーが言い出した (2) レコーディングごっこであるからして、スタジオでやるわけではない。その頃の彼等の小遣いは、 学用品を除き月々LPレコード1枚とギター弦を買う位が精一杯で、レンタルスタジオを借りる余裕 など無か…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 1

1.「コンサートやらないか」アグリーが言い出した (1) 国道246号線、通称玉川通りは駒沢を過ぎると多摩川に向かってだらだら坂が続く。その途中、 深沢八丁目のバス停から駒沢通りへ抜ける桜並木の道沿いに東京都立深沢高校はあった。 創立されてから10年…