緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)40

20.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(2)

 

 そして1974年4月、部員数わずか11名の池田高校野球部が、春の甲子園で準優

勝した事を称賛する余韻がまだ残る頃、クマはたった一人で新たな戦いを始めていた。

 高校3年になって遅れ馳せながら大学受験に目覚めた彼は、卒業に必要な必修科目と

単位数を取得する受業のみ選択し、それにより生じる自由裁量の時間を自宅での勉強に

あてる事とした。この大胆な決定は音楽仲間であったアグリーやセンヌキを始め周囲の

者たちを驚かせたが、因数分解くらいでしか得点が望めない数学と早く縁を切りたいと

切望していたクマにとっては、当然の結論であった。

 とにかく現役で大学に合格すること、それがクマが自分に課した目標だったが、勿論

大学ならば何処でも良いという訳ではない。そこまで割り切るならば、受験勉強などせ

ずとも行けるところは幾らでもある。しかし、そのような進学を親が認めてくれる筈が

無い事は明白であり、嘲笑されない程度の見栄えのいい大学生になる為に、クマは少し

でも偏差値を上げる必要があったのだ。

 「それにしても」、彼はふと考える、「何故自分はそんなに現役に拘るのか」。親の

経済的負担を軽減する、とは聞こえがいいが、そんな事はこれっぽっちも考えていな

い。

 彼にとって大学の存在理由とは、何の楽しみも無い社会人になる前に与えられる執行猶

予。漂流した十五人の少年達の二年間とは違い、四年間大人としての権利は享受するも

のの好きな事が出来て、それでいてある程度身分は保証される。それを手に入れる為

に、ただでさえ息が詰まりそうな現在の生活の延長線を、更に延ばす心算は毛頭なかっ

たのである。

 そうやって授業を最小限に削った結果、どうしても避けられない現国と英語 (文法) が

ある月曜と木曜以外、午前中で彼にとっての学校は終了し、その日も夜に備え眠る為に

食事も摂らず昼過ぎには校門を出て、これまで幾つものドラマがあった深沢八丁目のバ

ス停まで続く桜並木を歩いていた。

 殆ど人通りの無いの道を一人歩きながら、「ところで、この通りに名前はついている

のだろうか」とクマはいつものようにあまり意味の無いことを考えながら、ふと時間を

遡った。

 

 「劇、大丈夫かしら」ナッパは額の汗を拭きながら言った。1973年、夏休みも間

近な7月の初めのとても暑い日だった。彼女は赤い水玉模様のシャツにジーパンをはい

ていた。9月末にある文化祭で、彼等のクラスの出し物は演劇、菊池寛の「父帰る

だった。1年生の時も同じメンバーのクラスで、ディケンズの「クリスマス・キャロ

ル」を上演したが、手分けして作った脚本がメチャクチャだったせいもあり、劇自体纏

まりを欠けたとの反省を踏まえ、2年になって最初から戯曲を選んだのである。ただ題

名は「蕩父だって帰ってくる」というこの物語の原題に変更していた。

 クマは何故か文化祭と言えば演劇と決めていて、クラスの責任者になると多数の反対

を抑え込んで一部の賛同者と実行までこぎつけたのだった。

「多分上手くいくと思うよ。割と皆乗って来たから。」彼は答えた。

「そうね、今日の練習、前よりも一段と熱がこもっていたみたい。ダンディー君の賢一

郎、少し怖かったんだもん。」そう言ってナッパは思い出し笑いをした。

彼女もクマが無理やり引き込んだ文化祭の責任者の一人だった。

 真夏の太陽は容赦なく照り付け、二人は学校からバス停へ続く、桜並木を歩いて行っ

た。彼女は何度も汗を拭い、薄手のシャツから下着がくっきりと透けて見えていた。

 

 バス停まではまだ距離がある。思い出を辿るには十分な時間だ。クマはふと遠ざかる

校舎を振り返り、ナッパは今どうしているのだろうと考えていた。

 

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緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)39

 19.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)1. 予告

 

 ずっとこのブログの事が気になっていた。幾つかの下書きも残っている。それでも更

新に至らなかったのは単に怠慢と言うよりも、新たに始めた「風のかたみの日記」とい

う短編を主体とした別のブログとの差別化が困難になったからと思われる。

 勿論、私は文筆を生業としている訳では無く、一連の活動については、これまでも単

なるボケ防止と散々公言してきたが、素人には素人なりのプライドや拘りがあり、少し

でも自分の理想とするものに近づける為の努力を惜しむ積りも無い。ただ、主題の陳腐

化、マンネリ、同様の文体、類似する表現、内容のウィキペディア化など、次第に違和

感を覚える事が増えて来たのだ。特に全てを書き終え、念のためウィキディアをチェッ

クすると、まるで自分がそれを見て書いたと思われるような内容が記述されており、そ

れが最大の落胆に繋がった。どうすればこのような事態を避け、このブログを立ち上げ

た頃の新鮮な気持ちを取り戻す事が出来るのだろうか。

 さて、そろそろ本題に移りたい。答えは意外なところにあった。かって私が書いた

「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 5 にその布石が次のように打ってあったのだ。

“・・・ムーはヒナコとかいう1組の女子と一緒にやるとのことであった。 このムーと

ヒナコ(HIM)二人と、アグリー、クマの四人はグループを組んで、その7か月後、世

田谷区民会館のステージ立つことになるが、この物語ではそれには触れない・・・。”

 そう、私はこの7か月後について書けばいいのだ。そうすれば、あの懐かしいクマや

アグリー、ナッパといった面々にまた会うことができる。例え同じ文体でマンエネリで

あろうとそれでも構わないのである。何故ならこれは誰も知らない物語なのだから。

 

  この予告を書くだけで既に三日を要してしまった。前途多難である事は充分承知して

いる。しかし私が新しい世界へ一歩踏み出した事は間違いない。至福の輝きか或いは更

なる昏冥に向かって。

  

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緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 後書き

 1975年夏、私はこの物語を書いた。きっかけは一浪中のメガネユキコ女史からフェア

ウェル・コンサートのテープの追加注文の連絡を受け、理由を訊けば、当時同級生だっ

た女子が入院治療中なので見舞いに持って行きたいと言う。私はかろうじて大学生に

なっており、しかも夏休み中バイトもせず家でブラブラしていたので、二つ返事で了解

した。そしてテープをダビングしている時、ふと、これだけでは芸がないなと考え、

コンサートの裏話を書いてみようと決めた。高校の頃の日記、機関誌ダンディー、後は

自分の記憶を辿って、およそ一週間ででっち上げ、ノートに直筆だった為、わざわざ

大学の図書館に行きコピーを取った。現在のようにコンビニも無い時代である。

無いと言えばPC、携帯電話といった今ではあって当然の物も存在すらしていなかった

為、コミュニケーションは直接会うか、家の固定電話か手紙に限られていた。

 ともあれ、時代は流れこうして衆人の目に駄文を晒すことに抵抗を感じなくなる歳

になり、感慨深いものがある。本当は写真等もULしたかったが、被写体となった人物

の了承を取ろうにも、連絡先が判らず断念した。ただ文中に多く登場する敵役的存在

のアグリー氏には電話で「貴方の事をボロクソに書いているよ。」と言うと、笑って

承諾してくれた。尚、この物語は限りなく現実に近いフィクションであることを申し

添える。

 

 このブログの合計アクセス数は今日現在1,258である。最初は100くらいかなと想像

していたので、これは嬉しい誤算であった。

 最後になるが、ブログ立ち上げについて種々アドヴァイスをしてくれたoogatasen

さん、また☆をつけてくれた方々、アクセスしてくれた全ての人達、そして無料で私

にスペースを提供してくれたhatenablogさんに深謝申し上げる。

 

                        2017年1月15日

                              緒永廣康(クマ)

                       Twitter     https://twitter.com/katamiwake

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 番外編

13.春の訪れ

 フェアウェル・コンサートが終わって数日間、クマはライブレコーディングした90分のカセットテープ

2本を何度も繰り返し聴いていた。テープの注文はアグリーが20近く集めていたが、そのままダビングする

のではなく、編集して何とか1本にまとめたかったのだ。しかし不要な部分を削っても半分のC-90にする

には演目をカットするしかなく、それは避けたかった。C-120はテープが薄く耐久性に欠けることは当時

の一般常識であったが、アグリーと相談の上、結局それを採用することになった。販売価格はテープ代のみ

で、ダビング等の手間賃は完全に勤労奉仕だった。

 そして、その頃全く違う目的で、全く別のボランティア・グループが、クマの知らないところで動いてい

た。2年4組最期のクラス合宿の前日、クマとアグリーはクマの家でオーダーされたテープのダビングを終

え、めずらしくサイモン&ガーファンクルの歌をクマのギター1本で遊びで録音していた。そこへダンディー

から電話が架かってきた。「あのさぁ・・・女の子達から頼まれて電話したんだけど。」ダンディーはいつも

のように淡々と話を続けた。「ナッパさんが君ともっと親しくなりたいと思っているらしいんだけど、自分

からは言い出せないし、合宿が終わったら君の方から誘って貰えないか、という話なんだ。」クマは最初面食

らったが、そう言えばコンサート終了後、ニッカがセンヌキにナッパを「深沢うたたね団」に入れてくれない

かと依頼した話や、夕日を物憂げな表情で見ていた事など勘案すると、思い当たる節も無いことはない。

2-4インケングループはそんなナッパの想いを忖度し、煮え切らない優柔不断なクマの背中を押す為、ダン

ディーに相談を持ち掛けたのだろう。「良かったじゃないか。」と言うダンディーにクマは礼を言って電話を

切った。彼は自分の置かれている立場を未だよく理解出来ないままアグリーの元に戻って、その話をそのまま

伝えた。アグリーは「やったじゃない。」と喜んでくれたが、心中までは図り知れなかった。

 二泊三日のクラス合宿は南房総の他の都立高校の寮を借りて行われ、引率は担任のカギ付きサナダ。参加者

は「うたたね団」とインケングループ + アルファ。特に何事も起こらず無事終了、夜、渋谷駅で解散となっ

た。そこから各々東急バスで帰宅するのだが、クマとナッパ、他男子2名が同じ路線であるのに、女の子達が

その2名に一緒帰ろうと声をかけ、結局クマはナッパと二人っきりなった。おそらく女子の間で話が出来上

がっていたのだろう。二人は三軒茶屋で降りクマはナッパの家がある三宿まで送ってゆく間に、デートを申し

んで快諾を得た。これから先の事は判らない。しかし二人が新しい世界へ一歩踏み出した事は間違いなかっ

た。至福の輝きか或いは更なる昏冥に向かって。<終>

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 20(最終回かな?)

12.「Don't Think Twice, It's All Right」クマは呟くように歌った

 とにかく何とか終わったのだ。アグリーはコンサートのライブテープの注文を取って回っていた。クマの

ところにはヒナコとムーがやって来て、「3年で同じクラスです。よろしく。」と挨拶した。彼は珍しく愛想

よく「こちらこそよろしく。」と答えた。その後、ナッパが例のカラオケテープを返しに来た。「これ表の方

も聞いちゃった。いい声ね。」クマは『それで、ほら、他に言うことはないの? 例えば私も実は前からクマ

さんの事が好きだったとか、春休みにデートに誘って欲しいとか・・・』と期待したが、やはり何も無かっ

 

らわざと怒った振りをした。

 ペチャ松が見に来なかったので残念そうにしているセンヌキに、ニッカはナッパを「うたたね団」に入れて

くれるよう頼んだ。しかし、取敢えず高校生活での青春に決別したつもりの彼は「僕等はもう解散するん

だ。」と冷たく言い放ったのだった。カメは大阪へ行く為、そそくさと帰っていった。

後片付けが行われている間、ナッパはニッカと窓辺にもたれ、思い悩んだような顔をしてうなだれていた。

黄昏は、空と雲と彼女の頬を紅に染めている。それは単にみんな別かれ別かれになるという感傷に浸っていた

だけだったかも知れないが、クマはその表情が何か言いたげだと思った。それ以外の者の顔は、心の中はどう

であれ、なんとなく晴々としていた。

 楽器や機材を再びリヤカーに積み込むと、「うたたね団」はヒナコとムーに手伝わせて、センヌキの家へ

戻って行った。ナッパはさよならさえ言わずに帰ってしまった。

そしてヒナコとムーはセンヌキの家のNAPスタジオで、録音されたばかりのテープを聞くや、地獄の光景を

見たのだった。「うたたね団」が互いに口汚く、けなし合いを始めたのである。

「なんだこれは! センヌキは完全に間違ってるじゃないか。」

「ゴメンよ! 間違ったもんはしょうがないじゃんか。それよか何でクマの声ばかりデカく入ってんの?」

「そうだ、クマの奴が一番感度のいいマイクを取ったんだ。きたねえ野郎!」

「違うよ、俺の方が声量があるんだよ。ボソボソ蚊のなくような声で歌ってんじゃないよ!」

「いや、クマはいつも自分さえ良ければいいと思ってんだ。」

「悪かったねぇ。でもボーカルのバランスを取るのは、ミキサーのトシキの仕事だろう。」

「僕は知らないよ。もともとみんな下手なんじゃない?」核心を突く鋭い一言が出た。

「なに~っ!!」

「いや、そうだ。この曲の時はカメがボリュームをいじってたんだよ。」

「そうかカメの責任か。」

「うん、カメが一番悪い。」もとより喧嘩になる訳でもなかったが、無事欠席裁判が済み、少し落ち着くと、

リヤカーを返しに学校へ戻り、全員近くにある駒沢飯店へ行ってタンメンを食べた。食べながらセンヌキと

ダンディーは、来年の受験の事を話していた。クマはその話に加わろうと、二、三言葉を探したが、すぐに

止めてしまった。彼にとって今は、受験などどうでもよかったのだ。『もうすべては終わったのだ』そんな

感慨がこみ上げてきた。

 店を出て、アグリーがギターを2本持っているのを見たクマは、「家まで1本持って行ってやろうか? 俺

は全部センヌキのところに置いてきたから。」と言った。しかしアグリーは、何故かその申し出を断った。

クマは誰かと一緒に帰りたい気分だったのだ。

そのままそこで全員解散した。もう再びI,S&N も「深沢うたたね団」も共に演奏することはないかも知れ

ない。クマはVANの黒いダッフルコートの襟を立てて、花冷えのする桜並木の一本道をバス停に向かって歩き

出した。去年の秋、文化祭の準備で帰りが遅くなった時、ナッパと二人で歩いたこともあった。あの時、一体

どんな会話をしたのだろう? 何も思い出せなかった。そして今、この夜に・・・。

頭の中では一つの時代が終わったという実感のみが、鈍く響いていた。心を燃やし、費やされた時間が、決し

て意味の無いものではなかったことを彼は知っている。しかし、今にして思えばこの二年間喜び、悲しみ、

そして苦しみなど、どれも些細な出来事に対して向けられたものに過ぎなかった。

「Don't  think  twice,  it' all  right 」昔聞いたボブ・ディランの歌を呟くように口ずさみながら、信号のところ

で立ち止まった彼は、「カフェテラス・ロッシュ」で幸せそうに食事をする、見知らぬ若い二人の影を見て

小さく笑った。

そしてその声を掻き消すように爆音を轟かせながら通りがかったオレンジ色のギャランGTOが、国道

246号線を多摩川向かって走り去って行く、その特徴あるダックテールを、ただぼんやりといつまでも見送っていた。

 

 

 本当にすべてが終わってしまったのだろうか。<完>

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 19

11. 「せっかく・・・」センヌキが恨みがましく非難した

 会場を三年四組に移して、マイクのセッティングやミキシングの調整が行われ、それが終わるとナッパから

春休みに行う最期のクラス合宿の説明があった。彼女の服装は白のブラウスに黒く細いリボンを垂らし、白い

毛糸のベスト、淡いピンクのミニスカート、そして白のハイソックスと、まるでアグネスチャンの衣装その

ものだった。

 客の入りはパラパラと三十名程度、その内の1/3 は出演者とスタッフだったが、女生徒に絶大な人気がある

「まり子先生」こと米原教員が来ている事が異色と言えば異色だった。それでもクマやアグリーが充分満足

していたのは言うまでもない。昨年12月に話が持ち上がったコンサートは、今まさに始まろうとしている。

クマがミュートしたギターでリズムを刻み、センヌキが歌い始めた。名曲「青い目のジュディ」の最後のリフ

レインである。予定では続いてアグリーが3度下、クマが3度上という風に3パート・ハーモニーになる筈で

あったが、センヌキは自分のパートをキープ出来ず、下につられたり上についたり、要は音を外しまくった。

しかし、途中で止める訳にいかず、エンディングだけ何とか決めて、次はニール・ヤングの「オン・ザ・ウエ

イ・ホーム」、グレアム・ナッシュの「ティーチ・ユアー・チルドレン」と、もろC,S,N & Yのアルバム

「4way street」のコピーで通し、途中オリジナルを挟んで最後はやはりC,S,N&Yの「愛への賛歌」で

しめた。と言えばカッコいいが、スペアのギターが無い彼等はチューニングの変更に手間取り、その間誰も

MCをする余裕がなく、皆を白けさせた。いつの間にか現れたアガタの「もう、止めちゃえよ」と言う言葉

が妙に現実性を帯びて聞こえた。その点で言えばクマのギター1本でやった曲の方が余程纏まりが良かった。

  次はサチコである。彼女はその日の朝、風邪でいつもの美声?が出ないことを理由に、出演を取り止める

とクマに申し出ていた。本当はどうでもよかったクマだが、一応なだめたり、すかしたりして出演させたので

あった。サチコは確かに鼻声で喉の調子もいまいちだったが、演目をすべて歌い切った。「うたたね団」は

ぶっつけ本番で伴奏したがまずまずの出来であった。

 続いての登場は、憎んでも余りあるHIM(ヒナコ&ムー)である。奴等は最初30分と報告していたにも

拘らず、延々一時間以上もやりやがって完全にコンサートの主役になってしまった。『だいたいヒナコという

女は、よそのクラスまで来て態度デカくよくやるなぁ』と、日頃図々しいと皆から言われているアグリーで

さえ、すっかり感心してしまった。彼女達はヤマハ提供の「コッキーポップ」というラジオ番組で放送されて

いる曲や、ムーの自作曲を冗談を交え次々と歌う。ムーのギター演奏は相変わらず酷かったが、ヒナコの歌声

は素人離れして妙にセクシーでもあった。最後オフコースの「でももう花はいらない」で打ち上げた。クマは

その曲を初めて聴いたが、なかなかいい歌だと思った。やはり歌は曲と歌詞、そしてボーカルの技量であっ

て、些細なギターテクなどある意味どうでもいい事なのだ。それをクマ達は思い違いしていたのだった。

 そしてナッパは腹山と共に1曲歌い、あとはソロである。彼女の出番を後ろに持って来たのは、先にやって

帰ってしまわないようにと、ここでもクマの考え過ぎとも思える、緻密で万全な計算が働いていたのだ。

ナッパは例のカラオケが多少功を奏したのか、かなり難はあるものの「うたたね団」の伴奏に何とかついて

きたが、ラストの「あなた」で勇んでベースを持ち上げたクマは伴奏を断られてしまった。「あの~」ナッパ

は言いにくそうに小さな声で言った。「いいです。伴奏があるとかえって歌えないの。」アグリーをはじめ

「うたたね団」は声を上げて笑った。あの練習の状況を考えれば、それは当然と思われたが、センヌキはクマ

の気持ちを代弁するかのように、「せっかくベースの人が一生懸命やろうと思ったのに!」と恨みがましく

非難した。その一言は気の弱い彼にしては、よく言ったと後々まで語り草となった。

 「ゴ、  ゴメンナサイ」ナッパは本当に申し訳なさそうにクマを見た。その時、彼女はこの曲を下手な伴奏

などに惑わされることなく、心を込めて歌いたいのに違いない。クマはそう思った。

 「深沢うたたね団」は和洋、オリジナル等種々取混ぜ演奏したが、基本的にエレキは得意としておらず、

クマはリードギターとベースを持ち替え奮闘したが、あまり結果がついて来なかった。「・・・6700」も

期待した程受けず、ボーカルが殆ど聞き取れない最悪のパフォーマンスを露呈、それでもラストの「オハ

イオ」をクマとアグリーのツインリードで図々しく9分もやって、またみんなを白けさせた。

 最後はクマ達の呼びかけに全員立ち上がり、チューリップの「心の旅」をSING OUTして、3時間に

わたるフェアウェル・コンサートのすべてのプログラムが終了した。<続>

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 18

10.『すべてとお別れだ』クマは心の中で呟いた(2)

 いよいよ明日が本番という日、巷ではルバング島から帰還した小野田少尉の話で持ち切りの時、「深沢うた

たね団」は、軽い打ち合わせのつもりで全員がNAPスタジオに集まった。幻のリードギタリストのアガタは

グレコストラトキャスターをセンヌキに貸し、本人は不参加。

センヌキは暫くそれをいじくっていたが、突然フィンガー5の「恋のダイヤル6700」をやり始めた。「おい、

これ明日やろうぜ。」クマが冗談半分に言ったところ、本当にやることになってしまった。原曲は電話の

ベル音の後、タエコという女の子の「ハロー・ダーリン」という言葉で始まるが、クマは鈴を鳴らし裏声で、

「ハロー・ノータリン」というアイデアを出し、バカウケを取った。悪乗りしたダンディーはテレビで見た

振付までやることになったのである。

『明日はきっと受けるぞ』雑談する声も弾む。「・・・6700」の興奮が醒めきらないまま、各人ギターの弦

の張り替えを行い、楽器や機材を1階のセンヌキの部屋に下ろした。ギターやベース7本を始め、アンプ類

4、スピーカー3と、とても一度に運べそうになかったので、翌日二度に分けて持って行くことにした。

そしてそれぞれ明日への期待を胸に秘めて、「うたたね団」は帰っていったが、センヌキはその日の内に、

スピーカーケーブルやジャックの結線をハンダ付けで行わなければならなかった。

 

 ついに1974年3月25日が訪れた。早朝センヌキの家にクマとダンディーがやって来た。何事にもいい

加減なアグリーは、いつものように遅れて到着。クマ、アグリー、ダンディーは両手に生ギターとエレキを、

センヌキはダンボールの箱に入れたベースとマイクやコード類が入った鞄を持った。センヌキはベースが持ち

辛い為、しばしば休憩を要求したが、「ケチッてケースを買わんからよ。」とクマに即され、渋々立ち上がっ

た。途中、他に部員のいない陸上部を文字通り一人で支えている小島氏にあったが、彼はなにやら逃げるよう

に立ち去った。それ程四人の目はらんらんと輝いていたのだ! しかし校門を潜ると周囲の冷たい視線を感

じ、そそくさと教室に逃げ込んだが、そこでもクラスのアイビー悪ガキ連中のバカにしたような顔を見ること

になったのである。

 やがて終業式前に恒例の大掃除が始まったが、「うたたね団」は全員エスケイプし、用務員のおじさんに

学校のリアカーを借りて、アンプ類を取りに再びセンヌキの家へ向かった。相当な重さとなったリアカーを、

坂道で引き上げるのはかなり骨だった。にも関わらずアグリーは全然力を入れていないように見えた。

ようやく学校に戻った時には、既に終業式は始まっており、連絡事項として、倫社の教員が午後は次年度の

新入生が来る為、全員速やかに下校することと言い渡したのだ。

それを聞いたクマとセンヌキはいきり立った。『一体何の為に今までがあったのだ!』二人は唯オロオロする

ばかりのアグリーを置いて、まるで殴り込みにでも来たように職員室のドアを荒々しく開けると、担任のカギ

付きサナダ虫にかみついた。「僕に言われてもネェー。」虫はニヤっと笑って言った。

「だけど、この日にやるって事は前から決めていたのだし、今更止めろと言われても困るんですよ!」クマは

部屋中に響き渡るような声で言い切った。

「それじゃ日直の先生に話してみよう。」担任が折れ、彼のお陰で3年4組の部屋が借りられることになっ

のである。

 その日はまた、クマ達三年生での新クラスの発表もあった。クマもアグリーもナッパとは一緒になれず、

クマは1組、アグリーは2組、ナッパは8組となっていた。クマは内向的な自分の性格を知っているだけに、

クラスが変われば、まして教室の階数も違う状況になれば、話をする事さえ出来なくなると思った。

 結局この約2年間、クマは自分勝手に恋をし、自分勝手に失恋しただけだった。その対象となったナッパに

対し、幼すぎる接近を図ったものの、何ひとつ自分の意志を明確に表示することはなかった。彼は唯、彼女

から自分の方に歩み寄って来るのを夢見て待っていたのだ。それは確かに内向的な性格も影響したかも知れ

ないが、しかし彼は彼女に受け入れられなかった時の事を恐れるあまり、自ら「愛」を裏切り、背を向け、

逃げ出したのだ。

彼は、時が早く流れればいいと思った。今いるこの場所から、自分を取り巻く周囲のすべてのものから、1日

も早く解放されたいと思った。一年後、大学のキャンパスという来たるべき新しい環境の中で、ひ弱で臆病な

心も新しく生まれ変われると信じたかった。そうすることで一度相手に後ろを見せた犬が、いつまでも負け犬

であり続ける事を、彼は無理に忘れようとしていた。

 そしてアグリーやセンヌキ達も、この「フェアウェル・コンサート」の終了が、楽しい高校生活の終焉

だと、勘違いしている振りをしていた。この4月からの一年間は大学受験の為のものであって、ギターを弾い

たり、女の子と付き合ったりする年ではない、という極端な結論を出しておかなければならなかったのだ。

何故、彼等にはもっと心のゆとりが無かったのだろうか? 

 月の光に手をかざして暖かみを求めているようなナッパへの想いを断ち切る為、クマは意を決したように

心の中でで呟いた。『今日ですべてとお別れだ』<続>