緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)39

 19.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)1. 予告

 

 ずっとこのブログの事が気になっていた。幾つかの下書きも残っている。それでも更

新に至らなかったのは単に怠慢と言うよりも、新たに始めた「風のかたみの日記」とい

う短編を主体とした別のブログとの差別化が困難になったからと思われる。

 勿論、私は文筆を生業としている訳では無く、一連の活動については、これまでも単

なるボケ防止と散々公言してきたが、素人には素人なりのプライドや拘りがあり、少し

でも自分の理想とするものに近づける為の努力を惜しむ積りも無い。ただ、主題の陳腐

化、マンネリ、同様の文体、類似する表現、内容のウィキペディア化など、次第に違和

感を覚える事が増えて来たのだ。特に全てを書き終え、念のためウィキディアをチェッ

クすると、まるで自分がそれを見て書いたと思われるような内容が記述されており、そ

れが最大の落胆に繋がった。どうすればこのような事態を避け、このブログを立ち上げ

た頃の新鮮な気持ちを取り戻す事が出来るのだろうか。

 さて、そろそろ本題に移りたい。答えは意外なところにあった。かって私が書いた

「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 5 にその布石が次のように打ってあったのだ。

“・・・ムーはヒナコとかいう1組の女子と一緒にやるとのことであった。 このムーと

ヒナコ(HIM)二人と、アグリー、クマの四人はグループを組んで、その7か月後、世

田谷区民会館のステージ立つことになるが、この物語ではそれには触れない・・・。”

 そう、私はこの7か月後について書けばいいのだ。そうすれば、あの懐かしいクマや

アグリー、ナッパといった面々にまた会うことができる。例え同じ文体でマンエネリで

あろうとそれでも構わないのである。何故ならこれは誰も知らない物語なのだから。

 

  この予告を書くだけで既に三日を要してしまった。前途多難である事は充分承知して

いる。しかし私が新しい世界へ一歩踏み出した事は間違いない。至福の輝きか或いは更

なる昏冥に向かって。

  

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