緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)58
38.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(20)
ムーの摩訶不思議な新曲を何とか征服した翌日、クマは「ヒナコさんグループ」を定
められた練習日ではなかったが緊急招集した。用件は勿論、自分が考え抜いたアレンジ
を皆に聞かせ称賛を得る為で、事、音楽に関しては気の短い彼にすればいつもの事だっ
た。
その日の放課後、3-1の教室に三々五々メンバーと殆どマネージャーと化したメガ
ネユキコが揃う中、アグリーだけがいつになく暗い表情でやって来た。「どしたの」す
かさず全方位外交のヒナコが声を掛ける。
「ああ、今朝起きたら文太が死んでいた」
「えっ、文太」ヒナコが首を傾げた。それに対してはクマが代わって答える。
「手乗り文鳥の文太の事だよ」
「アグリーどんは文鳥飼ってたんだ」
「ああ、雛の頃からずっと、もう10年位になるんだけど」
「それって寿命が来たって事」
「いや、どうかな。そんなに弱ってたとは思えないんだけど。あの、歳取ると止まり木
から落ちたりするらしいんだ」
「ふーん、鳥って結構長生きするんだ。でも悲しい」
「そりゃあ、結構なついていたからね。文鳥は、知らないと思うけど優しくしてやる
と、飼い主にすがりついて来るんだ」
「人間よりも人間性があるのかな」クマは遠くを眺めるような目をして呟いた。
「人間はなまじっか余計な知恵があるからややこしいだけさ。それよか、その画期的ア
レンジとやらを聞こうじゃないの」
「オッケー」クマはそう答えると、早速説明を交えながらギターを例のチューニングに
合わせた。EBDGAD、一体どうやったらそんなチューニングを思いつくのだろう
か。もしかしたら、マリファナとかいう覚醒剤でトリップしなければ考えつかないもの
かも知れない。しかしクマ達はマリファナどころか煙草さえ吸った事は無かった。
アグリーは勿論そのチューニングを知っており、ムーとヒナコも3月の2-4フェア
ウェル・コンサートでI,S&Nが演奏した「グィネヴィア」という曲で聞いた筈だった
が、当然覚えてはいなかった。 仮にもし覚えていたとして、チューニング方法まで判る
筈もないが。それでもムーはまるで大事な授業を受けているような真剣な表情を浮か
べ、食い入るようにクマの一挙一動を見守っていた。
チューニングが済むとそこからがクマの真骨頂であった。コード表などには一切記載
されていない弦の押さえ方をして、独特のコード進行を披露する。もし仮にそれらのコ
ードを表記するとしたら、多分sus4 や m(#5)という和音になると思われた
が、ある程度熟練したギター小僧でも、とてもコードネームを見て瞬時に押さえる事は
不可能な筈だった。
そして、一通り曲の最後まで弾き終えるとクマはムーに気掛かりだった事を尋ねた。
「オリジナルのキーはCmだったけど、これだとEmになる。声が出るかな」
ムーは実際にサビの部分を歌ってみて、ニコッと笑った。「大丈夫です。ちゃんと出ま
す」
それを聞いてヒナコはまるで子供を褒めるようにムーの頭を撫でたが、アグリーは少
し渋い表情を浮かべて言った。
「よく考えたと思うけど、これじゃあ一般受けはしないな。全くキャッチーじゃないん
だよね」
クマは苦笑いしながら答える。「今更俺にそれを望む訳」
それを聞いてムーが久しぶりに男の子言葉で言った「僕はこれは素晴らしいと思う」
「それじゃあこれで決定」三階の窓の外を鳶のような大型の鳥が、遠く多摩川付近の森
を目指して飛んで行くのを眺めながらクマがそう宣言した。そして『文鳥の寿命が十年
として、果たして鳶は何年生きるのだろうか。あの鳥だって哀れな文太のように、いつ
かは突然命が燃え尽きるのだろうな』ふとそんな事を考え、彼はその後、何の音沙汰も
無い癌に侵された若い司書教諭、仁昌寺和子の事を思い出している自分に気付いた。