緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 19

11. 「せっかく・・・」センヌキが恨みがましく非難した 会場を三年四組に移して、マイクのセッティングやミキシングの調整が行われ、それが終わるとナッパから 春休みに行う最期のクラス合宿の説明があった。彼女の服装は白のブラウスに黒く細いリボンを垂…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 18

10.『すべてとお別れだ』クマは心の中で呟いた(2) いよいよ明日が本番という日、巷ではルバング島から帰還した小野田少尉の話で持ち切りの時、「深沢うた たね団」は、軽い打ち合わせのつもりで全員がNAPスタジオに集まった。幻のリードギタリストの…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 17

10.『すべてとお別れだ』クマは心の中で呟いた(1) コンサートを数日後に控えて、センヌキの家での I, S & N の練習は、連日夜まで続けられた。しかし今まで 吉田拓郎の歌が全てだと信じてきたセンヌキに、クマの高度というよりは変則チューニングを使…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 16

9.「何故もっと早く・・・」ダンディーが恨み言を言った 再びレッスンが始められたが、ナッパの持って生まれたリズム感の無さから、これ以上の練習は時間の無駄 のように思えた。するとアグネスチャン・ファンクラブ会員のカメが、カラオケテープを作り彼…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 15

8.「♩ ・・・♩・・・」ニッカは必死にリズムを刻んだ ナッパは正門側の自転車置き場の所で待っていた。『いやあ、お待たせしてゴメン。さあ行きましょうか』 と言おうとしたクマは、彼女の隣にニッカが立っているのを見て、思わず言葉に詰まってしまった。…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 14

7.「ごちゃごちゃ言ってんじゃねーよ」アガタは迫力ある顔にものを言わせた(2) 翌日、クマはアガタの家へ行き、アガタが知り合いから引っ掻き集めたギターアンプ類を、二人でセンヌキ の父親から分捕った感のある「上野毛NAPスタジオ」までバスで運んだ…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 13

7.「ごちゃごちゃ言ってんじゃねーよ」アガタは迫力ある顔にものを言わせた(1) クマ達はその日、機関誌 "DANDY" 最終号の編集の為、試験休み中ではあったが登校した。一番最初に教室 に入ったクマは、女子が数名いるのを見て一瞬驚いたが、すぐに『クラ…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 12

6.「月の法善寺横丁」??? 4月から高校3年に進級することを控え、卒業後の進路に合わせてクラスの振り分けをする参考の為、学校 側による「進学」「就職」、そして「進学組」は国公立大学、私立大四年制、短大のそれぞれ理系、文系別の 個人調査が行わ…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 11

5.「青純がいるのに」皆そう思った 実質二ヵ月位しかない第三学期は、瞬く間に過ぎた。その間クマは、オリジナル全8曲からなるソロ・アル バムのテープ第二弾を、極一部の学友諸君に対し緊急発表し、アグリーも新曲を2曲作った。アグリーは20 世紀最大の…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 10

4.「許せない!」クマはジェラシーの炎に身を焦がした(2) アグリーによる投稿に対する『夢診断』は次のように書かれていた。 天国の花園より夢見る少女へ・・・ 若い日々の一つの愛は、あなたを今まで行ったことの無い所へ連れていってくれる。 愛を与…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 9

4.「許せない!」クマはジェラシーの炎に身を焦がした(1) フェアウェル・コンサート出演依頼に対するナッパからの返事は直接届けられず、教室の壁にアガタが何処 からかくすねてきて取り付けた "DANDY" の投書箱に入れられていた。それを最初に取り出し…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 8

3. 「私は怒っています」ナッパは電話の向こうで泣いた (3) 話が少し遠回りしたが、機関誌 "DANDY" の編集は毎週木曜日に行われていた事は既に述べた。そんなある 日、現国のテストの答案が返って来た。教員チカン清水は一人ずつ名前を呼んで教壇から返却す…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 7

3. 「私は怒っています」ナッパは電話の向こうで泣いた (2) 『五行 ①中国古来の哲理にいう、天地の間に循環流行して停息しない木・火・土・金・水の五つの元気。 万物組成の元素とする。』(広辞苑第六版より抜粋) 現国の教員チカン清水は中間、期末といっ…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 6

3. 「私は怒っています」ナッパは電話の向こうで泣いた (1) センヌキは安美津子ことメガネユキコにフェアウェル・コンサート出演を依頼したが、あっさり断ら れてしまった。彼女は学級委員でそこそこ成績も良く、ズケズケものも言ったが、傲慢なところは無 …

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 5

2.「僕達は週刊DANDYを発行します」編集部一同が宣言した (2) 一方コンサートの方は、「2-4 フェアウェル・コンサート」と名をうって "DANDY" の紙面を借り、 PRが始められた。 「ウッドストック、バングラデシュと並ぶ愛と平和と音楽の祭典」とは、無論…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 4

2.「僕達は週刊DANDYを発行します」編集部一同が宣言した 1974年1月、”軍艦島”と呼ばれる高島炭鉱閉山のニュースが流れていた。 それとは全く関係無く、深沢 全共闘兼新聞委員のアガタの発案のもと、機関誌がクラス内のみ発行される事になった。 全共闘と言…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 3

1.「コンサートやらないか」アグリーが言い出した (3) アグリーのソロアルバム制作は、手持ちの作品がまだ残っていたが、開始時に時間を浪費し過ぎた為、結局 4曲録音して取敢えず終了した。 残りは後にアグリーとセンヌキ二人がベーストラックを作り、ア…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 2

1.「コンサートやらないか」アグリーが言い出した (2) レコーディングごっこであるからして、スタジオでやるわけではない。その頃の彼等の小遣いは、 学用品を除き月々LPレコード1枚とギター弦を買う位が精一杯で、レンタルスタジオを借りる余裕 など無か…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 1

1.「コンサートやらないか」アグリーが言い出した (1) 国道246号線、通称玉川通りは駒沢を過ぎると多摩川に向かってだらだら坂が続く。その途中、 深沢八丁目のバス停から駒沢通りへ抜ける桜並木の道沿いに東京都立深沢高校はあった。 創立されてから10年…