緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)65
45.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(27)
「ねえクマさん、ちょっといい」
午前の授業が終了して帰り支度をするクマにヒナコはそう切り出した。クマは返事はせず顔だけ彼女の方に向ける。
「あのう、7組の藤森君って知ってる」
「あー、うん、確か同じ中学だったけど、よく知らないし、親しくもない。あいつがどうかしたの」
「うん、えーっと、何でか判らないけど、こないだから家に何度もしつこく電話してきたり、学校でも廊下ですれ違ったら話しかけてくるの」
「ふうん、あの男とは話した事ないし、別に目立ってもいなかったから良く分からないけど、人畜無害なタイプの人間だと思ってたけどね。でも普通に考えて、そういう事をするのはアナタに気があるからでしょ。で、何ていってるの、奴は」
「今度、映画に行こうとか、食べ物は何が好きとか」
「で、アナタはどうなの」
「はっきり言って迷惑なの。なんかフニャフニャしてて気持ち悪いし」
「そう、だったらそう言えば」
「そうしようと思ってるけど、その時、あたしとクマさんが付き合ってるって言っていい」
「えっ、それはちょっとどうかな」
「迷惑」
「いや、迷惑と言うよりも嘘をつくってのが、どうも好きじゃない」
「でも、誰かと付き合ってるって言うと、普通諦めるでしょ」
「そうかな、ところで本当に付き合ってる人はいないの」
「いたらクマさんに頼まないわよ」
基本的に全方位外交の立場をとるヒナコは男女を問わず人気者だったが、ステディーな関係の異性はおらず、それは少し不思議でもあった。
「そりゃそうだね、アグリーじゃあダメなの」
「アグリーどんだと説得力に欠けるような気がするのよね」
「だったらいっその事、ムーと同性愛だって言ったら。相手も気持ち悪がって、向こうから断って来るかも」
「もー、クマさんはか弱い女の子を助けようという気持ちは無いの」
クマは実際のところこの手の話には巻き込まれたくないと思った。藤森という男との間が拗れても別に困る事は無いが、自分がヒナコと付き合っているという間違ったインフォメーションが広まるのは嫌だと考えた。
『オレは未だナッパを引き摺っているのだろうか。いやそうではない。ただナッパに失恋して直ぐさま別の子を好きになるような人間だと思われたくないだけだ。という事は、やっぱりナッパを気にしているのだろうか』
遠くを見るような目をしているクマにヒナコは言った。
「そうね、クマさんはナッパさんの事が忘れられないもんね」
「いや、そういう訳じゃないんだ」
「いいのよ、解ってる。断る理由は私がなんとかするわ」
「そう」クマは申し訳なさそうにニ三度頷きながら考えた。『多分、ヒナコみたいな女の子を恋愛の対象とすれば幸せになれるのだろう。性格は明るいし、嫌味も無く、冗談も通じる。容姿だって悪くは無い。オレは何故そうしないのだろう。まあ、藤森って男は可哀そうだが、ヒナコが嫌なのだから仕方ない。諦めて貰うしかないだろう』
クマは失恋した自分には同情するが、他人に対しては酷く冷淡だった。しかし、この問題が後になってとんでもない事をひきおこそうとは、二人とも全く知らなかったのだ。