緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)63

43.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(25)

 

 10月に入ると校内の雰囲気はいよいよ文化祭一色に染まり、各クラスとも連日夜まで残って準備に追われていた。通常クラブ活動は、午後の3限目の授業が終了する16時から18時までが原則であり、それ以降学内にいる場合はその時間、人数、用件を所定の用紙に記入、担任の認印を取った上で学校へ届けを提出する必要があった。

 初日に行われる世田谷区民会館の舞台に立つヒナコさんグループのメンバーは、=そんな事が許されるのか定かではないが=クラスの出し物には一切関わっておらず、放課後は自分達の練習を繰り返していたが、その届を出した事は一度も無く、それでも咎められる事はなかった。

 尤もそれは彼等がこれまで学校での行動で、何ら問題を起こしていないという事もあったからだが、校内で喫煙している生徒など掃いて捨てる程いたにも拘らず、彼等が停学処分や厳重注意を受けたという話も殆ど聞いた事がなかった。すべては学生運動で荒廃したモラルのせいかもしれない。 

 そのような中、本番を間近に控えたヒナコさんグループの状況を、音楽的リーダーの立場であるクマは次のように分析していた。

 『アンサンブルはある程度のまとまりが出てきたが、自分が示したハーモーニーの旋律は、各人のセンスが微妙に反映されてしまい、完璧な3パートとは言い難い状況である。しかし、事ここに至って、これ以上の修正を要求する事はかえって混乱を招くだけと判断されるので、言いたい気持ちをグッと抑え、甘んじてそれを受け入れるべきだろ

う。最早、ああだこうだと言うような時期ではない。今、大切な事はこのヒナコさんグループを上手く運営し、アポロ11号のアームストロング船長ように、目的地へ無事軟着陸させる事なのだ』

 そんなクマの気持ちを知ってか知らずか、アグリーは相変わらず3度下のハモりのパートを平気で逸脱、いきなり3度上に飛んだりして、クマの神経を逆なでにしていた。

 

 一方、彼等の練習にはメガネユキコがまるでステージママのように常に現れ、黙って聞いていたが、彼女に言わせればそれは「かよわいヒナコちゃん達を危険なクマやアグリーから守る為」で、音楽に関してのアドバイスは全く期待出来なかった。尤も、彼女が持っている安定感は得難いものものであったのは言うまでもない。

 また、元I, S & N のメンバーであるセンヌキも頻繁に顔を出して、気が付いた部分に茶々を入れたりしていたが、殆ど役に立つ指摘ではなかった。それよりも彼が何か他の事を言いたげな素振りを見せる方がクマは気になっていたが、敢てそれを聞くことはしなかった。『これ以上、面倒な事は抱え込みたくない』

 

 二学期に入って毎晩帰宅が遅くなると、当然実生活にも影響がおよび昼寝をして深夜に勉強するというルーティンをとっていたクマは、この1ヶ月間は完璧に睡眠不足状態に陥っていたが、ある日、耐え難い睡魔に襲われ、たまらず午後の授業をボイコット、エスケイプした。

  クマは受験勉強に最大限時間を割く為、卒業に必要な最低限の単位を取得する時間割を組んでいた。従って午後の受業は週に二回だけで、選択科目の現代国語Ⅲと英文法のみを履修していたが、その現国の教員は重藤という名の女性だった。客観的に考えれば恐らく美形の部類に入る容姿ではあり、若かりし頃はさぞ周囲の男達の関心を一身に集めたかも知れないが、如何せん年齢差は歴然であり、当然生徒達の憧れの的という存在ではない。

 その彼女が何故か出席簿を付ける時、常に一番前の席に座るクマの布製の筆箱から勝手に万年筆を取り出し使用していた。クマとしては決して愉快な気持ちはしなかった。しかし敢て異議を唱える事はせず、『他の授業でも同じ事をしているのだろうか』と、考えるだけだった。

 クマが授業を受けず早退して帰ったその翌週の授業の時、重藤はいつも通りクマの万年筆を摘み上げながら、「先週、お前はサボっただろう」と言って出席簿でクマの頭を軽く叩いた。『暴力教師』クマは一瞬そう叫んでみようかと思ったが、直ぐに止めた。何故なら次に彼女が言った言葉の意味が理解出来なかったからだ。「授業が終わったら職員室に来るように」

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 決してこの物語を放棄した心算はありませんでしたが、前回更新からほぼ3か月が経過し殆ど放置状態でした。その間、過分なる「はてなスター」や「ブックマーク」を賜り、本当に励みになりました。時間はかかるかも知れませんが、何とか結末まで続ける所存です。誠に有難く厚く御礼申し上げます。ありがとうございます。

 今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。