緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)54

34.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(16)

 

 1964年10月、そこでは世界93か国の色とりどりの国旗がはためき、「より早

く、より高く、より強く」をスローガンに、バレーボール、レスリング、サッカーとい

った競技が行われた。そして中でも東洋の魔女、日本女子バレーボールチームが、全国

民の熱い声援に応え念願の金メダルを獲得した事が、いつまでも語り継がれる程、強い

印象を残していた。『そう、最後の得点はソ連のオーバーネットによる一点だった』、

勝敗を決する世紀の瞬間に対する審判の裁定が若干遅く、直ぐには判明しなかった事を

クマははっきり覚えていた。

 あれから10年、駒沢オリンピック競技場は、時折その施設を利用して試合が行われ

るものの、今では専ら地域住民の憩いの場、駒沢公園となっていた。

 ここに来るとクマは、いつもこの施設が建設されていた頃の事を思い出す。彼は小学

一年生の時から、暇さえあれば日々変わる景色を眺める為に、ここを訪れていたのだっ

た。『勿論、家も近かったが、何故、そんな事をしていたのだろう。それもたった一人

で』クマは何度もその答えを探し、ようやくある言葉に辿りつた。「コンストラクショ

ン」。

   constructuon   n. 1 建造, 築造, 建設, 架設:  構造: 建設工事(作業)  2 建物, ・・・

     6 (分・語句の) 組み立て, 構文, 構造 -(和英中辞典 第三版 研究社)   

 クマはその言葉を高校生になってから使い始めた辞書で調べた。そしてそこから見

えて来るものと言えば、むき出しの鉄骨で出来た幾何学模様のような構造物であり、そ

れが駒沢に出来ている競技施設だったのだ。

そして彼は何も無いところでボーリングが始まり、鉄筋、鉄骨が組み立てられ、やがて

コンクリート打ちへ進み、外装が終わるという一連の流れが、曲を作り編曲し演奏、そ

して録音という過程と似ていると思った。

『僕らも何も無いところから自分の頭の中の設計図に従い、音符を組み合わせ、言葉を

紡ぎ、一つの歌を作ってゆく。勿論それは幼稚で拙い物に違いない。しかし誰からも

命じられた訳ではない。純粋に心から、そう、もし本当に心というものが何処かにある

とするならば、その奥底から湧き上がる強い衝動のような情熱が僕らをそうさせるの

だ。果たして、あのような建造物を思い描いた建築家と呼ばれる人達は、どのような思

いから突き動かされているのだろう。もしかしたら建築とは音楽と通じる感性の産物か

も知れない。それは十分あり得る事だ。しかし、それでいて目的の為に虚飾を排しなが

らも、逆にそれが洗練された機能美も生み出す。例えば軍事用の車両、船舶、航空機と

いった物を、それがもたらす悲劇的な結果とは別に、素朴に美しいと感じるようなもの

だ。その美しさは、間違いなく、芸術と呼ぶに値する』

「何考えてるの」チャコの呼びかけにクマは少し遅れて反応した。

「いや、時々何か支離滅裂な発想が次々と浮かぶことがあるんだ。まるでデイドリーム

ビリーバーだね」

「それで私たちの同窓会の女王は誰になるのかしら」チャコは微笑みながら答えた。

デイドリームビリーバーとホームカミング・クィーンは、かってモンキーズというグル

ープが放った大ヒット曲の歌詞だった。

                       Cheer up sleepy Jean
          Oh, what can it mean to a
                                    Daydream believer and a
                                    Homecoming queen?

「そういう洒落た言い方は好きだよ。何だか仁昌寺先生の台詞みたいだ」

「だって教え子だもん」

「そうだった」クマは頷きながら更に続けた。

「あの向こうに見える塔と横の角ばった屋根の建物、最初にあれを見た時、SF映画かと

思った。どうやったらあんな形を思い付くんだろう」

「そう言われればそうね。でもそんな風に考えた事はなかった。クマさんは何にでも興

味を持つのね」

「そうかな、そうかも知れないな」クマはもう少しその話題を続けようかと思ったが、

何故かそこで止めた。目的地が近づいてきたからである。

  二人は駒沢通りを公園の端まで歩いて来た。道はそこで自由通りと交差する。そして

交差点を越えれば目黒区に入り、左手に国立第二病院がある。

『自由通り、右手に行けば "自由が丘" があるからそう名付けられたのか。それにしても

日本らしくない名前だが。確か何年か前、アイジョージが紅白歌合戦で自分のレパート

リーである「自由通りの午後」という歌を歌っていたが、もしかしたらこの道の事を歌

っていたのか』

「あっ、また何か考えてる」

「ごめん、ちょっとね」

「クマさんが考え事している時が解るようになった。眉間にちょっと皺が寄るんだ」

「そうかな、そうかも知れないな」クマは先程と全く同じ言葉で答えた。

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