緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)52

32.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(14)

 

 結局その日、バンド名は決まらなかった。その一番の原因は誰も気の利いた名称を思

いつかなかったからだ。それでも文化祭準備委員会に出演申請の手続きをしなければな

らない。「取敢えず発起人の名前をとって『ヒナコさんグループ』で出しておこう」ク

マの言葉に誰からも異論は出なかった。

 「そんなことより、オリジナルって何曲あるの」出来るだけヒナコとムーを前面に出

したいと考えているクマが切り出す。

「ムーは結構いっぱいあるよね、ねえ」ヒナコがムーを見ながら確認をする。

「数はあることはあるんですけど、人に聞かせられるようなのは二、三曲かと」普段女

の子同士で話している時に比べ、ムーの声はやけに小さく、やっと聞こえる程度だっ

た。

「どんな曲、ちょっとやってみてよ」クマの勧めにムーはおそるおそるアグリーのギタ

ーを弾き始めた。それは "ぎやまんの箱" とタイトルされた、美しいメロディーラインを

持つスローバラードであったが、クマは何となく物足りなさを感じた。

『何が足りないのか、歌詞が今一つ判り辛いせいか』アグリーの意見も聞いてみたかっ

たが、作者本人がいる前であからさまに話す訳にもいかない。

すると、突然アグリーが言った。「いいじゃない」

『えー、そうなのか』アグリーの言葉をクマは少し意外に思ったが、いきなり最初から

否定的な感想を述べるよりは、大人の対応だなと考え直した。そしてそれは、自分には

備わっていないらしい「思いやり」とか「優しさ」とか、恐らく人がそんな風に呼び、

さも人間にとって大切な行動や言動であるかのように位置づける、他者への寄り添う気

遣いである事を彼は知っていた。

 

 「・・・だから僕はね、もし僕がこうすれば、こんな事を言えば、相手が喜ぶだろう

って分かっている時でも、敢えてそんな事をしようと思わない。そういうのは何か見せ

かけの白々しい優しさみたいで大嫌いだな」

「そうかしら。私はそうは思わない、私はやっぱり人の為に何かしてあげたいわ。人間

には思いやりが必要よ」日頃とは違い彼女は意外な程、強い口調で答えた。

「でも仮に、人を思いやることで自分が疲れるとしたら、自分を殺す事で人に尽くすと

したら、それは誠意とは言えないんじゃないかと思うけど」

「そうかも知れないわ」

「だから僕は人に対して優しくあるよりも、誠実でありたいと思うんだ」

「でもそれは、あなた自身に対しては誠実であっても、相手の人に誠実であるとは限ら

ないでしょう。たとえ自分が、どんなに辛い状況に置かれて本心はそうでなくても、人

を思いやるのが本当に優しい人ではないかしら」

「そうかな、それは見せかけの優しさだと思うよ。自分を偽るということは、裏を返せ

ば相手を欺いてる事になるんじゃないか。確かに、よく女の子は、どういう男性が好き

とか聞かれると、大概は優しくてユーモアのある人って答えるけれど、そしてその優し

さというのが、相手の喜ぶ事をしてあげる事ならば、僕は全然優しい人間じゃないね」

しばし小休止があった。

「いいえ、あなたはやっぱり優しい人だわ」彼女は殆ど自分に言い聞かせるように小さ

く呟いた。

  生きとして生けるものが眠りから覚め、全てが新しく始まるような春の日、明治神宮

御苑内にある菖蒲園のベンチに腰を掛け、クマはナッパと暖かな日差しを浴びていた。

しかし、何一つ落ち度など無い心算のクマは、その降り注ぐ陽光、心地良いそよ風、そ

して眩しい新緑、それら全てのものから何故か見捨てられてしまったのだ。

 

 『あの時自分は、何故あんな事を突然言いだしてしまったのだろう。別にその時、そ

れを言わなければならない理由など、何一つ無いにもかかわらず』これまで何度も自問

自答を試みた事を、クマはまた考えていた。彼はただ噓偽りのない自分自身を晒した上

で、ナッパの審判を受けようと試みたのだ。それこそが今までの人生の中で、最も心を

惹かれ、また愛されたいと願った女性に対する、誠心誠意の姿勢だと考えたのだ。そし

て彼の妥協のない愛情は、想いばかりが空転し、容赦なく砕け散ってしまったのだ。

ナッパが去ってしまった今、彼は漸く冷静な気持ちで、自分が置かれた座標を理解出来

るようになりつつあった。

 

 「クマさんはどう思う、ムーの曲」ヒナコの声で彼は我に返った。

「うん、いいと思うけど、スリーコーラスあるんで何処かにアクセントが欲しいね」

クマはこれ迄であれば「ちょっとたるいね」と言うところであったが、ぐっと抑えた。

「どうすればいいですか」ムーが真剣な顔でクマに訊ねる。

「そうね、一、二番はアルペジョでやって、三番の伴奏をもっと賑やかにストローク

するとか、あとハモるとか」

それを聞いてムーは黙って頷く。その時クマは、ムーの持ち味はヒナコと違い女の子ら

しからぬ野太い声だと気が付いた。 

「フェアウェルで歌った "落ち葉の上を" なんかは怨念が籠ったよう歌で、なかなか良か

ったんじゃない」

「ううん、あれはオリジナルじゃなくて、古井戸の曲」

「えっ、そうなんだ。なあんだ」クマは日本のフォークソングには全く疎かった。

 「クマさんあんな感じの歌が好きなんだ」ヒナコが意外という顔をする。

「まあ、キレイキレイな曲ばっかりじゃないよ好きなのは」

「ところでヒナの曲は」今度はアグリーが聞いた。

「私は一曲だけ」

「それじゃあ曲が足りないよ」クマとアグリーは同時に笑った。

「だからクマさんやアグリーどんの歌を考えたの。それに私達の曲って、静かなのばっ

かだから」

「俺らだってそんなハードな事やってる訳じゃないし、だいたい生ギターでやるんだか

らね」アグリーがそう答えると、クマが付け加えた。

「しかも、もうCSNYの真似をするのも何だしね」

 

 世田谷区民会館のステージまであと四ヶ月。

 

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