緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)48

28.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(10)

 

 その日、等々力にあるヒナコの家にムー、アグリーそしてクマの四人が集まり、記念

すべき第一回目のミーティングが開かれた。あの2年4組フェアウェル・コンサートか

ら二か月余り、ここにヒナコとムーの歌唱力とクマとアグリーの演奏力を結集した、都

立深沢高等学校音楽史上、かって類を見ない超弩級のスーパーグループが誰にも知られ

ること無く、ついに誕生したのだった。もし機関紙ダンディーの発行が未だ続いていた

ならば、恐らく一面三段抜きでそう伝えたに違いない。

 三々五々四人が揃うと、「何か言ってよ」そうアグリーに促されたヒナコは立ち上が

り、右手でマイクを持つ仕草をした。

「えへん、えー、私達は今日、新しいグループを結成することになりました。つきまし

ては先ず各人自己紹介をお願いします」 勿論、今更自己紹介をする必要など無いが、

「ヒューヒュー」とムーが奇声を発し拍手を始めた。

するとクマは突然提案をした。「それじゃあ面白味が無いから、他己紹介にしようよ」

「なに、それ。蛸がどうかしたの」ヒナコが怪訝な顔をする。

「いや、そうじゃなくて、他人がその人に成り代わって紹介するんだよ。例えばやって

みると・・・はい、僕がアグリーです。昭和32年目黒区の五本木生まれ、今でもそに

住んでいます。家族は両親と弟の四人です。趣味は音楽全般、聴く事とあとギターを

少々弾きます。ハーモニカもやってます。好きなミュージシャンは何といってもビート

ルズ、他には何でも聴きます。歌も作っていて、20世紀最高のメロディーメーカーに

なる予定です。クマと違ってテクニックよりもセンスが大事だと考えています。後は、

キャンディーズの蘭ちゃんの熱烈なファンです。好きな作家はアガサ・クリスティー

僕のペンネームは阿笠栗助 ・・・。他に何かあったっけ・・・」

「いや、もうそれだけ言えば十分」アグリーは苦笑いをした。

クマも少し笑って応えたが、その時ふと全く別の考えが心をよぎった。

『何故自分は今ここにいるのだろうか』

 この集合体への参加を最初に求められた時、クマにはナッパという存在があった。

たとえナッパ自身は既に心が揺れていたとしても、少なくともクマの中では未だそれは

脈々と息づいていたのだ。

     ・・・それは春の日の柔らかな日差し

           夏の日の暖かな雨だれ

           秋の日の爽やかなそよ風

           冬の日の穢れない粉雪・・・ 

 これ迄失恋の歌しか作れなかったクマは、そんな詩を書き、遅れ馳せながら訪れた所

謂青春を謳歌するつもりだった。しかし、その歌は結局歌われることも、決して記録さ

れることも無く、静かに記憶の淵に消えていく運命を辿った。

『そして今、自分はここにいるんだ』

 

 「鍵付きサナダが小遣いをくれたよ」クマは教室に戻るとそう言った。学校は既に夏

休みに入っていたが、2年4組の文化祭の責任者4名は打ち合わせの為登校し、出し物

である演劇「父帰る」の進捗状況と今後の段取りを確認していた。

 概ね予定通り進んでいる事が分かると、クマは早々に帰宅する旨を皆に提案した。何

故なら如何せん冷房設備の無い教室は長時間居座るには暑過ぎたのだ。

そして全員が了承すると、筆頭責任者であるクマは、日直の教員へ下校届を出しに職員

室へ行った。するとその日は、たまたま彼等の担任サナダ虫が当番で出勤しており、こ

こでもまた劇の進捗状況の話になった。

 他のクラスに比べ2年4組の準備は抜群に進んでいる、と職員室でも話題になってい

るらしく担任は満足そうであった。そしてその感謝の気持ちかどうか解らないが、クマ

が退出しようとすると、彼は自分の財布から千円札を取り出し、「何か冷たい物でも食

べて帰りなさい」と言って渡してくれたのだった。

 クマ、マサヒロ、メガネユキコそしてナッパの四人は取敢えず学校のそばにある唯一

の食堂、駒沢飯店でかき氷を食べることにした。クマにしてみれば、たとえ二人きりの

デートではないにせよ、ナッパとこうして特別な時間を共有することが、この上もなく

幸せに思えてならなかった。

 早々にかき氷を食べ終わると、まだ少し残金があったので隣の駄菓子屋で花火を買っ

た。特段深い理由は無い、校舎の影で線香花火でもしようとクマが言い出したのだっ

た。そして花火を持ったナッパがまるで子供のようにはしゃぐ様を、彼はそのすぐ後ろ

を歩きながら、まるで恋人のような目をして愛おしく見つめていた。

 その日から間もなく、クマはその一瞬を歌に閉じ込めようと言葉を探し、初めてまと

もなオリジナル曲を作って、それを「君に捧げる歌」と名付けた。 

     日差しに歩く後ろ姿が 子供のようにはしゃいでたね

     買ったばかりの花火を振りながら 夜までとても待てないなんて

     あの時言えばよかった 君がとても好きだって

     僕の心を知ってるように 君の瞳が笑っていた

1973年7月、眩しい日差しが照りつける夏は、まだ始まったばかりだった。

 

 その日から10か月余り、状況は大きく変化し、物語は等々力のヒナコの家にたどり

着いた。周囲の人間が望むと望まざるとに拘らず。

 

 クマの要領を真似てアグリーがクマを、ヒナコとムーがそれぞれお互いを紹介し合

い、他己紹介は無事終了、ミーティングはいよいよ本題に移った。

 「それで、一体何をするの」クマが誰とは無しに問いかけた。彼は最初から、自分と

アグリー二人はヒナコとムーの歌のバックでギターを弾くだけだと考えており、曲名さ

え聞けば直ぐにでも完全コピーするつもりでいた。

「それが未だ決まってないんだ」ヒナコはそう答え、ラジカセのスイッチを押した。流

れ出した曲は何とアグリーが作った「僕達のナパガール」だった。そのテープはこれま

でクマとアグリーが多重録音したオリジナル曲をクマが編集しアグリーに渡したもの

だ。

「アグリーどんに借りたの」ヒナコの言葉にクマは黙って頷いた。

「こんな風に自分達が作った歌を録音出来たらいいよね」口数の少ないムーが呟いた。

「これはこれで結構大変だったんだよ、センヌキは間違えるしクマは怒るし」アグリー

はそう言ってニヤっと笑いクマを見た。

「えー、白クマのおじさんって怒るんだ」何故かムーだけはクマの事を白クマのおじさ

んと呼んでいた。

「まあ、聖人君子では無いし怒ると言ってもねえ」クマは本当のおじさんみたいな言い

方をして笑ってみせた。たとえ心の中は嵐が吹き荒れていようと、それ位の振る舞いを

することは出来る。

 テープは続いて二曲目のクマの作品「落ち葉の丘」が始まるところだった。

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