緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)47
27.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(9)
クマはまた深沢八丁目のバス停へ通じるいつもの桜並木を歩いていた。女性司書教諭
との会話に示唆されるところはあったし、なにより人見知りもせず自然に話が出来た事
が嬉しかった。 あのような人物が教鞭をとればいいのにとも考えたが、それは彼女が
言うところの「月の裏側」の部分なのかも知れなかった。
歩き慣れた道の左右前方の景色は先週と変わりが無い。それは至極当然の事のように
思える。しかし、そこには大きく異なるものがある。なによりもそれらを見る目が全く
変わってしまったのだ。つい先週までは優しい気持ちで物事を眺めることが出来たはず
だったが、今は初夏の暖かな陽光さえもそれを拒否するかのように冷たく感じられた。
とにかく目に映る物がすべてナッパを思い出させた。それだけでは無い、例えば歌。
2-4フェアウェル・コンサートでナッパのリズム外れの歌に合わせ、クマがギターを
弾いたアグネス・チャンの「草原の輝き」。あの旋律を聞くことがあれば、必ずナッパ
を思い起こさせる筈だ。
そしてその記憶が蘇る度、クマの心は締め付けられ、孤独感に苛まれる。
『こんな事を続けていてはいけない』クマは充分それを承知していた。しかし、そこか
ら脱却するには更に時間が必要な事も事実であった。『唯、このまま無為無策に日々を
費やすしか術は無いのか。そもそも、決して誰一人妨げる者もなく、むしろ好意的な支
援さえも得た二人の関係が、何故、こんなに切ない思い出に変わらなければいけないの
か』クマは自分が一体どこで間違ってしまったのか、そればかりを考えていた。
『しかし、どこかで結論を出し、運命と折り合いをつけなければならない』それが妥協
か諦めか、そのいずれにせよクマには受け入れる決心が必要だった。
『昔ならば、外人部隊に入る手もあったが』ピーナッツというコミックに出てくるビー
グル犬の台詞が浮かんだ。クマは『未だ自分を茶化す余裕がある』と寂しく微笑んでい
た。
「あっ、そうだったんだ。何だかチャコは曲者かも知れないね」メガネユキコはいつ
も通り歯に衣着せぬ物言いをした。クマは学校を出る前にメガネユキコとヒナコには、
レコードに添えられていた封筒はナッパの手紙ではなく、チャコのレポートだった話を
報告していた。
「で、そのレポートの中身は」ヒナコが興味ありげに訊ねる。
「それがS&Gの曲の感想文みたいな・・・」クマはそう答えた。
「なに、それ」
「いや、でも中々よく書けていると思った。これがそう」クマはレポート用紙を一枚取
り出して見せた。
アルバム・タイトル/パセリ・セージ・ローズマリー&タイム
これは全て香辛料の名前です。私はハンバーグを作る時、セージを入れま
す。そうするとかなりお店の味に近づきます。でも何故これがアルバムのタ
イトルなのでしょう。もちろん、この言葉は一曲目のスカボロフェアに出て
くる一節ですが、私はこの一枚のアルバムに色々な香りが散りばめられてい
る事を言いたいのではないかと思いました。クマさんはどう考えますか。
Side A-1 スカボロフェア
この曲の歌詞を見た瞬間、私は自分が持っているボブ・ディランの「フリー
ホイーリン」に入っている「北国の少女」を思い出しました。何故なら、
「Remeber me to one who live there, She once was a true love of mine」が
全く同じだからです。どうしてこうなるのか分かりませんが、どちらも英国
のトラディショナルを基にした歌らしいですね。
そしてこのスカボロフェア(詠唱)は、二つの詩が重なり合って出来ていま
す。ママス&パパスの「夢のカリフォルニア」のように同じ言葉を繰り返す
のではなく、一つは美しいメインのメロディーに合わせた牧歌的な歌詞、も
う一つは、銃を磨きながら上官の攻撃命令を待つ兵士の事を歌った歌詞、と
いう組み合わせ。実はこの二つの矛盾がこの曲の主題だと思います。アメリ
カは日本と違って、今ベトナムで戦争を続けている事を、改めて気づかされ
ます。この手法はアルバムの最後に入っている「7時のニュース/きよしこ
の夜」にも通じるものです。静かなクリスマスソングと共に、キング牧師暗
殺事件等、殺伐としたニュースを伝えるアナウンスが印象的です。新谷のり
子が歌った「フランシーヌの場合」は、この発想を模倣したものと私は断定
します。
とにかく、この全く異なる歌詞の組み合わせという斬新かつ挑戦的な姿勢は
素晴らく、しかも裏の「 A soldier cleans and polishes a gun. 」と表の
「Then she''ll be a true love of mine.」のように重なる部分で韻を踏むという
高度な技術も見られ、発見する方としてはとても嬉しくなってしまいまし
た。クマさんの意見を聞かせて下さ い。
ヒナコはそれを読み終わると、少し不満そうな顔になり、メガネユキコは「なかなか
やるわね、でも何の為にこんなに一生懸命書いているのかしら」と疑問を呈した。
恐らく彼女はその答えも用意していたのだろうが、傷心の自分を慮って敢てそれは言わ
ないのだと、クマには解っていた。
「ねえクマさん、文化祭、やっぱり一緒にやろうよ」別れ際、ヒナコがそう言った。
桜並木を一人歩くクマにとって、その言葉はまるで水島上等兵に語りかけるインコのよ
うに繰り返し心の窓を叩いていた。『そう、またあの世界へ戻るしかないかも知れな
い』
* * * * *