緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)33

小休止(2) 新生老舗レストランを南青山に訪た <その2>

 

 次に私が考えたのは、大学時代の同級生二人の事だった。我々三人は卒業後全く違う

業種に就職したが、親しく電話などで連絡を取り合い偶に会ったり、また年に一度、観

光&グルメ・ツアーを実施(都合で二人になることもあったが)、北は冬の北海道、南

は夏の沖永良部島まで足を運んだ間柄であった。各地の名所旧跡は勿論、美しい景色に

息を吞み、また思いがけず美味しい物に出会う事もあれば、大外れした時もあった。

彼等ならばこのカナユニというレストランの価値を認めてくれると確信したが、しかし

よく考えてみると夫々責任ある立場にあり、しかも一人は難病の子供を抱えて、その対

応に追われいたので迂闊に声を掛けられないと断念した。また、新人社員教育を一緒に

受けた所謂同期の中で、特に親しくしていた二人はどちらも転勤で東京におらず、こち

らも諦めなければならなかった。

 そんな時、ふと思い出したのは赤坂の貿易会社に勤める知人だった。その人とは、と

ある場所で顔見知りになり、その後二度程二人で飲みに行ったことがあったので、早速

メールを飛ばしたところ承諾との返事がきた。その夜、カナユニに予約の電話を入れ

た。応対してくれたのはフロアースタッフの浅見さんという人で、痩身で小柄そして

見事な白髪の持ち主だ。勿論接客の良さは言うまでもない。予約はすぐ取れ、私が宜し

くお願いしますと言うと、浅見さんは何か当方で用意しておく事はありますかと聞いて

きた。私がその意味を直ぐには判らず一瞬黙していると、瞬時に例えば何方かの誕生日

とかと教えてくれた。私はその必要は無い旨伝え、先方のお待ち申し上げております、

で会話は終わった。その後、知人に日時と場所(地図添付)のメールを送り、現地集合

とし当日を待つばかりである。

 一日千秋の思いで待ったその日がやってきた。私は残っている部下を尻目に、近くに

いた課長に人と会うとだけ伝え、就業規則上の終業時刻ちょうどに退社し赤坂へ向かっ

た。待ち合わせ時刻少し前に店付近に着くと、うろうろしている知人の姿を発見、手を

振り入り口まで誘うと、ここは判らなっかとの弁。さすがに昼間赤坂住民もこの入口は

見つけられなかったのかと、失礼ながら少し嬉しかった。

 店に入ると浅見さんが迎えてくれて席へ案内、そこでコート等を預け着席。おもむろ

にメニューが夫々に渡され、取敢えず飲み物だけ聞かれる。長年ビール党の私は、迷わ

ず生ビール、赤坂の知人は白ワイン、そこですかさず浅見さんの問いが入った。ワイン

はどの様な物にいたしましょうか。知人は具体的銘柄や年代を指定せず、例えば、あま

り甘くなくすっきりした飲み心地風なオーダーをし、白髪の紳士はかしこまりましたと

だけ言って立ち去った。我々の手元にはワインリストが残されていたが、少なくとも私

に分かるのは価格位しかなかった。尚、この店ではグラスワインの用意もある。食事の

方はこちから合図しない限り注文を取りに来るような事は一切無く、ゆっくりメニュー

から選べばいいのだが前回来た時は客接待だった為、ろくに目を通す事も出来ず実際初

めて見るよう状況だった。取敢えず評判だというオニオングラタンスープとサラダを頼

み、またメニューを眺めているとバスケットを運んで来た。中を見ると数種類のパンが

入っており、私はフランスパンとバターバターロール選んだ。熱々カリカリのフランス

パンを千切り、昔ながらの小壺に入った硬いバーターを削って塗ると、途轍もなく美味

しく感じた。オニオングラタンスープは噂に違わず美味で、これ程の物はかって日本橋

室町にあった「太平洋」という洋食屋以来だった。後は良く分からないので、浅見さん

に相談しながらオーダーし、すべてのメニューに満足。その中で印象に残ったのはサン

ビッツというステーキのオープンサンドで、特に牛肉大好きを自認する赤坂の知人に好

評を得、その後我々の定番となる。他には前回バタバタしていて殆ど気付かなかった

が、生バンドが入っているのだ。後日この店のホームページを見ると出演するバンドの

スケジュール表があり、どれも三名以下の小編成でブルーノート系を中心にボサノバ、

ラテンのようで、食事代とは別に@2~2,500 円のミュージックチャージなるものがある

事も判明した。

 兎も角その夜は二人共大満足で、この店にて再会を期し別れたが、唯一懸念事項と言

えば、普通に二人でワイン一本程度で済ませればいいのに、ついつい共に多飲する傾向

が強く、それが勘定に直結する事であった。それでも偶に訪れている内にマコトさんと

いう若くてカッコいいスタッフとも顔なじみになり、我々がグラスワインを飲んでいる

と他所の席で注いだワインの残り少ない時に、それとなく我々のグラスに入れてくれた

り、また浅見さんは偶々他に客がいない夜、帰りに紙の手提げ袋をくれて家に帰って開

けてみると、あの美味しいパンが沢山入っていた事もある。中でも印象深いのは伝説の

オーナーである横田宏氏が、手のすいた時は必ずと言っていい程高齢をおして階段を上

り、我々を見送ってくれた事である。暫く真っすぐ歩いて振り返ると老オーナーは、

背筋をきちんと伸ばした姿勢のままそこに立っていた。その姿は今でも目に焼き付いて

離れない。

 その後、私は長年の不摂生が祟ったのか心身ともに傷病を発症し、投薬の副作用の影

響もあり肝機能のɤーGTPが異常数値を示し、医者から断酒を命じられ、結局勤め先を

退任、送別会の誘いも多々あったが殆どを辞退。悠々自適とは言えないにせよ何とか生

活を保つ事が出来そうなので隠遁生活に入った。それでも鬱々とした日が続く事もあり

何の迷いも無く最寄りの比較的大きな精神科を受診、DMSなるマークセンスの診断テス

トを受けると中度のうつ病だという。私は納得出来ずその理由を問うと医師は、例えば

深夜に物音がすると不安になるという設問にYESと回答している等とバカげた事を言う

。私は全設問の結果開示を求めたが当病院ではそのような要望には応えられないとの返

事。意地になった私は同病院のカウンセリングの予約を取り、臨床心理士にその件を話

して結果全資料の開示を受けたが腑に落ちない事ばかりであった。またその間大量のう

つ病に関する書籍を購入すべて読破したが、どれも内容に然したる違い無く唯一得た収

穫は香山リカという精神科医のレベルの低さに気づいた程度だった。その後病院を変

え、それまで得た知識から当時最強と言われた「カリフォルニア・ロケット燃料」

(SNRI+NaSSA)の処方を希望、服用したが何の変化も起こらず、結局自分でうつ病では

無いとの結論を下すに至って本件は終わった。

閑話休題

 その後赤坂の知人とは相変わらず偶に酒を酌み交わしたり、先方の好きなエリック・

クラプトンや私が好きなイーグルスのコンサートに行ったりしていて、演奏会終了後

腹ペコ状態でカナユニに電話すると空いていると言うので、急ぎ駆け付けた事もある。

記憶は定かでは無いが、その時私は発売されて間もないReebokのスニーカーを履いて

おり、スタッフのマコトさんが興味深げにしゃがんでしげしげとその靴を眺めていた

ような気がする。

 その頃私は毎朝5kmの速歩と週1~2度プールかジム通いを続けていたが、ある時

右足親指の爪が肉に食い込む所謂瘭疽になってしまい、近所の皮膚科を受診したところ

手に負えないと付近の総合病院を紹介され、その治療中今度は左足も同様となり、思い

の外時間を要してしまった。その間真面に歩く事が出来ず、種々誘いはあったが全て

断り、また赤坂の知人とも疎遠になってしまった。ある日どうしても出席せねばならな

い案件が起き出掛けると、案の定早い時刻から酒宴となった。夕方になっても皆飲み足

りない様子で、私は久々にカナユニに電話したところ浅見さんが出て、何と一週間後に

閉店すると伝え「お分かりになると思いますが、もう予約が一杯で残念ながらお受け出

来ません」と言う。先方は忙しそうなので理由など聞かずこれ迄の謝辞と浅見氏他、皆

様の健康、ご多幸を祈念し電話を切った。その後蕎麦屋に移動しまた飲んだが、私は心

の中でゆらゆら揺れる蝋燭の灯りの一つが、突然消えてしまったような気がしてならな

かった。

そして帰路、酩酊した頭の中ではカナユニでの出来事が走馬灯のように駆け巡り、何故

か、ふとアルフォンス・ドーデーの短編集「風車小屋だより」の一節、”仕方ありませ

んや、ねえ旦那!… この世には何にだって終わりというものがありますよ。ローヌ川

乗合船や最高裁判所や大きな花模様の上着などの時代が過ぎたように…”  という台詞だ

けが鈍く響いていた。<続く>

 

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      *      *      *      *      *

 

 別段、締め切りに追われている訳では無いが、当初自分で考えた予定から大幅に遅れ

ている。それもこれも本題とは全く関係の無い事柄迄ダラダラと記述しているせいとは

承知している。まあビジネス文章では無いので大目に見て頂きたい。次回はいよいよ

新生カナユニに突入。今回でかなり弱気になってしまったので、敢えて何時迄とは予告

不能。(2018年3月)