緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)28

17.留萌の思い出

 2017年もいよいよ年の瀬。今月に入って「この冬一番の寒さ」とメディアが報じ

る日が続き、ここに来て強力な冬型の気圧配置、所謂「爆弾低気圧」が北日本から日本

海側を覆った。その中で留萌港の灯台が殆ど跡形もなく破壊されたニュースが目を引い

た。「積丹半島以北は11月を過ぎると日本ではなくなる」と聞いた事はあるが、それ

だけ自然条件が厳しいという意味だろう。テレビで地元の人が「灯台がもげた。」と

言っていた。余程激しい風と波浪があったに違い無い。

 かれこれ数十年前、私は留萌を初めて訪問した。主たる目的は港湾施設の見学と関係

各所への挨拶で、現地の人達は20代の無知な若僧を歓待してくれた。その時、北海道

は記録的な猛暑で、タクシーを含め一般車の殆どが冷房を装備していない状況に閉口

しながら、スケジュールを消化していった。留萌港の入り口付近の岩場には、座礁した

石炭専用内航船の錆びた残骸があり、波に洗われている哀れな姿が印象に残った。

 北海道の日没は早い。夕食は由緒ありそうな古い料亭に案内されたが、座敷に入って

驚いた。昼間会った人とそうではない人、合わせて十数名が拍手をもって迎えてくれた

のだ。私は深々と頭を下げ、すすめられるままに上座に座り、長老の挨拶の後、慣れな

い感謝の言葉を述べ宴会は始まった。後から聞いた話だが、ご当地では遠来の客が来る

と、大勢が集まって酒席を設けるのが習わしだったそうだ。もしかしら海事関係だけか

も知れないが。

 宴は進み、いよいよメインの登場である。「蛸しゃぶ」だった。大きな銅鍋に日本酒

をたっぷり注ぎ、温まったところでぬめりを取ったスライスの生蛸をしゃぶしゃぶして

紅葉卸のポン酢で頂く。私は勿論初めての経験で、味はともかく物珍しさで結構食し

たが、その頃には部屋中、酒の匂いが漂っていた。

 ようやく宴会が終了し、年配の方々が帰るのを見送っていると、残った船舶代理店の

人達から「ちょっとキャバレーに行きましょう。」と誘われた。私はてっきり風俗店

だと思い、必死に固辞したが結局行く事になった。ところが着いてみれば、これまた

古い建物で中に入ると広いダンスホールのある所謂昔のグランドキャバレーだった。

私はひとまず安心したが、それから先の事は殆ど覚えていない。唯一つ、留萌港では

水先案内人(パイロット)は代々青函連絡船の船長OBが務めて来たが、最近はなり手

がいないと嘆いていたのは妙に記憶に残っている。確かに冬場、荒天の時、小さな通船

からジャコップ(縄梯子)で外航船に乗下船するのは危険だし、特に温暖な地域の住民

で、ある程度地位のある人が敢えて留萌まで移り住む事は考え辛い。この問題は解決

したのだろうか。翌日、私は次の目的地、小樽へ移動した。

 その後、10年程して私は再び留萌を訪問した。その時も大勢で歓待して貰ったが、

さすがにあのグランドキャバレーは閉店したようだった。更に時を経て、留萌が関係

する商談が決定した時、現地と連絡を取った若い担当が、先方が私の名前を知っている

と、驚いて報告に来た。

 以上が「灯台がもげた」というニュースで思い出した事を書いたものである。

(2017年12月)

 

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