緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)25

15.日本に於ける市民形成の可能性について 1975年

 日本は明治維新により封建社会から近代社会への道を歩み始めた。そしてその後、

日本の資本主義的発展は、驚異的なスピードで進められてきたのだが、その背景には

農業と農村があった。何故なら日本の近代化は「農民開放」が徹底的に行われないま

ま始められ、富国強兵をスローガンに農業と農村の特性の上に進められていった。

例えば、日本の産業が農民を世界的な低賃金で利用した事、また不況の際の失業も

農家に於ける家長的家族制度が、都市に働く人々の生活を何等かの形で生まれ故郷

の生家に繋ぎ止めておいた為、大きな混乱は起こらなかった。そして、都市に於ける

下層労働者の生活不安や農村に於ける小作貧農の窮乏といった問題は、明治後半期

以後の国家主義的教化の徹底、即ち最下層の人も最上層の人と同じように天皇の臣民

であるという教えにより、資本主義的階級分化の矛盾を隠してしまった。しかも日本

の主要都市の多くは旧城下町に端を発する封建都市であり、西欧では市民革命によっ

て近代都市が発達し、またアメリカでは封建時代が無かった為、未開発地から都市が

発達したのに対し、日本では封建体制に根を下ろして発達したのである。

従って日本は、工業化の進展に伴う都市の発達にもかかわらず、住民が信民としての

権利意識を自覚し、地域社会や地方政治に関心を寄せ、生活の確保や向上を目指すと

いう「市民形成」は見られなかった。しかも、そのような意識は危険思想として却っ

て弾圧さえされたのである。戦後に於いてもその傾向は見られ、未だに自治意識が

理念やイデオロギーの問題とすり替えられるところに日本の後進性があると思われる

が、それでも市民形成は少しずつ進んでいる面もある。

 都市住民の多くは地方出身者であるが、前に述べたように明治時代にあっては都市

住民にとって農村は帰るべき所であり、帰られる所でもあった。都市は一時的な滞留

の地、つまり労働の場であり生活の場ではなかったのである。ところが大正に入って

から、都市移住者は長期にわたって都市に居住し農村も変化してきた為、移住者が

再び農村に戻って生活する事は困難になってきた。しかし、それでも農村が生活の

拠点であり、心の軸であると考える傾向は強く残っていた。

しかし戦後の昭和30年頃には、いわば家郷喪失という状態が起こってきた。その

原因は、農村が都市と異なった世界ではなくなった為、移住者達は心の軸としての価値

を農村に求める事が出来なくなったのである。これにより都市が労働の場であり、生活

の場でもなければならないという意識が台頭してきた。そしてそれは生活基盤、生活

環境の問題を媒介して、市民意識として捉えられるようになったと言える。しかし、

それだけでは未だ充分とは言えない。例えば地方選挙に於ける高い投票率が直ちに自治

意識の高水準を示すものではなく、都市に於ける意識の高さを誇る文化族の棄権率も

自治にとっては危険な兆候である。

このように、地域住民にとっては今なお民主的な主権者としての自覚が充分ではない

ことも事実であり、しかしその中でも市民社会の市民として、どの地域社会に住もうと

そこに永住の意志の有無にかかわらず、その地域社会と自発的共同によって向上せしめ

ようとする態度もまた、大都市近郊において特に形成される可能性が強いことも事実で

あると思われる。<終> 1975年

 

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 大学1年の時、地域社会学のレポート。結局、結論は何なのか不明(笑)。