緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)12

9.『テグジュペリとリヴィエール』2.

 彼らの結びつきは彼らの職業の中にある。ここにリヴェールが唯、独りよがりで危険

を犯しているのではないことが言える。部下一人一人を知り、完全に彼らを使いこなす

支配人、「彼リヴェールを非難するであろう彼らの気の弱い者どもを出し抜いて、彼は

いま、夜のなかへ、この新しい搭乗員を放してやるのだ。」(110頁)「勝利だの・・

・敗北だのと・・・これらの言葉には意味がない。生命は、こうした表象を超越して

すでに早くも新しい表象を準備しつつあった・・・大切なのはただ一つ、進展しつつ

ある事態だけだ。」(111頁)そして、この物語は次の言葉で終わる。「偉大なる

リヴェール、自らの重い勝利を背負って立つ勝利者リヴェール。」(111頁)

 

 最初に書いたように、テグジュペリは飛行家であった。四歳にして父を失い、それ

以来母に対して異常な程の愛情を感じていたが、恋愛に関しても悩みを持っていた。

彼の処女作「南方郵便機」において、主人公ジャック・ベルニスに自分の姿を描いて

いるように思われる。ベルニスの子供時代との内的対話に、テグジュペリ自身の生い

立ちが投影されているからである。彼はこの「夜間飛行」で、リヴェールという超人的

な人物を通し、自分の中のベルニスを振り払おうとしているのではないか。

 リビア砂漠からの奇跡的生還。テスト飛行中、海面に墜落したことなど、彼は四度

死にかけている。彼はある意味では武人であり、英雄でもあるが、その上、ここに

リヴェールという人物を創作し、何を言おうとしているのだろう。ただ読者にリヴェー

ルの精神力を称賛させるためだけにあるのだろうか。危険を冒して飛び続ける飛行士

達の勇気、そしてそれを命ずる支配人には、より大きな勇気が必要だ。しかし作者は、

その勇気さえも立派な感情であることを否定する。リヴェールが単に勇気だけを持った

人間なら、我々は何の感銘も受けないかも知れない。テグジュペリは、飛行家として

この小説を書いている。それは彼自身が体で感じ、そしてその体が語る文学なのだ。

彼は決してリヴェールではないだろう。しかし、彼にはリヴェールのような強靭な

精神力が必要だったのだ。彼は言う「僕にあっては、飛行機は決して目的ではなくて

手段だ。自分を作り上げる手段だ。」テグジュペリは、その言葉の通りに生き、死んだ

ことを我々は知っている。<終>1973年

 

      *       *      *       *

 

 高校2年の現代国語のレポート。「星の王子さま」の評価があまりにも高いので、

敢えて別の小説を選んだが、行き詰ってしまい、引用の多用、巻末の解説のパクリ

でお茶を濁してしまった。それでも評価はそこそこだったけれど。やはり、丸谷才一

が言うように読書感想文は書評であり、子供には不向きなのだろう。2017年5月