緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)10

8.めもらんだむ 3.

 彼女からの手紙を前にして、何故今頃になって彼女が手紙を書いた理由の様々な可能

性を、僕は考えた。結婚を控えたマレッジブルーから不治の病の発症まで、要因は幾ら

でもあった。唯、確かな事は彼女が今、僕を必要としている事だという気がした。僕が

彼女に連絡を取りさえすれば、すべては明白になる。しかし、僕の反応は自分でも信じ

られない程鈍かった。

 

 「私ね、本当は高校の間、ずっと男の子とこんな風に二人っきりで話すなんて絶対無

いと思っていたの。」あんみつを食べながら彼女はそう言った。「学校で男の子がたむ

ろしていると、何だか怖いの。一人一人はそうでもないかも知れないけど。だから、こ

んな事初めてだから、何だかあがちゃった。」

 店の窓からは西に傾き始めた太陽が、雲の切れ間を通して幾重にも長い光の帯を差掛

けているのが見えた。

「笑わない?」彼女は自分で笑い出しそうになりながら言った。

「うん。でも何が?」僕は何があっても笑わない準備をした。

「本当に笑わない?この間友達のニッカ(仁科)に話したら笑われたの。あのね、あん

な風に光の筋があると、そのうちの一本がすうっと伸びて来て、私を何処かへ連れて

行ってしまうっていつも考えるの。クマさん(僕は女子の間でそう呼ばれていた)は

そんな事考えた事ない?」

僕は笑わなかったし、別に笑う程の事ではないと思った。

「そんな事考えたこともないよ。」『これは現実逃避願望か他力本願的冒険心か?』

僕はそう考えたが、口には出さなかった。「まるでかぐや姫みたいだね。」それが僕の

回答だった。彼女は少し笑った。

「クマさんはいつも何を考えているの?」彼女は水を一口飲んで聞いた。

「僕はね、僕がこうすれば、こんなことを言えば他人は喜ぶだろうという事は判る。

だけど、それを敢えてしようとは思わない。」

「どうして?」

「無理にそうするのは誠実じゃないし、自分が疲れてしまうから。僕は多分優しい

人間じゃあないんだ。」

彼女はしばらく何もいわなかった。そして次に口を開いた時は、いつになく強い口調

だった。「でも私はそう思わないわ。やっぱり人の事を思いやる事は大切だと思う。

クマさんは強がっているだけよ。」今度は僕が黙る番だった。頭の中で、ポール・

サイモンの歌の一節が響いていた「But there's no tenderness beneath your honesty」

「寒くない?」彼女が両手で肘を覆うようしながら、そう言った。確かに店の冷房は

少し効きすぎだった。僕は同意し席を立った。

帰りのバスの中では、また文化祭の話で二人に笑顔が戻った。僕が先に降りるので、

別れ際、彼女は「今日はとっても楽しかった。ご馳走様でした。」と微笑んで見せた。

僕は『あれが思いやりなのかな』と思った。

 

 手紙を前に僕はまだ考えていた。彼女は雲の切れ間から差し込んだ光の筋に乗って、

何処か遠い所に行こうとしているか、行ってしまったのだ。そう考えた。

 

 そこで目が醒めた。頭の中には今まで見ていた夢が未だ鮮明に残っている。僕は慌

てて枕元のノートにこの長い夢を書いた。手紙も彼女の透けた下着もあんみつも会話も

すべて夢の中の事だった。

 数週間後のある日、僕は一通の手紙を受け取った・・・。<終>1977年

 

      *       *       *      *

 

 以前公開した「投影図」の原型。どこまでが夢で、どこが現実かよく判らないのは

作者の技量不足なのでご容赦願いたい。2017年4月