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緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)9

8.めもらんだむ 2.

 バスは各駅停車だった。だらだら坂を登って行き、もうじき駒沢という時、僕と彼女

は殆ど同時に、「あの・・・。」と言いい、僕は彼女にその先を譲った。彼女は少し恥

ずかし気に、しかしはっきりと「駒沢に美味しいあんみつ屋さんがあるの。もし良かっ

たら、これから一緒に行かない?」勿論僕に異存は無かった。運転手が次の停車駅が

駒沢であることを告げると、僕は降車のボタンを押して、彼女に微笑みかけた。彼女

は、はにかんだように笑顔を作った。まるでこれから銀行強盗に行くみたいに。

 店は246号線沿いの割と近代的なビルの二階にあり、僕等は窓際の席に案内され

た。「来年の今頃は受験で真っ青になっているかな?」「何処を受けるの?大丈夫よ」

店員が注文を取りに来て、彼女は迷わずあんみつ、僕は迷った挙句、コーヒーフロート

を頼んだ。「まだ決めてないけど、国立は無理だし。」「どうして?」「数学が全然

ダメだし、化学も物理も。僕は数字や記号が出て来ると、ぞっとしちゃう。」

「でも、英語は出来るでしょう、それに現国や古典も。」「出来るって程じゃあない

よ。」「そう?この間の英語のテストで100点じゃなかったって、悔しがっていた

って、由紀子さんが言っていたわ。」彼女の声は僕を慰めるように優しかった。しかし

僕は彼女が心配する程、受験をを気にしていない。ただ少し彼女に同情して貰おうと

気の弱い振りをしただけなのだ。そして今こうして二人だけの時間を過ごす事が、この

上もない幸せに思え、たとえ何浪しようとも、彼女さえいてくれれば、それだけでいい

と確信していた。

 「あっ、魚が跳ねた!」彼女は店の中央にある少し大き目の水槽の波紋指して、それ

がさも大事件のように叫んだ。『僕はいままで、どうでもいいつまらない事を騒ぎ立

てる者は嫌いだったし、白々しい事を言う奴も嫌だった。しかし彼女は違う。彼女が

殊更驚いた時や、判り切った事をくどくど説明する時も、僕は何故か素直にそれを受け

止める事が出来る。当然の事ながら、確かに彼女は他の誰とも違う。彼女は僕を優しい

人間にしてくれる。彼女の存在があるというだけで、僕は落ち着き、安らぐ。しかし

彼女はどうだろうか。彼女は多くの物を僕に与えてくれる。僕が彼女に与える物は

何も無い。何一つ・・・。僕はしかし、彼女に対し誠実であればいい。自分を偽らな

ければ、それでいい。』すべては所謂「恋」と「僕の思い違い」が成せる業だった。

<続>