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緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)4

4.「深沢うたたね団」の伝説

 

 G.ナッシュが運転する「サウスバンド・トレイン」から、D.クロスビーとS.

スティルスが操る「木の船」に乗り換えてマナサスに着く頃には、三軒茶屋も丸焼け

になっているだろう。僕はジュディー・コリンズに痺れて足が立たないし、誰も助け

に来ないところを見ると、このままロースト・ベアーになる他ないらしい。「くまっ

た!」なんて駄洒落に一人笑い転げていると、「チャン・チャン・ポップス」が

始まったので、仕方無いからラジオを切ると、頭の中でマシンガン・ダンディー

口笛とスナフキンのギターが、パウル・クレーの絵をバックに「山鳩」を演奏して

いる。シンセサイザーの回路を間違えたエマーソンや、脱色したジミヘン、「風に

吹かれて」を歌うツェッペリン、「あせ」をハモるCSN&Yやら・・・。どうも

頭が変テコリンになって来た。ジョニー・キャッシュ北島三郎が兄弟だったり、

フランク永井アグネス・チャンがデュエットしたり、鼻の先が欠けたクレオパトラ

が、髭を剃った風間さんを口説いたり。

 浪花千栄子さん、僕も今そこへ行きます。

 

 中学の授業中突然「七つの子」を歌いだしたという、アグリーのマヌケた顔を見ると

「ああ、今日も酷い1日になりそうだ。」と感じない訳にはいかない。学校で2/3

出席しなければならない、という事は1/3休んでいいということだ。と、教えて貰った

のを忘れたわけではないけれど、今日も来てしまった。給食のチョコマーガリンを13

個食べたというアガタ。あんな顔になったのもそのせいか? なんて考えていると、

ストーンズのブライアンを殺したのはドノヴァンだという、有名な噂を思い出した。

 それにしても今朝また頭髪がバサッと抜けた。このままだとダンディーみたいに

ハゲハゲになってしまいそう。だけど広い額=インテリなのだ。狭いのはバカだけ!

 午後になって、ひからびた空から雪が落っこちて来た。ああ、アグネス喜んでいる

だろうと、カメちゃんと顔を見合わせて笑った。頭の回転が遅いアグリーは、それから

1時間も経って同じことをニヤニヤしながら言った。だけど明日は彼女も、汚れた

雪解けを見るに違いないのだ。

 

朽ちかけた長い回廊を抜けた時、早春の陽光は眩しく暖かかった。           

透き通った新緑の若葉が風にささめくのを聞き、

僕はまた新しい詩を一つ書こうと思った。

汚れなく白い思い出をその言葉に託して、輝くこのひと時を飾ってみよう。

描きかけのカンバスに絵具を重ねて、いつかは別れてゆく二人の後ろ姿を見送るよう

に、栞をさした頁を開いて泪の跡を辿る。

流れ星が燃え尽きたら僕は広い夜空の何処かに、願い事の一つを失くしたように

星々の間を探すけれど、心の中で歌はいつも独りぼっちだった。

遠い夢の旅路をさすらう人の、あの優しい微笑みにもう一度出会えたら、

白百合の花に包まれたイースターの街に夜明けを求めて、

さあ行こうワトソン君、ガニマールでは頼りにならないからね。

 

 メガネをかけた僕の友達のおかげで、どうにかオナガの鳴き声だけ判るようになっ

た。カエルを木の枝に串刺しするというモズは、感じの悪いくちばしをしている。

最近カラスが随分多いけれど、あれはスズメが汚れたのだろうか? スズメと言えば、

僕の田舎ではヒチコックの「鳥」さながらに群れをなして飛ぶのであります。

この間、多摩川でトンビに会ったけど、彼(女) はすごいのですよ。あっという間に、

グーンと上昇してしまうのです。「トンビにアブラゲ」というのは、人があれを羨んで

作った話に違いないのだ。実際のトンビはとっても上品でアブラゲなど取らないのです

(嘘です。トンビは非常に好奇心旺盛でアブラゲだって奪うのです)。

 血を吐いて鳴くというホトトギスは、なんだか物悲しい鳥です。だけどウグイスに

ひなを育てさせるとは、調子いいんだわー。東名なんか走っていると思い出す鳥は、

フラミンゴ。どうしてかって? ニャン、ニャン。

傷ついた山鳩を助けたのは我がアグネス。借金バードは、ひょっこりひょうたん島

登場人物なのです。

 鳥が風に流されながら、それでも飛び続ける姿は、まさに感動的であります。そして

僕は人間に生まれて本当に良かったと思うひと時でもあるのであります。

 

 屋根を打つ雨音を聞いていると、心の中に、ある暖かみが伝わってくる。そんな時

僕は、浮かんでは消える面影や言葉に優しさを見つける。誰かが言った冗談にもう

一度笑ってみたり、ある故人との最後の会話に涙ぐむこともある。そして、人を傷つけ

たに違いない言葉を何度も呟きながら、心は謝罪し、許しを求めていた。

いつまで続くか分からないこの気持ちが、思い出の一つとなって、その時また今と同じ

ように微笑むことが出来るだろうか。

 雨が去り夕陽が差し込んだら、好きなレコードをかけたまま窓を開けて、通りの彼方

を見つめた。そして、瞳を閉じて明日に夢を託す、子供の自分にも別れを告げようと

思った。

 

私は再び駆け巡ろう

季節が残した足跡を辿りながら

遠い昔の感情に身を浸そう

指先で崩れていく老木のように

朽ちた渇きを癒しながら

唯巡り来る春の日に眠り

渡る風に吹かれよう

空を濡らす

如月の雨に打たれよう

芽を吹き始めた緑が

やがて輝く頃

私はまた帰って来よう

霧が晴れて光が宿る

この寂れた心を

私は再び駆け巡ろう

 

夏は遠い季節

いつの間にか広がった空を

小さな雲が流れた

もみじが輝いた

夢は途切れ

心が重く感じられた

誰の言葉も無く

面影が浮かんでは消えた

最後のつばくろが去り

落葉が庭を埋めた

寒々とした風が吹き渡った

山はもう装いを変えた

冬支度の村に人影は絶えた

やがて眠りに閉ざされ

降り頻る雪だけが

絶えず聞こえた

その静けさの中で

私は長いきざはしを上がった

思い出の中で

人は訪れ去った

泪の中で

呟きが繰り返された

私は手紙を書いた

音の無い横笛を聞いた

さようならと言った

ああ 竹藪を流れる朝靄

長逝の響きの中を渡る

私は遠い旅に出る

 

 アレサ・フランクリンの影響かは知らないけれど、「ライブ・サイモン」の「明日に

架ける橋」はすごくゴスペル風になっている。だけどやっぱりアート・ガーファンクル

がいなくては。あの澄み切った男性最高部音のテノールには、何故か感動するのです。

S&Gの持つ寂しげな、そしてハードな感じというものは、みんなアーティーのもの

なのでしょう。そして3月30日にはサイモンが来日します。きっとコンサートは

満員、またレコードも売れることでしょう。だけど小学生の時からの付き合いである

僕にしてみれば、ちょっと不愉快でもあるのです。

 S&Gがデビューして10年。この間には僕等自身にしても、色々な事があった。

僕は唯すべてが綺麗な思い出になるよう、星に願うのであります。

 という訳でどうやらマナサスに着いたらしいので、冬眠の続きをしようと思います。

だけど春になったら、また会おうね。 おやすみなさい。クマ<終>1974年1~3月

 

    *     *     *     *     *

 

 高校2年の3学期、私達はクラスで「機関誌ダンディー」を発行していた。これは

その一部分、私が書きなぐった雑文。2017年2月