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緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)2

2.谺(コダマ)

 僕はもう少しで泣き出しそうだった。こんなに遠く迄一人で来たのは初めてだった

し、僕の大好きなお母さんからはいつも「森には恐ろしい鬼がいるから、絶対行って

はいけません。」と言われていたのに、今朝、そのお母さんと喧嘩した後、気付くと

僕は森へと続く細い一本道を歩いていた。だけど今日はこんなにいい天気で、木立の

間から小鳥達のさえずりが僕を誘っているし、それに僕の気持ちを少しも分かって

くれないお母さんを、少し心配させてやろうという気も手伝って、思い切って森の中

に入って行った。

 しばらく歩いてみても鬼なんかいる様子は無く、僕は木漏れ日の当たる柔らかい草

の上に寝転がって、「お母さんなんか嫌いだ。」と呟くと、急に瞼が熱くなって涙が

とめどなく流れた。そして僕はいつの間にか眠っていた。

 それからどれだけ時間がたったのだろう。目が覚めた時はもうほとんど夜になって

いた。僕は驚いて飛び起き、あたりを見回したけれど、微かな月明りではさっき通っ

てきた道もまるで分らず、小鳥のさえずりの代わりにフクロウの声が不気味に響いて

いるだけだった。僕は急に怖くなり泣き声で「お母さーん」と叫んだ。すると遠く

で誰かが「お母さーん」と呼んだ。僕によく似た子供の声だった。『誰か同じように

迷った人がいるのかしら』

「誰かいるの?」僕は期待しながらもう一度叫んだ。「誰かいるの。」また遠くで

誰かが答えた。「僕はここだよ」・・・「僕はここだよ」何処かにもう一人子供が

いることは間違いない。この森の中で独りぼっちじゃないと分かると僕は少し元気が

出てきた。でもその時、『森の中には鬼がいる』というお母さんの言葉を思い出し、

あの声の主が鬼だったらと考え、「君は鬼なの」僕は恐る恐る、でも大きな声で聞い

た。「君は鬼なの」相手も怯えながら尋ねた。「僕は鬼なんかじゃないよ」僕は答え

た。「僕は鬼なんかじゃないよ」遠くから返事が聞こえた。『相手が鬼じゃなくて良

かった。でも怖い鬼なら僕を騙して食べちゃう事くらい朝飯前だろうな。それに、

さっきから僕と同じ事しか喋らないのはどうしてだろう?』僕はそう考えて思い切って

「君は誰だい? どうして僕と同じことしか言わないの」と聞いてみたら、今度はすぐ

近くから声がした。

「僕はコダマだよ」「コダマ?」僕はびっくりして、あたりを探したけれど誰もいな

かった。「そうコダマさ」「何処ににいるの」「君の目の前の大きな木の中さ」「木

の中で何をしているの」「何もしていない、時々人間が来て大きな声で呼ぶのに答える

だけさ。ところで君はどうしてこんなにおそく、ここにいるんだい?」「お母さんと

喧嘩してここに来たら、いつの間にか眠っちゃったんだ。」

「どうして喧嘩したんだい。お母さんが嫌いなの」「違うよ、お母さんは大好きさ。

だけど・・・」「だけどどうしたの」「僕は新しいお父さんなんか欲しくないんだ」

するとコダマは木の枝をゆすってカラカラと笑った。

「何がおかしいんだい」僕は怒ってそう言った。「ごめんよ、だけど君は幸せだね。

お母さんがいるし、お父さんだってもうすぐできるんだもの。僕は君が生まれる

ずうっと前からこの森に一人でいるんだよ」

「僕はお母さん一人でいいんだ」

「それは困ったね。でもきっとお母さんは君の為に新しいお父さんを探して来たんだ

と思うよ」

「そんなの嘘だよ。お母さんは僕なんかどうでもいいと思っているんだ。僕の事、もう

嫌いなんだよ」僕は泣き出した。

「そんなことはない。ほら今誰か君を探して森の中を歩いて来たよ」

「どうしてそんな事が分かるの」「僕は森の中のことはみんな分かるんだ。フクロウ

君よりもね」するとずっと遠くから僕の名前を呼ぶお母さんの声がした。「お母さん」

僕は叫んだ。それに答えるようにお母さんの声がこだました。

「僕の言う通りだろう。だけどお母さんだけじゃないよ、男の人も一緒だ。きっと君

のお父さんになる人だね」僕は何も答えなかったけれど、コダマはまたカラカラと

笑った。「いいことを教えてあげよう。二人が迎えに来たら、君のお父さんになる人

の手を握ってごらん」「どうして」コダマはそれには答えず「さあ、もうそこまで来て

いる。それじゃあさよなら」コダマが言い終わるとすぐ、お母さんが男の人と息を切ら

して駆けつけて来た。

 僕はお母さんに抱きついて泣いた。『ごめんなさい』と言おうとしたけども、言葉

にならなかった。男の人は黙って微笑んで僕を見ていた。「さあ帰りましょうね」

お母さんは僕の手を取った。僕はコダマに言われた通り、もう片方の手を恐る恐る

男の人に伸ばした。男の人は頷いて僕の手を握った。その手は大きくごつごつして

いて、お母さんのように優しくなかったけれども、その代わり力強く暖かかった。

僕もそれに負けないよう力を込めて握り返した。

 二人に挟まれて歩き出した僕は、後ろを振り向き大きな声で「さよなら」と叫んだ。

お母さんは不思議そうに僕の顔を見た。「コダマにさよならって言ったんだ」僕は

二人を見上げて得意げに言った。「おかしな子」お母さんと男の人は嬉しそうに笑っ

た。僕はそれに合わせてカラカラと笑う、コダマの声が聞こえたような気がした。

<終> 1977年11月

 

       *    *    *    *    *    *

 

 1975年、私はなんとか現役で大学生になった。ところが前作の登場人物アグリーが

一浪して、なんと同大学同学部同学科同専攻に入学して来た。彼は相変わらず音楽を

続けていたが、何を思ったか「童話創作会」というサークルに入っていた。結論から

言うと私は彼のゴースト・ライターで本作を書いた。従ってオフィシャルには著者名

はアグリーのままである。2017年1月