緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 15

8.「♩ ・・・♩・・・」ニッカは必死にリズムを刻んだ

 ナッパは正門側の自転車置き場の所で待っていた。『いやあ、お待たせしてゴメン。さあ行きましょうか』

と言おうとしたクマは、彼女の隣にニッカが立っているのを見て、思わず言葉に詰まってしまった。

「ニッカが付き添いで来てくれるって。」ナッパは嬉しそうに言った。

アガタはクマの不運を笑いながら行ってしまい、てっきり彼女が一人で来るものと勝手に信じ込んでいたクマ

は、仕方なしに二人を促して歩き出した。『何か話さねば』焦るクマの前には、お馴染みインケンの見えない

壁が立ちはだかり、彼を拒んでいるかのように二人でケラケラ談笑している。 『これじゃ唯の道案内だ』クマ

意地になって速く歩き、前を行くクマと二人との距離は3m、5m、最大10mまで開いて、彼のセーター

の中は汗だくになった。こんな筈ではなかった20分の道程が彼には途轍もなく長く感じられた。

 ようやくセンヌキの家に着くと、待ち構えていたようにアグリーが階段を飛び降りて来て、自分が風邪で

寝込んでいた間のクラス合宿の準備の進捗状況を、さも心配そうに尋ねている。『いい子ぶるのはよせ!』

すっかりいじけたクマは、迎えに行った事を後悔するのだった。

 早速、練習が始められたが、クマの予想通りアグリーは強引に出しゃばってきて、ギターを弾くことに

なった。ところが信じられないことが起きた。ナッパは先天的ともいうべきリズム音痴で、音程はほぼ合っているの

だが、全く伴奏に乗れない。イントロが終わって歌が出ない、メロからサビへ移る時、走る、間奏を飛ばす。

誰かがガイドで一緒に歌うとなんとか追いついて来るのだが、本番は一人で歌わなければならないのだ。

『これは重症だ』相手がナッパでなければ、気の短いクマはとっくに怒鳴り散らしているはずだったが、

あくまで微笑みを絶やさず、しかし少し顔を引きつらせながら、何度も同じフレーズを繰り返す。歌い手の

リズムの変化に臨機応変に対応するNHKのど自慢のバンドリーダーの苦労がわかるような気がした。しかも

「うたたね団」自体にその技量も無かった。それを見てニッカは手やら足を使って、必死にリズムを教えよう

とするのであったが、すべては徒労だった。ニッカは、ボーイッシュな短髪の運動神経抜群の女子で、いつ

だったかクラス対抗のハンドボールの試合で、見事な倒れ込みシュートを放ち、クマはひどく感動した記憶が

あった。運動神経とリズム感に関連があるのかは不明だが・・・。

それはともかく、あのアグネスチャンの歌声をDOLBY NR ON で録音し、OFF で再生するような声で歌って

いるナッパも、次第にうつむきかげんになって来て、何やら気まずい雰囲気が漂ってきた時、センヌキの母親

が救いの差し入れを持ってきた。

「センヌキのところには、めったに女の子の来客が無いのに、今日は二人も来て母上が驚いていたじゃな

い。」何とか場を明るくしようとするクマの冗談に、声を出して笑ったのはアグリーだけだった。クマは

反響の少なさを意外に思いながら、残ったドクターペッパーの姉妹品ミスターピブを飲み干した。<続>