緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 2

1.「コンサートやらないか」アグリーが言い出した (2)

 レコーディングごっこであるからして、スタジオでやるわけではない。その頃の彼等の小遣いは、

学用品を除き月々LPレコード1枚とギター弦を買う位が精一杯で、レンタルスタジオを借りる余裕

など無かった。もっともスタジオ自体、当時はそれ程一般化しておらず、数も少なかった。

 しかしエレクトリック・ギターをアンプに繋げば大きな音が出る。という点ではプロもアマチュアも

違いはない。近所迷惑なギター小僧がまずしなければならないのは、場所探しである。

幸い大学教授をしているというセンヌキの父親が、自宅二階にある20畳程のリスニングルームを、

レコードを聴くだけでは飽き足らなくなった、苦悩する若き芸術家の卵達に開放してくれたのだった。

20世紀最大のメロディーメーカーになる予定のアグリーの処女作の制作はこうしてはじまった。

 しかし3人共負けず劣らず自分勝手な気分屋で、そもそも人の為にに何かしようという性格が、

少し欠如していた。 肩からカセットデッキを背負い、両手にエレキと生ギターを提げ、自宅のある

三軒茶屋から上野毛までバスでやって来る途中、クマは殆どヤル気を無くしてしまい、その不機嫌

そうな顔を見たアグリーは、委縮してなかなか思い通り進められなくなってしまった。センヌキは

いたって元気なのだが、如何せん彼の音楽レベルはクマやアグリーのそれとは桁外れに低かった。

「だからさ、”観覧車”はモノになるとおもうよ。」痩せぎすで人気絶頂の吉田拓郎風オカッパ頭を

したセンヌキが3ヶ月伸ばしっぱなしの3ミリの髭摩りながら言う。その言葉に自称吟遊詩人、神経質

な割には肉付きの良いクマも仕方なしに頷く。「じゃぁ、それやるべ。」イヤラシイ眼差しと分厚い

唇さえ無ければ、長身でスマートなアグリーが気のなさそうな声で返事した。

「でもその前に写真を撮ろうよ。」センヌキがニコンFを出してきたので、全員一致その日は”レコー

ディング風景”の写真を撮る事に決まった。

 どうも彼等は音楽の本質とは関係無い部分でミュージシャンしており、肝心な録音は一向に進む

気配もなかった。

そういったダラダラ・ムードがアグリーの自作 ”僕達のナパガール” という曲になって、何故か俄然

乗り始め、あるだけの打楽器をダビングし、ようやくノリノリの雰囲気が出て来た。

 その日夕方、センヌキの母親が差し入れてくれた夕食を食べながら、

「せっかくこうして練習したんだからさ、コンサートやらないか。」とアグリーが言い出した。

何事にも軽いセンヌキが賛成する。「あっ、いいねそれ、やろうよ。」

「うーん、そうだねぇ・・・。」二人はクマのその次の言葉を待った。クマはなかなかYESと

言わないが、一度そう言ったら必ずそれをやる男、アイツに任せれば間違い無い。その点だけは、

彼は仲間内で一目置かれている。

「どうせ2年生も、もう3月で終わりだし、3年になればクラス替えで受験勉強も少しはしなきゃ

いけないし、最後に皆でパーッとやろうよ。」”別れ”とか ”最後”とか哀愁を帯びた言葉に弱いクマの

性質を知るアグリーがたたみこむ。

「うーん、いいかもね。最後にね”さよなら”いや ”フェアウェル・コンサート” か、やろうか。」

フェアウェル・コンサート・・・クマがその言葉の響きに酔い痴れている時、アグリーとセンヌキは

目でうまくいった合図した。  <続>