緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)65

45.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(27) 「ねえクマさん、ちょっといい」 午前の授業が終了して帰り支度をするクマにヒナコはそう切り出した。クマは返事はせず顔だけ彼女の方に向ける。 「あのう、7組の藤森君って知ってる…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)64

44.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(26) 放課後、言われた通りクマが職員室へ行くと、重藤教員は何か書き物をしていた。「3年1組のクマです。何か御用でしょうか」そう声をかけると彼女は顔を上げ「別に今更名乗らなくても…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)63

43.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(25) 10月に入ると校内の雰囲気はいよいよ文化祭一色に染まり、各クラスとも連日夜まで残って準備に追われていた。通常クラブ活動は、午後の3限目の授業が終了する16時から18時まで…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)62

42.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(24) 「そろそろ」クマはそう切り出すと皆の顔を見ながら続けた。「演目を全て決めないと間に合わなくなると思うんだけど」、アグリー、ヒナコ、ムーの三人は夫々頷く。 1974年9月、…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)61

41.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(23) 「それで、お葬式には行ったの」ヒナコがクマにそう尋ねた。梅雨明けは未だ正式に は伝えられていなかったが、午後の校舎の屋上には心地良い風が流れ、遠く駒沢給水塔 の青いドーム状…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)60

40.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(22) ヒナコさんグループでの活動を続けながらも、クマは来年二月に迫った大学受験の事 を忘れた訳ではなかった。そしてその為に相変わらず授業終了後は真っ直ぐ帰宅し、午 睡を取った後夕…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)59

39.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(21) 1974年9月27日。その日、世田谷区民会館で行われる文化祭まで残りあと三ヶ 月を切っていた。その舞台で「ヒナコさんグループ」に与えられる時間は未だ不明だっ たが、演奏する…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)58

38.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(20) ムーの摩訶不思議な新曲を何とか征服した翌日、クマは「ヒナコさんグループ」を定 められた練習日ではなかったが緊急招集した。用件は勿論、自分が考え抜いたアレンジ を皆に聞かせ称…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)57

37.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(19) 結局、アメリカのニクソン大統領は辞任し、軍用ヘリコプターに乗ってホワイトハウ スから姿を消した。極東の日本にそのニュースが報じられた頃、東京は漸く鬱陶しい 梅雨空が晴れて、…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)56

36.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(18) 6月に入って鬱陶しい梅雨空が続いた。そして下旬から本格的に降り始めた雨は、 月が替わると台風8号の影響を受け、全国に甚大な被害を与えた。クマ達が住む世田 谷、目黒付近も一級…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)55

35.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(17) 『変わってないな』六年前二週間余りの間、ずっと閉じ込められていたその建物を、 クマは久し振りに見てそう呟いた。そして正面玄関から中に入ると、ひんやりとして少 し消毒液の臭い…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)54

34.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(16) 1964年10月、そこでは世界93か国の色とりどりの国旗がはためき、「より早 く、より高く、より強く」をスローガンに、バレーボール、レスリング、サッカーとい った競技が行わ…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)53

33.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(15) 「クマさん、こんにちは」特に待ちわびていた訳ではないが、顔を上げるとそこには チャコが立っていた。 「今度、世田谷区民会館に出るんですって」それを聞いてクマは、少し目を大き…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)52

32.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(14) 結局その日、バンド名は決まらなかった。その一番の原因は誰も気の利いた名称を思 いつかなかったからだ。それでも文化祭準備委員会に出演申請の手続きをしなければな らない。「取敢…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)51

31.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(13) 「今を尊ばなければ一体 ”いつ” という時があるのか」確かにクマはそう言った。しか し、そうは言ってみたものの具体的に何をすればいいのか、彼自身全く見当もついて いなかった。『…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)50

30.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(12) 「でもほんと、何やる」今度はアグリーが言った。等々力のヒナコの家では、カセッ トテープ聞き終えても四人の話は全く進んでいなかった。 「とにかく何か面白い事がいいな。あっ、面…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)49

29.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(11) ヒナコは迷っていた。確かに歌を歌うことは子供の頃から好きであったし、また得意 であると自覚もしていた。どんな曲でも二三回聴けば覚えられ、音を外すことも無かっ た。そして体を…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)48

28.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(10) その日、等々力にあるヒナコの家にムー、アグリーそしてクマの四人が集まり、記念 すべき第一回目のミーティングが開かれた。あの2年4組フェアウェル・コンサートか ら二か月余り、…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)47

27.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(9) クマはまた深沢八丁目のバス停へ通じるいつもの桜並木を歩いていた。女性司書教諭 との会話に示唆されるところはあったし、なにより人見知りもせず自然に話が出来た事 が嬉しかった。 …

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)46

26.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(8) 「クマくん」若い女性司書教諭はそう声を掛けると、直ぐに「あなたに悪いニュース があります」と、外国映画の台詞を直訳したかのような表現で続けた。しかし、それを 聞いたクマは別に…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)45

25.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(7) 昼休みが終了し五時限目の授業開始のチャイムが鳴り始めても、クマは図書室から出 ようとはせず、机の上のレポート用紙の束を前に座ったままだ。昨夜から殆ど一睡も 出来なかったせいで…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)44

24.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(6) まだ春休みだった四月初め、明治神宮での初デートで、二年間恋焦がれ続けたナッパ といきなり口論をしてしまい、それ以来クマは少し冷却期間を置いていた。いや、その 表現は正しいとは…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)43

23.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(5) アグリーとヒナコを振り切って校舎を出たものの、クマは深沢八丁目のバス停に続く いつもの桜並木を歩きながら、また考え事をしていた。 そんな彼とは逆方向に歩く若い女性の集団が、声…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)42

22.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(4) 「い、や、だ。くどいよ。何でもいいからオレを巻き込まないでくれる」クマはいつ になく声を荒げた。 五月下旬、デューク・エリントン死去の報が世界中を駆け巡っている頃、ジャズとは…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)41

21.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(3) 「クマさーん、お客さーん」 三年でもまた同じクラスになったメガネユキコが、彼ら の部屋、三年一組の出入り口からそう呼んだ。クマが何事かと訝しがりながらそこまで 行くと、全く知…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)40

20.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(2) そして1974年4月、部員数わずか11名の池田高校野球部が、春の甲子園で準優 勝した事を称賛する余韻がまだ残る頃、クマはたった一人で新たな戦いを始めていた。 高校3年になって…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)39

19.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)1. 予告 ずっとこのブログの事が気になっていた。幾つかの下書きも残っている。それでも更 新に至らなかったのは単に怠慢と言うよりも、新たに始めた「風のかたみの日記」とい う短編を主体と…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 後書き

1975年夏、私はこの物語を書いた。きっかけは一浪中のメガネユキコ女史からフェア ウェル・コンサートのテープの追加注文の連絡を受け、理由を訊けば、当時同級生だっ た女子が入院治療中なので見舞いに持って行きたいと言う。私はかろうじて大学生に なって…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 番外編

13.春の訪れ フェアウェル・コンサートが終わって数日間、クマはライブレコーディングした90分のカセットテープ 2本を何度も繰り返し聴いていた。テープの注文はアグリーが20近く集めていたが、そのままダビングする のではなく、編集して何とか1本…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 20(最終回かな?)

12.「Don't Think Twice, It's All Right」クマは呟くように歌った とにかく何とか終わったのだ。アグリーはコンサートのライブテープの注文を取って回っていた。クマの ところにはヒナコとムーがやって来て、「3年で同じクラスです。よろしく。」と挨拶し…