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緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)14

10.韓国1995年(釜山、慶州、ソウル)2. 2. Sleepless night on Camellia 船での渡航という言葉には、何かしらロマンチックな響きがあるが、別にタキシード 持参、豪華客船の旅という訳でもなく、ましてや数時間の航海である。そして乗船した 途端…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)13

10.韓国1995年(釜山、慶州、ソウル)1. 確かに「百聞は一見に如かず」の言葉の通り、現地に赴き、その国の空気を体感 することは、何にもまして得難い経験である。以下はある研修に参加し、初めて 韓国へ行った取り留めのない雑感である。 1. 韓国…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)12

9.『テグジュペリとリヴィエール』2. 彼らの結びつきは彼らの職業の中にある。ここにリヴェールが唯、独りよがりで危険 を犯しているのではないことが言える。部下一人一人を知り、完全に彼らを使いこなす 支配人、「彼リヴェールを非難するであろう彼ら…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)11

9.『テグジュペリとリヴィエール』1. アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは、先ず職業飛行家であり、そして作家 である。その事実を抜きにして、彼の文学を考える事は出来ない。彼は自分の職業 を通して多くの事を語っているが、この彼にとって二作目…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)10

8.めもらんだむ 3. 彼女からの手紙を前にして、何故今頃になって彼女が手紙を書いた理由の様々な可能 性を、僕は考えた。結婚を控えたマレッジブルーから不治の病の発症まで、要因は幾ら でもあった。唯、確かな事は彼女が今、僕を必要としている事だと…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)9

8.めもらんだむ 2. バスは各駅停車だった。だらだら坂を登って行き、もうじき駒沢という時、僕と彼女 は殆ど同時に、「あの・・・。」と言いい、僕は彼女にその先を譲った。彼女は少し恥 ずかし気に、しかしはっきりと「駒沢に美味しいあんみつ屋さんが…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)8

8.めもらんだむ 1. その日、僕は一通の手紙を受け取った。差出人の署名は無かったが、その筆跡に僕は 誰からの物であるか了解した。-今更手紙なんてーしかし、僕は長い間それを、待って いたような気がした。 あれは何時の事だったろう。高校を卒業して…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)7

7.日記(1974年1月10日) ソッピーズ・キャメル 寂しい正月は終わった。夢を乗せて走った去年の日々を、最後まで信じていた愛を、 忘れる事は出来ないだろうが、この切ない想いよりなお、明日は哀しみを忍ばせながら 僕を染め変えて行く。 「今」という時…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)6

6.十七歳の夏(つづめ) ブラック・クイーン 通りをうずめる色づいた言葉が、きっと遠い季節の中に、一度は信じた愛や涙が あったことを思いださせてくれるだろう。長い間見続けた夢の、一つ一つの影が薄く なってゆく。人にとって、出会いがいつもそうで…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)5

5.現国のテスト「詩について」 こうやって詩の事を改めて考え直してみると、全く訳が分からなくなってしまう。 それ程詩が生活に密着しているとは思わないが、詩との出会いが無ければ、今の僕 ではない僕になっていたに違いない。 僕が学校で書かされる以…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)4

4.「深沢うたたね団」の伝説 G.ナッシュが運転する「サウスバンド・トレイン」から、D.クロスビーとS. スティルスが操る「木の船」に乗り換えてマナサスに着く頃には、三軒茶屋も丸焼け になっているだろう。僕はジュディー・コリンズに痺れて足が立…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)3

3.投影図 県境の鉄橋を渡る電車の鈍い響きに、建付けの悪い下宿の窓が少し共振した。 ー 明日、僕ハ、コノ部屋ヲ出テ行ク。 荷造りの済んだ狭い部屋を見回して、彼は煙草に火を付けた。学生生活が終わった事、 そして明日から社会に出て行くことが、吐き出…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)2

2.谺(コダマ) 僕はもう少しで泣き出しそうだった。こんなに遠く迄一人で来たのは初めてだった し、僕の大好きなお母さんからはいつも「森には恐ろしい鬼がいるから、絶対行って はいけません。」と言われていたのに、今朝、そのお母さんと喧嘩した後、気…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)1 

1.予告 告別演奏会顛末記にアクセスして下さった方々、改めて御礼申し上げます。これから は、小生の過去の小品を連載して行きたいと思います。どれも相変わらず駄文ですが、 よかったらお付き合い下さい。内容は何でもありです。とは言っても無計画なので…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 後書き

1975年夏、私はこの物語を書いた。きっかけは一浪中のメガネユキコ女史からフェア ウェル・コンサートのテープの追加注文の連絡を受け、理由を訊けば、当時同級生だっ た女子が入院治療中なので見舞いに持って行きたいと言う。私はかろうじて大学生に なって…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 番外編

13.春の訪れ フェアウェル・コンサートが終わって数日間、クマはライブレコーディングした90分のカセットテープ 2本を何度も繰り返し聴いていた。テープの注文はアグリーが20近く集めていたが、そのままダビングする のではなく、編集して何とか1本…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 20(最終回)

12.「Don't Think Twice, It's All Right」クマは呟くように歌った とにかく何とか終わったのだ。アグリーはコンサートのライブテープの注文を取って回っていた。クマの ところにはヒナコとムーがやって来て、「3年で同じクラスです。よろしく。」と挨拶し…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 19

11. 「せっかく・・・」センヌキが恨みがましく非難した 会場を三年四組に移して、マイクのセッティングやミキシングの調整が行われ、それが終わるとナッパから 春休みに行う最期のクラス合宿の説明があった。彼女の服装は白のブラウスに黒く細いリボンを垂…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 18

10.『すべてとお別れだ』クマは心の中で呟いた(2) いよいよ明日が本番という日、巷ではルバング島から帰還した小野田少尉の話で持ち切りの時、「深沢うた たね団」は、軽い打ち合わせのつもりで全員がNAPスタジオに集まった。幻のリードギタリストの…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 17

10.『すべてとお別れだ』クマは心の中で呟いた(1) コンサートを数日後に控えて、センヌキの家での I, S & N の練習は、連日夜まで続けられた。しかし今まで 吉田拓郎の歌が全てだと信じてきたセンヌキに、クマの高度というよりは変則チューニングを使…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 16

9.「何故もっと早く・・・」ダンディーが恨み言を言った 再びレッスンが始められたが、ナッパの持って生まれたリズム感の無さから、これ以上の練習は時間の無駄 のように思えた。するとアグネスチャン・ファンクラブ会員のカメが、カラオケテープを作り彼…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 15

8.「♩ ・・・♩・・・」ニッカは必死にリズムを刻んだ ナッパは正門側の自転車置き場の所で待っていた。『いやあ、お待たせしてゴメン。さあ行きましょうか』 と言おうとしたクマは、彼女の隣にニッカが立っているのを見て、思わず言葉に詰まってしまった。…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 14

7.「ごちゃごちゃ言ってんじゃねーよ」アガタは迫力ある顔にものを言わせた(2) 翌日、クマはアガタの家へ行き、アガタが知り合いから引っ掻き集めたギターアンプ類を、二人でセンヌキ の父親から分捕った感のある「上野毛NAPスタジオ」までバスで運んだ…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 13

7.「ごちゃごちゃ言ってんじゃねーよ」アガタは迫力ある顔にものを言わせた(1) クマ達はその日、機関誌 "DANDY" 最終号の編集の為、試験休み中ではあったが登校した。一番最初に教室 に入ったクマは、女子が数名いるのを見て一瞬驚いたが、すぐに『クラ…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 12

6.「月の法善寺横丁」??? 4月から高校3年に進級することを控え、卒業後の進路に合わせてクラスの振り分けをする参考の為、学校 側による「進学」「就職」、そして「進学組」は国公立大学、私立大四年制、短大のそれぞれ理系、文系別の 個人調査が行わ…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 11

5.「青純がいるのに」皆そう思った 実質二ヵ月位しかない第三学期は、瞬く間に過ぎた。その間クマは、オリジナル全8曲からなるソロ・アル バムのテープ第二弾を、極一部の学友諸君に対し緊急発表し、アグリーも新曲を2曲作った。アグリーは20 世紀最大の…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 10

4.「許せない!」クマはジェラシーの炎に身を焦がした(2) アグリーによる投稿に対する『夢診断』は次のように書かれていた。 天国の花園より夢見る少女へ・・・ 若い日々の一つの愛は、あなたを今まで行ったことの無い所へ連れていってくれる。 愛を与…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 9

4.「許せない!」クマはジェラシーの炎に身を焦がした(1) フェアウェル・コンサート出演依頼に対するナッパからの返事は直接届けられず、教室の壁にアガタが何処 からかくすねてきて取り付けた "DANDY" の投書箱に入れられていた。それを最初に取り出し…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 8

3. 「私は怒っています」ナッパは電話の向こうで泣いた (3) 話が少し遠回りしたが、機関誌 "DANDY" の編集は毎週木曜日に行われていた事は既に述べた。そんなある 日、現国のテストの答案が返って来た。教員チカン清水は一人ずつ名前を呼んで教壇から返却す…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 7

3. 「私は怒っています」ナッパは電話の向こうで泣いた (2) 『五行 ①中国古来の哲理にいう、天地の間に循環流行して停息しない木・火・土・金・水の五つの元気。 万物組成の元素とする。』(広辞苑第六版より抜粋) 現国の教員チカン清水は中間、期末といっ…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 6

3. 「私は怒っています」ナッパは電話の向こうで泣いた (1) センヌキは安美津子ことメガネユキコにフェアウェル・コンサート出演を依頼したが、あっさり断ら れてしまった。彼女は学級委員でそこそこ成績も良く、ズケズケものも言ったが、傲慢なところは無 …

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 5

2.「僕達は週刊DANDYを発行します」編集部一同が宣言した (2) 一方コンサートの方は、「2-4 フェアウェル・コンサート」と名をうって "DANDY" の紙面を借り、 PRが始められた。 「ウッドストック、バングラデシュと並ぶ愛と平和と音楽の祭典」とは、無論…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 4

2.「僕達は週刊DANDYを発行します」編集部一同が宣言した 1974年1月、”軍艦島”と呼ばれる高島炭鉱閉山のニュースが流れていた。 それとは全く関係無く、深沢 全共闘兼新聞委員のアガタの発案のもと、機関誌がクラス内のみ発行される事になった。 全共闘と言…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 3

1.「コンサートやらないか」アグリーが言い出した (3) アグリーのソロアルバム制作は、手持ちの作品がまだ残っていたが、開始時に時間を浪費し過ぎた為、結局 4曲録音して取敢えず終了した。 残りは後にアグリーとセンヌキ二人がベーストラックを作り、ア…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 2

1.「コンサートやらないか」アグリーが言い出した (2) レコーディングごっこであるからして、スタジオでやるわけではない。その頃の彼等の小遣いは、 学用品を除き月々LPレコード1枚とギター弦を買う位が精一杯で、レンタルスタジオを借りる余裕 など無か…

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 1

1.「コンサートやらないか」アグリーが言い出した (1) 国道246号線、通称玉川通りは駒沢を過ぎると多摩川に向かってだらだら坂が続く。その途中、 深沢八丁目のバス停から駒沢通りへ抜ける桜並木の道沿いに東京都立深沢高校はあった。 創立されてから10年…