緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)54

34.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(16) 1964年10月、そこでは世界93か国の色とりどりの国旗がはためき、「より早 く、より高く、より強く」をスローガンに、バレーボール、レスリング、サッカーとい った競技が行わ…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)53

33.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(15) 「クマさん、こんにちは」特に待ちわびていた訳ではないが、顔を上げるとそこには チャコが立っていた。 「今度、世田谷区民会館に出るんですって」それを聞いてクマは、少し目を大き…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)52

32.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(14) 結局その日、バンド名は決まらなかった。その一番の原因は誰も気の利いた名称を思 いつかなかったからだ。それでも文化祭準備委員会に出演申請の手続きをしなければな らない。「取敢…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)51

31.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(13) 「今を尊ばなければ一体 ”いつ” という時があるのか」確かにクマはそう言った。しか し、そうは言ってみたものの具体的に何をすればいいのか、彼自身全く見当もついて いなかった。『…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)50

30.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(12) 「でもほんと、何やる」今度はアグリーが言った。等々力のヒナコの家では、カセッ トテープ聞き終えても四人の話は全く進んでいなかった。 「とにかく何か面白い事がいいな。あっ、面…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)49

29.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(11) ヒナコは迷っていた。確かに歌を歌うことは子供の頃から好きであったし、また得意 であると自覚もしていた。どんな曲でも二三回聴けば覚えられ、音を外すことも無かっ た。そして体を…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)48

28.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(10) その日、等々力にあるヒナコの家にムー、アグリーそしてクマの四人が集まり、記念 すべき第一回目のミーティングが開かれた。あの2年4組フェアウェル・コンサートか ら二か月余り、…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)47

27.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(9) クマはまた深沢八丁目のバス停へ通じるいつもの桜並木を歩いていた。女性司書教諭 との会話に示唆されるところはあったし、なにより人見知りもせず自然に話が出来た事 が嬉しかった。 …

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)46

26.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(8) 「クマくん」若い女性司書教諭はそう声を掛けると、直ぐに「あなたに悪いニュース があります」と、外国映画の台詞を直訳したかのような表現で続けた。しかし、それを 聞いたクマは別に…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)45

25.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(7) 昼休みが終了し五時限目の授業開始のチャイムが鳴り始めても、クマは図書室から出 ようとはせず、机の上のレポート用紙の束を前に座ったままだ。昨夜から殆ど一睡も 出来なかったせいで…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)44

24.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(6) まだ春休みだった四月初め、明治神宮での初デートで、二年間恋焦がれ続けたナッパ といきなり口論をしてしまい、それ以来クマは少し冷却期間を置いていた。いや、その 表現は正しいとは…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)43

23.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(5) アグリーとヒナコを振り切って校舎を出たものの、クマは深沢八丁目のバス停に続く いつもの桜並木を歩きながら、また考え事をしていた。 そんな彼とは逆方向に歩く若い女性の集団が、声…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)42

22.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(4) 「い、や、だ。くどいよ。何でもいいからオレを巻き込まないでくれる」クマはいつ になく声を荒げた。 五月下旬、デューク・エリントン死去の報が世界中を駆け巡っている頃、ジャズとは…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)41

21.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(3) 「クマさーん、お客さーん」 三年でもまた同じクラスになったメガネユキコが、彼ら の部屋、三年一組の出入り口からそう呼んだ。クマが何事かと訝しがりながらそこまで 行くと、全く知…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)40

20.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(2) そして1974年4月、部員数わずか11名の池田高校野球部が、春の甲子園で準優 勝した事を称賛する余韻がまだ残る頃、クマはたった一人で新たな戦いを始めていた。 高校3年になって…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)39

19.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)1. 予告 ずっとこのブログの事が気になっていた。幾つかの下書きも残っている。それでも更 新に至らなかったのは単に怠慢と言うよりも、新たに始めた「風のかたみの日記」とい う短編を主体と…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)38

18.干支に因み~「PEANUTS」の魅力(4) 長らく放置していたこのタイトル・ブログを再開しようと考えていた矢先、NHK BSプレミアム「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」で、「スヌーピー最後のメッ セージ」が放送された。案内役の川尻エリカには…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)37

小休止(3) 貼り忘れた写真(或いはカナユニ再訪) 私はレストラン・カナユニについて、このソメチメス(32)から(36)、約12,300文字、 凡そ原稿用紙31枚を費やし私見を述べた。残念ながら元原稿から削除した部分を含めれ ば、安易な卒論程度の量にはなったと思…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)36

小休止(2) 新生老舗レストランを南青山に訪た <その5> そしてT氏はワインを一口飲み漸く口を開いた。「これ、味はいいんだけど、兎に角 強烈だ。」と理解不明な言葉を呟いた。私も早速残った一欠片を取り皿に乗せ、更に小 さくフォークで切って口に運んだ…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)35

小休止(2) 新生老舗レストランを南青山に訪た <その4> ところで我々には一つ気掛かりな点があった。それはかって種々便宜を図ってくれた 浅見さんの姿が見えない事だった。私は氏の風貌から随分高齢と思い込んでいたが、カ ナユニへの道すがらT氏から我々…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)34

小休止(2) 新生老舗レストランを南青山に訪た <その3> 「追伸。カナユニオーナーの息子さんマコトさんが南青山にカナユニをオープンさせ たそうです。」今年3月初旬、それを伝えたのは私の近況報告メールに対する、赤坂の 知人(以下、T氏という)からの…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)33

小休止(2) 新生老舗レストランを南青山に訪た <その2> 次に私が考えたのは、大学時代の同級生二人の事だった。我々三人は卒業後全く違う 業種に就職したが、親しく電話などで連絡を取り合い偶に会ったり、また年に一度、観 光&グルメ・ツアーを実施(都…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)32

小休止(2) 新生老舗レストランを南青山に訪た <その1> "此処は何処なのか。 キャンドルが揺れているからピアノが鳴って いるのだろう。 だがそれは現実の音ではないようだ。スペインか ポルトガルか…30年以前の昔だ。 夢に憑かれたように歩いたフランスの…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)31

小休止 言い訳 本日、Hatena Blog より「1年前の記事など昔書いたブログを振り返りませんか?」 とのメールあり、調べてみるとこのソメチメス・シリーズの5が公開された事が判っ た。以前よりブログ更新が滞っているのは気にはなっていたが、よしや趣味でや…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)30

18.干支に因み~「PEANUTS」の魅力(2) 「ピーナッツ」の作者はチャールズ・モンロー・シュルツ(1922ー2000)、そしてこの コミックの正式開始は1950年で、2000年作者の死去と共に終了した。詳細に 興味のある方はウィキペディア等を参照…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)29

18.干支に因み~「PEANUTS」の魅力(1) かなり遅ればせながら、謹賀新年。 早速だが、「ピーナッツ」と聞き、何を思い浮かべるだろうか。炒ったり茹でたり して、ビールのつまみに合う落花生のことだろうか。私がこれから書きたいのは、もし かしたらス…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)28

17.留萌の思い出 2017年もいよいよ年の瀬。今月に入って「この冬一番の寒さ」とメディアが報じ る日が続き、ここに来て強力な冬型の気圧配置、所謂「爆弾低気圧」が北日本から日本 海側を覆った。その中で留萌港の灯台が殆ど跡形もなく破壊されたニュ…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)27

16.日本の地方自治の性質 1975年 (2) 近代民主政治の先進国、イギリスやアメリカにおいて地方自治が発達し、日本では そうでない事は、歴史的な問題があると考えられる。これは前に「日本に於ける市民 形成の可能性について」で述べた事だが、日本の…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)26

16.日本の地方自治の性質 1975年 (1) イギリスの政治学者ブライスは「地方自治は民主主義の最良の学校である」と述べ た。これは地方の政治を理解しながら同時に国の政治を理解するきっかけを掴むこと が出来るという意味であるが、戦前の日本では…

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)25

15.日本に於ける市民形成の可能性について 1975年 日本は明治維新により封建社会から近代社会への道を歩み始めた。そしてその後、 日本の資本主義的発展は、驚異的なスピードで進められてきたのだが、その背景には 農業と農村があった。何故なら日本…