緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)52

32.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(14)

 

 結局その日、バンド名は決まらなかった。その一番の原因は誰も気の利いた名称を思

いつかなかったからだ。それでも文化祭準備委員会に出演申請の手続きをしなければな

らない。「取敢えず発起人の名前をとって『ヒナコさんグループ』で出しておこう」ク

マの言葉に誰からも異論は出なかった。

 「そんなことより、オリジナルって何曲あるの」出来るだけヒナコとムーを前面に出

したいと考えているクマが切り出す。

「ムーは結構いっぱいあるよね、ねえ」ヒナコがムーを見ながら確認をする。

「数はあることはあるんですけど、人に聞かせられるようなのは二、三曲かと」普段女

の子同士で話している時に比べ、ムーの声はやけに小さく、やっと聞こえる程度だっ

た。

「どんな曲、ちょっとやってみてよ」クマの勧めにムーはおそるおそるアグリーのギタ

ーを弾き始めた。それは "ぎやまんの箱" とタイトルされた、美しいメロディーラインを

持つスローバラードであったが、クマは何となく物足りなさを感じた。

『何が足りないのか、歌詞が今一つ判り辛いせいか』アグリーの意見も聞いてみたかっ

たが、作者本人がいる前であからさまに話す訳にもいかない。

すると、突然アグリーが言った。「いいじゃない」

『えー、そうなのか』アグリーの言葉をクマは少し意外に思ったが、いきなり最初から

否定的な感想を述べるよりは、大人の対応だなと考え直した。そしてそれは、自分には

備わっていないらしい「思いやり」とか「優しさ」とか、恐らく人がそんな風に呼び、

さも人間にとって大切な行動や言動であるかのように位置づける、他者への寄り添う気

遣いである事を彼は知っていた。

 

 「・・・だから僕はね、もし僕がこうすれば、こんな事を言えば、相手が喜ぶだろう

って分かっている時でも、敢えてそんな事をしようと思わない。そういうのは何か見せ

かけの白々しい優しさみたいで大嫌いだな」

「そうかしら。私はそうは思わない、私はやっぱり人の為に何かしてあげたいわ。人間

には思いやりが必要よ」日頃とは違い彼女は意外な程、強い口調で答えた。

「でも仮に、人を思いやることで自分が疲れるとしたら、自分を殺す事で人に尽くすと

したら、それは誠意とは言えないんじゃないかと思うけど」

「そうかも知れないわ」

「だから僕は人に対して優しくあるよりも、誠実でありたいと思うんだ」

「でもそれは、あなた自身に対しては誠実であっても、相手の人に誠実であるとは限ら

ないでしょう。たとえ自分が、どんなに辛い状況に置かれて本心はそうでなくても、人

を思いやるのが本当に優しい人ではないかしら」

「そうかな、それは見せかけの優しさだと思うよ。自分を偽るということは、裏を返せ

ば相手を欺いてる事になるんじゃないか。確かに、よく女の子は、どういう男性が好き

とか聞かれると、大概は優しくてユーモアのある人って答えるけれど、そしてその優し

さというのが、相手の喜ぶ事をしてあげる事ならば、僕は全然優しい人間じゃないね」

しばし小休止があった。

「いいえ、あなたはやっぱり優しい人だわ」彼女は殆ど自分に言い聞かせるように小さ

く呟いた。

  生きとして生けるものが眠りから覚め、全てが新しく始まるような春の日、明治神宮

御苑内にある菖蒲園のベンチに腰を掛け、クマはナッパと暖かな日差しを浴びていた。

しかし、何一つ落ち度など無い心算のクマは、その降り注ぐ陽光、心地良いそよ風、そ

して眩しい新緑、それら全てのものから何故か見捨てられてしまったのだ。

 

 『あの時自分は、何故あんな事を突然言いだしてしまったのだろう。別にその時、そ

れを言わなければならない理由など、何一つ無いにもかかわらず』これまで何度も自問

自答を試みた事を、クマはまた考えていた。彼はただ噓偽りのない自分自身を晒した上

で、ナッパの審判を受けようと試みたのだ。それこそが今までの人生の中で、最も心を

惹かれ、また愛されたいと願った女性に対する、誠心誠意の姿勢だと考えたのだ。そし

て彼の妥協のない愛情は、想いばかりが空転し、容赦なく砕け散ってしまったのだ。

ナッパが去ってしまった今、彼は漸く冷静な気持ちで、自分が置かれた座標を理解出来

るようになりつつあった。

 

 「クマさんはどう思う、ムーの曲」ヒナコの声で彼は我に返った。

「うん、いいと思うけど、スリーコーラスあるんで何処かにアクセントが欲しいね」

クマはこれ迄であれば「ちょっとたるいね」と言うところであったが、ぐっと抑えた。

「どうすればいいですか」ムーが真剣な顔でクマに訊ねる。

「そうね、一、二番はアルペジョでやって、三番の伴奏をもっと賑やかにストローク

するとか、あとハモるとか」

それを聞いてムーは黙って頷く。その時クマは、ムーの持ち味はヒナコと違い女の子ら

しからぬ野太い声だと気が付いた。 

「フェアウェルで歌った "落ち葉の上を" なんかは怨念が籠ったよう歌で、なかなか良か

ったんじゃない」

「ううん、あれはオリジナルじゃなくて、古井戸の曲」

「えっ、そうなんだ。なあんだ」クマは日本のフォークソングには全く疎かった。

 「クマさんあんな感じの歌が好きなんだ」ヒナコが意外という顔をする。

「まあ、キレイキレイな曲ばっかりじゃないよ好きなのは」

「ところでヒナの曲は」今度はアグリーが聞いた。

「私は一曲だけ」

「それじゃあ曲が足りないよ」クマとアグリーは同時に笑った。

「だからクマさんやアグリーどんの歌を考えたの。それに私達の曲って、静かなのばっ

かだから」

「俺らだってそんなハードな事やってる訳じゃないし、だいたい生ギターでやるんだか

らね」アグリーがそう答えると、クマが付け加えた。

「しかも、もうCSNYの真似をするのも何だしね」

 

 世田谷区民会館のステージまであと四ヶ月。

 

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緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)51

31.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(13)

  

 「今を尊ばなければ一体 ”いつ” という時があるのか」確かにクマはそう言った。しか

し、そうは言ってみたものの具体的に何をすればいいのか、彼自身全く見当もついて

いなかった。『あの場の停滞した雰囲気を何とかしょうとしただけだ』と彼は思った

が、それで済ます訳にはいかない。『多分、クマが完パケまで持って行ってくれる』少

なくとアグリーは間違いなくそう考えている筈である。

  

 話は遡る。それは1973年12月、上野毛のセンヌキの家で行われたアグリーのオ

リジナル曲の録音が一段落した時だった。

 その日夕方、センヌキの母親が差し入れてくれた夕食を食べながら、アグリーが言い

出した。「せっかくこうして練習したんだからさ、コンサートやらないか」

何事にも軽いセンヌキが賛成する。「あっ、いいねそれ、やろうよ」

「うーん、そうだねぇ・・・」二人はクマのその次の言葉を待った。クマはなかなYES

と言わないが、一度そう言ったら必ずそれをやる男、アイツに任せれば間違い無い。そ

の点だけは、彼は仲間内で一目置かれている。

「どうせ二年生も、もう3月で終わりだし、三年になればクラス替えで受験勉強も少し

はしなきゃいけないし、最後に皆でパーッとやろうよ」”別れ”とか ”最後”とか哀愁を帯

びた言葉に弱いクマの性質を知るアグリーがたたみこむ。

「うーん、いいかもね。最後にね ”さよなら” いや ”フェアウェル・コンサート” か、や

ろうか」

フェアウェル・コンサート・・・クマがその言葉の響きに未だ酔い痴れている時、アグ

リーとセンヌキは目でうまくいった合図した。 

 

 もしかしたら自分は、楽器の演奏能力や音楽の知識から求められたのではなく、何か

事を成す時の実行力の方をかわれたのではないか、クマは時々そんな気がするのだっ

た。

確かにクマは何かを纏め上げる能力は秀でており、自分が興味を持った事柄であれば、

それを遂行するにあたって、あらゆる労もいとわなかった。結局フェアウェル・コンサ

ートもクマ達の演奏の出来の良し悪しは別にして、興行としては成功裏に終わり、自分

達のライブ・レコーディングを行うという、クマの録音マニアとしての当初の目的も達

成した。

 そして何よりも、そのコンサートをきっかけとして、憧れのナッパとの交際という思

いもよらない贈物まで付いて来たのだ。但し、その結果は惨憺たるものだったが。

 ところでクマは、小学四年から中学卒業まで毎年学級委員を外した事はなかった。勿

論自ら立候補などはせず、またクラス内には、どちらかと言えば杓子定規な彼を疎まし

く思う者もいたはずだが、何故かいつも選ばれるのだ。そして上級生も含め、ある程度

選ばれた人材が集う生徒会に、毎年続けて出席しているうちに、やがて顔と名前を覚え

られ、子供の世界であっても一目置かれる存在になって行った。

 また彼は年長者と付き合う事は全く苦にはせず、彼等と対等に話が出来きた。それは

恐らく幼少期から同年代よりも年上と遊ぶ事が多く、そこで得た様々な体験や また貪

欲な読書家であることが大きな要素となったかも知れない。

 そして彼が中学生だった時、学内でギターを弾く為に友人と語らって、生徒会を牛耳

りギタークラブを設立させる事にも成功していた。そこでは綿密に計算された計画と教

職員を説得する能力が発揮され、難なく願望を実現化するという、通常あまりあり得な

いような経験を積んで来たのだ。

 一方音楽面において彼は、レコードをカセットテープに録音して、ヘッドホンで何度

も繰り返し聞くうちに、様々な楽器の音をバラバラに捕らえる事が出来るようになり、

音がぶつかる不快感や逆に心地の良い不協和音などを理解するようになった。そしてそ

れらを組み合わせる事により一つの楽曲を作り上げてゆくという作業に夢中になった。

それはあたかも人間社会のひな型のようであり、実際小集団に通じるところがあった。

即ちリードギターが映える為には、そのバックを支えるベースやドラムスが必要である

ように、誰かが表舞台で活躍するには優秀なスタッフが揃わなければならないし、その

スタッフを纏め上げる強いリーダーシップを持った者が必要不可欠なのだ。

  従って、今回クマがこのグループで担う役割は、彼自身は望んではいなかったが、結

局のところ、運営面と音楽面双方の参謀と指揮官になる事であった。

  

 「それはそうと、世田谷区民会館のステージに必ず出られる保証ってあるの」

アグリーの家での二度目のミーティングで、開口一番クマがそう聞いた。彼は漸く自分

が他の三人を引っ張って行かねばならないと自覚していた。

「確かにそうだ」アグリーが相槌を打つ。

「それは多分大丈夫、クラスの文化祭準備委員の前田さんに確認したら、今のところ未

だ誰も申し込んでいないみたい。それで申込者多数の場合は抽選になるんだけど、私達

三年生なんで最初に申し込めば優先的にオッケーだって」ヒナコが答えた。

「委員長は誰」クマは情報収集に余念がない。

「確か、五組のコウノって言う男子だったかな」とヒナコ。

「それは河野さんだろう。一、二年は一緒で結構仲が良かったから話易いよ。きっと味

方になってくれると思う。だったら先ず、このバンドの名前を決めよう」クマはそう言

った。

「どうしても名前は必要なのかい」アグリーは面倒くさそうに言う。

「少なくとも文準(文化祭準備委員会)に届けるのに必要だろう。個人の名前を列記し

たら皆別々だと思われちゃう」

「だったらザ・クロッジってのはどう」アグリーがいきなり提案した。

「何それ」

「俺が中学の時入っていたバンド」

「意味は」

「痔が酷くなると柘榴みたいに赤くツブツブ、グチャグチャになることから、柘榴痔っ

て言うらしんだ」

「いやだ、そんなの、ねえムー」ヒナコは呆れて笑うしかなかった。

ムーも笑って答えた「僕は別に構わないけど」

「それと我々って何か関係あるの。それにもう1974年なんだよ、今更グループサウ

ウンズみたいにザ、何々とか名乗るの止めようよ。大体そんな名前じゃあ公序良俗に反

するんじゃない」クマの発言にムーが頷いた。

「一人一つずつ名前を考えて、あみだで決める」クマは皆の顔を見回した。

 

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緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)50

30.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(12)

 

  「でもほんと、何やる」今度はアグリーが言った。等々力のヒナコの家では、カセッ

トテープ聞き終えても四人の話は全く進んでいなかった。

「とにかく何か面白い事がいいな。あっ、面白いって funny じゃなくて interesting の意

味なんだけど」アグリーの後を引き受けクマが言った。

「面白い事かあ」ヒナコは天井に目をやり独り言のように呟いたが、ムーは黙ったまま

だった。

 彼等は10月末の文化祭で何をするのかを打ち合わせていた筈だった。しかし、取敢

えずギターと歌で音楽をやる事ははっきりしているものの、出演者を決め、劇場も確保

しておきながら、肝心な脚本が無い劇団のような状態だった。過去二年間の文化祭で、

強引にクラスを引っ張てきたクマにしてみれば、そのような有様は受け入れ難い事だっ

た。しかし何故か具体的な方向性を示すような発言は一切せずにいる。それは彼がこの

グループに参加するにあたって、自分に課した歯止めのようなものであり、もしそれが

崩れれば、彼は限りなく専制君主のように振る舞う事となったに違いない。こと音楽に

関しクマは仲間内では絶対的自信を持っており、そこに譲歩という言葉は存在しなかっ

たのである。

「ねえ、どうしたらいいと思う」ヒナコは何も言わないクマにそう聞いた。

「そう言われても、僕だって、ねえ・・・決められた時間に来て、やる事やって帰れば

いいのかと考えていたんだけど。大体、アナタとムーさんは何がやりたかった訳」

クマは出来るだけ相手の立場を尊重するように優しく言った。

「僕は自分の曲をやりたけど」普段から男の子言葉を使うムーが、ようやく重い口を開

いた。

「ああ、それはいいんじゃない」アグリーが頷いて続けた「で、ヒナは」

 「私はねえ・・・色々考えたんだけど、クマさんやアグリーどんの歌を歌おうかなと思

ってるの、いいかな」

「それは別に構わないけど、まあ男言葉の歌詞を女の子が歌ってる曲もあるし、でも僕

らの歌じゃあ、そのままだったらキーが全然合わないんだよね。とは言え、とんでもな

いハイフレットにカポをはめるのもねえ、そうすると音質も変になっちゃうし・・・そ

れこそフェアウェル・コンサートでやった ”そんなあなたが” とか最後に歌った ”でもも

う花はいらない” なんか良かったじゃない、あれの方がよっぽどいいんではないの」ク

マはお世辞ではなく、本当にそう思っていたのでそのままを話したが、それはオリジナ

ル曲をやる事が、かなり危険な賭けだという思いもあったからだった。

 そもそも文化祭で世田谷区民会館に集まる観客は、自ら望んで来ている訳では無く、

その日は他に選択肢の無い中、否応なしに舞台だけを見なければならない。勿論、万人

に受け入れられる事など土台無理であるにしても、せめて「帰れコール」だけは避けた

かった。何といっても彼等四人は、とりたてて校内で有名という訳でもなく、ましてや

グループを結成したばかりである。観客に黙って演奏を聞いてもらう為には、先ずこち

ら側に注意を引かねばならないし、飽きさせてもいけない。そのような状況で誰一人知

らない自作の曲を演奏するリスクは計り知れない。それをクマは危惧していたのだっ

た。

 「ねえ、どう思う」クマは自分が感じている不安を他の三人に順序立てて説明し、意

見を求めた。

「そうだな、客に受けないというのは致命的だね」アグリーはもっともだという顔をする。

「私、そんな事、考えた事もなかった」ヒナコは肩をすくめる。

「僕はよく判らない。けど白クマのおじさんは色んな事考えてるんだね」ムーは相変わ

らず男の子言葉でポツリと言う。

 それぞれが発言したところで、クマは先程の説明とは全く違うことを言い出した。

「恥ずかしい話なんだけど、僕は今まで人から自分の事しか考えていないと言われて来

た。けれども今度は違う。いや、違うようにしたいと思ってる。大したこと無いけど、

このグループの為に持っているもの全てを注ぐつもりでいる。知ってることは何でもオ

ープンにするから、何でも聞いてもらいたい。それで何をやりたいかだけど、出来合い

の曲を漫然と演奏するのはクリエイティブじゃないよね。いくらコピーが上手くたっ

て、コピーはコピーでしかない。それだったら家に帰ってレコード聞いた方がよっぽど

いいよ。せっかくこのグループに参加して、多分これが高校最期のステージになると思

うし、どうせやるからには、僕は自分に悔いが残らないようにしたい。客の反応は確か

に気になるけど、僕らは音楽を生業としている訳じゃない。だから迎合する必要もな

い。思う存分オリジナル曲を無知蒙昧な聴衆に聞かせてやればいいんだ。たとえ僕らの

挑戦が失敗に終ったとしても、その失敗を誇れるようなステージにすればいい。これか

らの僕らの合言葉は唯一つ、今を尊ばなければ一体 ”いつ” という時があるのか。以上、

演説は終わり」

 クマがそのように自分の心の内を見せることは稀だった。「彼らを愛したまえ、た

だ、それを知らさずに愛したまえ」サン・テグジュペリの小説にそんな一節があった。

しかし彼はそれが全く相手に伝わらない事を身をもって体験していた。『思っているだ

けではだめなのだ。たとえそれが自分の信条に反しようと、はっきり相手に話さなけれ

ばいけないのだ』それがナッパというかけがえのない心の拠り所を失って得た唯一の、

そして大切な代償だった。

 何の恥じらいも無く、白々しささえ感じさせるクマのアジテイションが終わると、誰

からともなく拍手が起きた。そしてそれは、クマが荒れ狂う心の痛みと、漸く折り合い

をつけた瞬間でもあった。

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緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)49

29.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(11)

 

 ヒナコは迷っていた。確かに歌を歌うことは子供の頃から好きであったし、また得意

であると自覚もしていた。どんな曲でも二三回聴けば覚えられ、音を外すことも無かっ

た。そして体を声に共鳴させ、より深く響かせると、得も言われぬ恍惚感に浸ることが

出来た。人には内緒にしていたが、それはまるで体の敏感な部分を刺激して得られる快

感にも似ていた。それでもヒナコには迷っている事があった。

 彼女は「コッキーポップ」という深夜に放送されるラジオ番組を、毎晩欠かさず聴い

ていた。そこでは、未だあまり有名ではない音楽を志す若者たちが、作曲や歌唱でリス

ナーからのリクエスト数を獲得することにより、番組制作者であるヤマハポプコン

そして世界歌謡祭出場を目指すことが競われていた。彼等の最終目標は勿論グランプリ

を受賞する事であり、前回の受賞者は大ヒットになった「あなた」を歌った小坂明子

った。

 ヒナコはその歌をラジオで紹介された時からいい曲だと思い、何度も声に出して歌っ

ていた。そして別のクラスであるにも関わらず、図々しく出演することになった2年4

組フェアウェル・コンサートでもそれを歌おうと考えたが、相棒のムーからナッパがそ

の曲を候補にしていると聞き、一応立場を考え遠慮したのであった。勿論、彼女は他の

誰よりも上手く歌う自信はあったが。

 そしてそのムーは、ヒナコ持ち前の全方位外交ならではの情報収集力から、ようやく

探し当てた相棒だった。歌に比べ伴奏のギターがあまり上手ではないヒナコにとって、

ムーの演奏力は欠かせないものであり、ムーにとってもヒナコは本気で音楽を語り合え

る貴重な同志となっていたのだった。

 彼女達二人は、百名以上の犠牲者を出した熊本大洋デパートの火災からまだ日も浅い

1973年12月にコンビを結成、それ以降毎週土曜日、互いの家を行き来して練習を

続けていた。そこで演奏されていたのは、コッキーポップで聞いた「そんなあなたが」

浅田美代子の「赤い風船」、そしてまたムーが作ったオリジナル曲で、当面の目標は

当初クマ達からムーだけに声がかかっていた2年4組フェアウェル・コンサートに二人

で出演することだった。

 それは、このコンビとして初めて人前で歌うチャンスであり、またコンサートの模様

は録音されるという非常に魅力的な情報も流れていた。二人は相応の準備をしてこれに

臨み満足する結果を得た。それはクマやアグリーをして「コンサートの主役を乗っ取ら

れた」と言わしめた程の出来栄えであった。

 しかし、ヒナコにとってこのコンサートでの一番の収穫は、初めてクマとアグリーを

知ったことだった。彼等二人は今まで聞いた事のないアコースティックギターの演奏

を、これ見よがしにひけらかし、アグリーがストロークで刻むリズムに、クマがつま弾

くリードのフレーズが、目を見張るように格好良く感じられた。また、恐らく通常のチ

ューニングではない神秘的なサウンドにも心惹かれた。それは勿論彼女があまり洋楽に

興味が無かったせいでもあるが、これまで上手いと思っていたムーのギターも色あせて

見える程強く印象付けたことだけは確かだった。

 ところでヒナコは少し前から高校生活の記念になるような事がしたいと考えていた。

それは具体的に何をという訳ではないが、取敢えずは音楽絡みの事になるであろう事は

予測がついた。

そんなある日、ヒナコは一二年でクラスメイトだったトクコと廊下で立ち話をした。ト

クコは一年生の時から男子同級生二人とグループを組みピーター、ポール&マリーのコ

ピーをして歌を歌っていた。そして彼女達は毎年文化祭になると初日だけ行われる世田

谷区民会館での催しに出演していたのだった。その事について聞くと今年も出るつもり

だと言う。

その時はそのままそこで話は終わったが、後になってヒナコはその言葉に自分もそのス

テージに立つことを思いついた。もともと彼女はプロの歌手になるなどという考えは毛

頭なく、高校卒業後どこか短大へ行き、そのうち結婚して子供を儲け平凡に暮らしてゆ

くという、ごくありふれた幸せを望んでいた。そんな彼女にとって世田谷区民会館のス

テージは格好の機会であり、思い出作りには打って付けの場所でもあった。

 彼女は早速相棒のムーに相談した。ところが以外な事にその反応はあまり芳しくなか

った。反対こそしないものの、ムーは自分の技量を冷静に判断できる人間で、強力な助

っ人が必要との意見を述べた。唯、もうあまり時間は残っていない。ヒナコがクマとア

グリーの演奏力を思い出したのはある意味当然と言えば当然であったのだ。

 そして受験勉強に没頭していたクマも、なんとか参加を了承し胸を撫で降ろしたのも

束の間、ヒナコは大きな問題がある事に気づいた。高校最期の文化祭、しかも世田谷区

民会館のステージで一体何を歌えばいいのか。彼女の迷いはその一点に絞られていた。

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緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)48

28.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(10)

 

 その日、等々力にあるヒナコの家にムー、アグリーそしてクマの四人が集まり、記念

すべき第一回目のミーティングが開かれた。あの2年4組フェアウェル・コンサートか

ら二か月余り、ここにヒナコとムーの歌唱力とクマとアグリーの演奏力を結集した、都

立深沢高等学校音楽史上、かって類を見ない超弩級のスーパーグループが誰にも知られ

ること無く、ついに誕生したのだった。もし機関紙ダンディーの発行が未だ続いていた

ならば、恐らく一面三段抜きでそう伝えたに違いない。

 三々五々四人が揃うと、「何か言ってよ」そうアグリーに促されたヒナコは立ち上が

り、右手でマイクを持つ仕草をした。

「えへん、えー、私達は今日、新しいグループを結成することになりました。つきまし

ては先ず各人自己紹介をお願いします」 勿論、今更自己紹介をする必要など無いが、

「ヒューヒュー」とムーが奇声を発し拍手を始めた。

するとクマは突然提案をした。「それじゃあ面白味が無いから、他己紹介にしようよ」

「なに、それ。蛸がどうかしたの」ヒナコが怪訝な顔をする。

「いや、そうじゃなくて、他人がその人に成り代わって紹介するんだよ。例えばやって

みると・・・はい、僕がアグリーです。昭和32年目黒区の五本木生まれ、今でもそに

住んでいます。家族は両親と弟の四人です。趣味は音楽全般、聴く事とあとギターを

少々弾きます。ハーモニカもやってます。好きなミュージシャンは何といってもビート

ルズ、他には何でも聴きます。歌も作っていて、20世紀最高のメロディーメーカーに

なる予定です。クマと違ってテクニックよりもセンスが大事だと考えています。後は、

キャンディーズの蘭ちゃんの熱烈なファンです。好きな作家はアガサ・クリスティー

僕のペンネームは阿笠栗助 ・・・。他に何かあったっけ・・・」

「いや、もうそれだけ言えば十分」アグリーは苦笑いをした。

クマも少し笑って応えたが、その時ふと全く別の考えが心をよぎった。

『何故自分は今ここにいるのだろうか』

 この集合体への参加を最初に求められた時、クマにはナッパという存在があった。

たとえナッパ自身は既に心が揺れていたとしても、少なくともクマの中では未だそれは

脈々と息づいていたのだ。

     ・・・それは春の日の柔らかな日差し

           夏の日の暖かな雨だれ

           秋の日の爽やかなそよ風

           冬の日の穢れない粉雪・・・ 

 これ迄失恋の歌しか作れなかったクマは、そんな詩を書き、遅れ馳せながら訪れた所

謂青春を謳歌するつもりだった。しかし、その歌は結局歌われることも、決して記録さ

れることも無く、静かに記憶の淵に消えていく運命を辿った。

『そして今、自分はここにいるんだ』

 

 「鍵付きサナダが小遣いをくれたよ」クマは教室に戻るとそう言った。学校は既に夏

休みに入っていたが、2年4組の文化祭の責任者4名は打ち合わせの為登校し、出し物

である演劇「父帰る」の進捗状況と今後の段取りを確認していた。

 概ね予定通り進んでいる事が分かると、クマは早々に帰宅する旨を皆に提案した。何

故なら如何せん冷房設備の無い教室は長時間居座るには暑過ぎたのだ。

そして全員が了承すると、筆頭責任者であるクマは、日直の教員へ下校届を出しに職員

室へ行った。するとその日は、たまたま彼等の担任サナダ虫が当番で出勤しており、こ

こでもまた劇の進捗状況の話になった。

 他のクラスに比べ2年4組の準備は抜群に進んでいる、と職員室でも話題になってい

るらしく担任は満足そうであった。そしてその感謝の気持ちかどうか解らないが、クマ

が退出しようとすると、彼は自分の財布から千円札を取り出し、「何か冷たい物でも食

べて帰りなさい」と言って渡してくれたのだった。

 クマ、マサヒロ、メガネユキコそしてナッパの四人は取敢えず学校のそばにある唯一

の食堂、駒沢飯店でかき氷を食べることにした。クマにしてみれば、たとえ二人きりの

デートではないにせよ、ナッパとこうして特別な時間を共有することが、この上もなく

幸せに思えてならなかった。

 早々にかき氷を食べ終わると、まだ少し残金があったので隣の駄菓子屋で花火を買っ

た。特段深い理由は無い、校舎の影で線香花火でもしようとクマが言い出したのだっ

た。そして花火を持ったナッパがまるで子供のようにはしゃぐ様を、彼はそのすぐ後ろ

を歩きながら、まるで恋人のような目をして愛おしく見つめていた。

 その日から間もなく、クマはその一瞬を歌に閉じ込めようと言葉を探し、初めてまと

もなオリジナル曲を作って、それを「君に捧げる歌」と名付けた。 

     日差しに歩く後ろ姿が 子供のようにはしゃいでたね

     買ったばかりの花火を振りながら 夜までとても待てないなんて

     あの時言えばよかった 君がとても好きだって

     僕の心を知ってるように 君の瞳が笑っていた

1973年7月、眩しい日差しが照りつける夏は、まだ始まったばかりだった。

 

 その日から10か月余り、状況は大きく変化し、物語は等々力のヒナコの家にたどり

着いた。周囲の人間が望むと望まざるとに拘らず。

 

 クマの要領を真似てアグリーがクマを、ヒナコとムーがそれぞれお互いを紹介し合

い、他己紹介は無事終了、ミーティングはいよいよ本題に移った。

 「それで、一体何をするの」クマが誰とは無しに問いかけた。彼は最初から、自分と

アグリー二人はヒナコとムーの歌のバックでギターを弾くだけだと考えており、曲名さ

え聞けば直ぐにでも完全コピーするつもりでいた。

「それが未だ決まってないんだ」ヒナコはそう答え、ラジカセのスイッチを押した。流

れ出した曲は何とアグリーが作った「僕達のナパガール」だった。そのテープはこれま

でクマとアグリーが多重録音したオリジナル曲をクマが編集しアグリーに渡したもの

だ。

「アグリーどんに借りたの」ヒナコの言葉にクマは黙って頷いた。

「こんな風に自分達が作った歌を録音出来たらいいよね」口数の少ないムーが呟いた。

「これはこれで結構大変だったんだよ、センヌキは間違えるしクマは怒るし」アグリー

はそう言ってニヤっと笑いクマを見た。

「えー、白クマのおじさんって怒るんだ」何故かムーだけはクマの事を白クマのおじさ

んと呼んでいた。

「まあ、聖人君子では無いし怒ると言ってもねえ」クマは本当のおじさんみたいな言い

方をして笑ってみせた。たとえ心の中は嵐が吹き荒れていようと、それ位の振る舞いを

することは出来る。

 テープは続いて二曲目のクマの作品「落ち葉の丘」が始まるところだった。

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緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)47

27.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(9)

 

 クマはまた深沢八丁目のバス停へ通じるいつもの桜並木を歩いていた。女性司書教諭

との会話に示唆されるところはあったし、なにより人見知りもせず自然に話が出来た事

が嬉しかった。 あのような人物が教鞭をとればいいのにとも考えたが、それは彼女が

言うところの「月の裏側」の部分なのかも知れなかった。

 歩き慣れた道の左右前方の景色は先週と変わりが無い。それは至極当然の事のように

思える。しかし、そこには大きく異なるものがある。なによりもそれらを見る目が全く

変わってしまったのだ。つい先週までは優しい気持ちで物事を眺めることが出来たはず

だったが、今は初夏の暖かな陽光さえもそれを拒否するかのように冷たく感じられた。

 とにかく目に映る物がすべてナッパを思い出させた。それだけでは無い、例えば歌。

2-4フェアウェル・コンサートでナッパのリズム外れの歌に合わせ、クマがギターを

弾いたアグネス・チャンの「草原の輝き」。あの旋律を聞くことがあれば、必ずナッパ

を思い起こさせる筈だ。

 そしてその記憶が蘇る度、クマの心は締め付けられ、孤独感に苛まれる。

『こんな事を続けていてはいけない』クマは充分それを承知していた。しかし、そこか

ら脱却するには更に時間が必要な事も事実であった。『唯、このまま無為無策に日々を

費やすしか術は無いのか。そもそも、決して誰一人妨げる者もなく、むしろ好意的な支

援さえも得た二人の関係が、何故、こんなに切ない思い出に変わらなければいけないの

か』クマは自分が一体どこで間違ってしまったのか、そればかりを考えていた。

『しかし、どこかで結論を出し、運命と折り合いをつけなければならない』それが妥協

か諦めか、そのいずれにせよクマには受け入れる決心が必要だった。

『昔ならば、外人部隊に入る手もあったが』ピーナッツというコミックに出てくるビー

グル犬の台詞が浮かんだ。クマは『未だ自分を茶化す余裕がある』と寂しく微笑んでい

た。

 

 「あっ、そうだったんだ。何だかチャコは曲者かも知れないね」メガネユキコはいつ

も通り歯に衣着せぬ物言いをした。クマは学校を出る前にメガネユキコとヒナコには、

レコードに添えられていた封筒はナッパの手紙ではなく、チャコのレポートだった話を

報告していた。

「で、そのレポートの中身は」ヒナコが興味ありげに訊ねる。

「それがS&Gの曲の感想文みたいな・・・」クマはそう答えた。

「なに、それ」

「いや、でも中々よく書けていると思った。これがそう」クマはレポート用紙を一枚取

り出して見せた。

 

     アルバム・タイトル/パセリ・セージ・ローズマリー&タイム

     これは全て香辛料の名前です。私はハンバーグを作る時、セージを入れま

     す。そうするとかなりお店の味に近づきます。でも何故これがアルバムのタ

     イトルなのでしょう。もちろん、この言葉は一曲目のスカボロフェアに出て

     くる一節ですが、私はこの一枚のアルバムに色々な香りが散りばめられてい

     る事を言いたいのではないかと思いました。クマさんはどう考えますか。

     

     Side A-1 スカボロフェア

     この曲の歌詞を見た瞬間、私は自分が持っているボブ・ディランの「フリー

     ホイーリン」に入っている「北国の少女」を思い出しました。何故なら、

     「Remeber me to one who live there, She once was a true love of mine」が

     全く同じだからです。どうしてこうなるのか分かりませんが、どちらも英国

     のトラディショナルを基にした歌らしいですね。

     そしてこのスカボロフェア(詠唱)は、二つの詩が重なり合って出来ていま

     す。ママス&パパスの「夢のカリフォルニア」のように同じ言葉を繰り返す

     のではなく、一つは美しいメインのメロディーに合わせた牧歌的な歌詞、も

     う一つは、銃を磨きながら上官の攻撃命令を待つ兵士の事を歌った歌詞、と

     いう組み合わせ。実はこの二つの矛盾がこの曲の主題だと思います。アメリ

     カは日本と違って、今ベトナムで戦争を続けている事を、改めて気づかされ

     ます。この手法はアルバムの最後に入っている「7時のニュース/きよしこ

     の夜」にも通じるものです。静かなクリスマスソングと共に、キング牧師

     殺事件等、殺伐としたニュースを伝えるアナウンスが印象的です。新谷のり

     子が歌った「フランシーヌの場合」は、この発想を模倣したものと私は断定

     します。

     とにかく、この全く異なる歌詞の組み合わせという斬新かつ挑戦的な姿勢は

                素晴らく、しかも裏の「 A soldier cleans and  polishes a gun. 」と表の

     「Then she''ll be a true love of mine.」のように重なる部分で韻を踏むという

      高度な技術も見られ、発見する方としてはとても嬉しくなってしまいまし

     た。クマさんの意見を聞かせて下さ い。

 

 ヒナコはそれを読み終わると、少し不満そうな顔になり、メガネユキコは「なかなか

やるわね、でも何の為にこんなに一生懸命書いているのかしら」と疑問を呈した。

恐らく彼女はその答えも用意していたのだろうが、傷心の自分を慮って敢てそれは言わ

ないのだと、クマには解っていた。

 「ねえクマさん、文化祭、やっぱり一緒にやろうよ」別れ際、ヒナコがそう言った。

桜並木を一人歩くクマにとって、その言葉はまるで水島上等兵に語りかけるインコのよ

うに繰り返し心の窓を叩いていた。『そう、またあの世界へ戻るしかないかも知れな

い』

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緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)46

26.ただその四十分の為だけに(「告別演奏會顛末記」その後)(8)

 

 「クマくん」若い女性司書教諭はそう声を掛けると、直ぐに「あなたに悪いニュース

があります」と、外国映画の台詞を直訳したかのような表現で続けた。しかし、それを

聞いたクマは別に嫌な気はせず、それどころか随分洒落た言い方をするな、とさえ思っ

た。

「言わなくても解ると思うけど、君をここに置いておく訳にはいきません」

その言葉にクマは心外という表情を浮かべて、殊更大袈裟に両手を広げ、ゆっくりと

首を横に振る。それこそまるで洋画の俳優がそうするみたいに。

「私は伝えるべき事は伝えました、本件に関し君に拒否権はありません。直ちに三年一

組の教室に戻り、現国の授業を受けて下さい」

『この芝居がかった言葉使いは、多分誰かが作ったルールなのだ。だからこの世界では

誰もがそのルールを守らなければならない、役者が与えられた台本に従うように』

「オーケー、ボス・・・」そう答えたところでクマは目が覚めた。『夢だったのか』

 時計を見ると午後三時。そこはホリゾントライトに照らされた舞台の上ではなく、窓

の外から五月の暖かな日差しが注ぐ図書室の中だった。

そしてクマは周囲を見回し、まるで一人取り残された難民のように、ぽつんと座ってい

る自分に気づいたのだ。

 『少なくともその夢を見ていた間、悲しい現実を忘れることが出来た』クマはそう思

った。目覚めと共に否応なしに蘇ったあの悪夢のような衝撃的な事実。それを突き付け

られてから、未だ一日も経っていない。『そう、確かにナッパは去ってしまった』そう

考えると、自分が人影の無い夕暮れの街はずれを、行く当ても頼る物も無く、後悔と不

安に心を削り取られながら、一人放心したように歩いている感覚に捕らわれてしまう。

クマは窓の外を眺め、雲の切れ間から差し込む光の帯を探した。しかし朝から五月晴れ

の空は午後になってもそのまま続いており、雲一つ見当たらなかった。

『光の帯の空間転送装置は一人分の能力しかないのか』

そう考えているうちにクマの脳裏には、ナッパと二人で通り過ぎてきた日々の、輝いて

見える部分だけが次々と浮かび、気が付くと涙が止めどなく流れ始めた。 そして、

いつ、どこで、誰が、何を、どう、間違えたのか。またそれは何故なのか。クマは泣き

ながら五つのWと一つのHを指を折って確認していた。クマはそんな事をしている自分

が哀れでもあり、また可笑しくも愛おしくもあるのだった。

 「どうかしましたか」知らぬ間にクマの横には司書教諭が立っており、怪訝そうな顔

をしてそう訊ねた。

「先生」クマは今まで一度も口をきいた事のない彼女に対し、思わず自分でも予期せぬ

言葉を発した。

「先生は取り返しのつかない出来事を経験した事はありますか」

「・・・それは何度もあると思うけど。例えば歳を取ったりとか」

「いいえ、そんなのではなくて、何て言うのか、そう、言わなくてもよかった事を言っ

てしまったりとか」

「・・・今こうして会話をしているけれど、私は私が作り上げた君と話していると思

うの。こう言えば君がどう反応するか、君の隣に作ったもう一人の君の顔色をうかがい

ながら、次の言葉を探しているの。だから、どれだけ言葉を尽くしても、それは想像の

領域のコミュニケーションでしかない。でも私達は切れば血の出る現実に生きている

・・・言っている意味が解る」

部屋の中に、内容とは裏腹な司書教諭の屈託のない声が響いた。

「多分、判る、と、思います」クマは考えながら答えた。

「だったらオーケー。失恋でもしたの、人を好きになるのは理屈じゃないわ。大抵は一

瞬の気の迷いか、大いなる勘違い。まあ若いんだから元気を出しなさい。月並みな言葉

だけれど」

「先生は恋愛に恨みでもあるんですか」クマは思わず笑顔で言った。

「そんな事はないけど、でも些細な言葉の行き違いで壊れてしまうような繋がりなら、

元々大した事が無い証拠。そんな関係なら幾らでも転がっている。それで相手が本当は

何を考えているかなんて誰にも判る筈がない。だって自分で自分の事さえ判らないんだ

から。君は完全に自分自身を把握していると思う。人は誰でも、決して日の当たらない

月の裏側みたいな部分を持って生きているって、私はそう思うけど」

クマがまだその言葉の意味を頭の中で整理している間に、彼女はもう一言付け加えた。

「まあ、でも嘘はダメね。特に直ぐバレる嘘は。今日の午後、授業は無いと言うのは最

低。取り返しのつかない出来事を経験した事って、今日君を見逃してしまった事かも知

れない」

 彼女は笑っていたしクマも仕方なく笑うしかなかった。この台本のルールに従って。

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