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緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)5

5.現国のテスト「詩について」

 

 こうやって詩の事を改めて考え直してみると、全く訳が分からなくなってしまう。

それ程詩が生活に密着しているとは思わないが、詩との出会いが無ければ、今の僕

ではない僕になっていたに違いない。

 僕が学校で書かされる以外の詩を書き始めてから五年になる。その間に多くの言葉

がノートを埋めていったが、一つの完成品を残して僕はそれまでの詩、即ち詩人と

呼ばれるような人が書くみたいな詩を、止めてしまった。そして今は何の変哲もない

歌詞を書いている。何故止めたのかは判らないし、止めたと言うよりはむしろ書けなく

なってしまったのだ。一度は信じた詩が、今では単なる言葉の羅列でしかない。書かれ

た詩はどれも真実を語っていない。時間が考え方を変えてしまったのかも知れない。

そうすると多くの詩人と呼ばれる人達が発表した詩は、今では彼等(もう既に故人と

なった者も多いが)にとって意味が無いものではないだろうか。そして、それを読む

我々は、彼等の一時的な感動に浸っているに他ならない。しかも詩人達のすべてが、

一時的にせよ真実を語っているかさえ疑問である。生活の為、言葉を売らなければなら

ない者は、当然売れる事を意識するであろうし、売れるという事は大衆に迎合すること

にもつながる。また韻を踏んだりする為、彼等は彼等は敢えて自分をまげて、書くこと

さえあるはずだ。詩人は単なる売文家でしかなくなることを恐れ、様々な努力を行う

であろうが、それら自体が既に不自然な事であるから、「どうにもならない」という

事に変わりないと考える。

 詩人と呼ばれる人達は、何か普通の人ではないと思われがちだが、決してそうでは

ない。どのような人にも感動があり、それを言葉に上手く置き換えられるか、そうでは

ないかの違いなのである。そしてそれらの大半は訓練によって、得られるものに違い

ない。言葉を多く知っているという事も、その一つであろう。確かに詩人は我々の知ら

ない言葉をよく用いる。しかし、普通は使われないそれらが、本当に必要なものかどう

か疑わしい。敢えて人に判らないようにするのは、その詩人が未熟なせいである。ほん

の身の回りの言葉にも感動はあるはずなのだ。

 僕が見た感じ、詩人はある意味で甘やかされているのではないだろうか。よく詩が

書かれた記念碑などが建っている。そのあたりは風光明媚な場所が多く、人は自分で

言葉にする前にそれを読んで、「なるほど」と思ってしまうのである。そしてまるで

我が意をえたかのように人に伝えるのだ。有名な詩人達は素晴らしい、と信じこまされ

ていて、大して感銘も受けていないのに、解説等を読んで無理に感動してしまう人が

多いのではないか。

 多くの人は好きな詩の一つや二つはあって、暗唱しているものだが(現に僕もそう

だ)、その詩を理解しようと読み込んだ結果覚えたのか、唯単に暗唱出来るようになる

為そうしたのか、僕は後者の人が意外と多いのではないかと思う。また、常に思うこと

だが、詩の解説というものは、判る人には判るのだろうが、かえってその詩を堅苦しい

ものにし、その結果、余計に難解しているのではないだろうか、この詩に於けるレト

リックがなんだとか、ニヒリズムがどうだとか・・・。詩人の詩とはそれ程、多くの

意味を持つものだろうか。

 発表された詩は、その真意がどうであれ、評価される。それ自体間違っているのだ。

詩はそれを書いた人のものである。決して評価を受けるものではない。それを受ける

ということは、結局大衆に受入れ易いものと、そうでないものとを作ってしまう。

 詩を書き続ける者は、はたして自分が何をやっているのか知っているのだろうか。

詩人は手の内にある言葉を一つずつ失ってゆく。そのすべてを失くし、最後には書く

ことも語ることも拒否しなくてはならなくなるのではないだろうか。それが本当の詩人

とは言えないが、詩はその過程に生まれたものに過ぎない。だからこそ僕はそれが全て

とは思わないのだ。結局言える事はそれだけである。これからも、訳の分からないまま

詩を書き続けるかも知れないが、それに溺れてはならないのではないだろうか。

 最後に僕の好きな短い詩を書く。

    私の詩は三日の間もてばいい

    昨日と今日と明日と

    ただその形見であればいい

             三好達治

                             <終>1974年

 

     *     *     *     *     *

 

 高校2年の論文(?)試験。詩に対して批判的立場を取っているかのようだが、これ

はP.サイモンの「キャシーの歌」の歌詞にインスパイアされたものであると思う。

今読み返すと、論旨に矛盾や焦点が定まらない部分だらけで、ご異論も多々あること

と思うが、17歳の文章なのでご容赦願いたい。因みに評価は「木」であった。評価

についてはアーカイブにある「青春浪漫 告別演奏会顛末記7」をご参照いただければ

幸いである。2017年3月  

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)4

4.「深沢うたたね団」の伝説

 

 G.ナッシュが運転する「サウスバンド・トレイン」から、D.クロスビーとS.

スティルスが操る「木の船」に乗り換えてマナサスに着く頃には、三軒茶屋も丸焼け

になっているだろう。僕はジュディー・コリンズに痺れて足が立たないし、誰も助け

に来ないところを見ると、このままロースト・ベアーになる他ないらしい。「くまっ

た!」なんて駄洒落に一人笑い転げていると、「チャン・チャン・ポップス」が

始まったので、仕方無いからラジオを切ると、頭の中でマシンガン・ダンディー

口笛とスナフキンのギターが、パウル・クレーの絵をバックに「山鳩」を演奏して

いる。シンセサイザーの回路を間違えたエマーソンや、脱色したジミヘン、「風に

吹かれて」を歌うツェッペリン、「あせ」をハモるCSN&Yやら・・・。どうも

頭が変テコリンになって来た。ジョニー・キャッシュ北島三郎が兄弟だったり、

フランク永井アグネス・チャンがデュエットしたり、鼻の先が欠けたクレオパトラ

が、髭を剃った風間さんを口説いたり。

 浪花千栄子さん、僕も今そこへ行きます。

 

 中学の授業中突然「七つの子」を歌いだしたという、アグリーのマヌケた顔を見ると

「ああ、今日も酷い1日になりそうだ。」と感じない訳にはいかない。学校で2/3

出席しなければならない、という事は1/3休んでいいということだ。と、教えて貰った

のを忘れたわけではないけれど、今日も来てしまった。給食のチョコマーガリンを13

個食べたというアガタ。あんな顔になったのもそのせいか? なんて考えていると、

ストーンズのブライアンを殺したのはドノヴァンだという、有名な噂を思い出した。

 それにしても今朝また頭髪がバサッと抜けた。このままだとダンディーみたいに

ハゲハゲになってしまいそう。だけど広い額=インテリなのだ。狭いのはバカだけ!

 午後になって、ひからびた空から雪が落っこちて来た。ああ、アグネス喜んでいる

だろうと、カメちゃんと顔を見合わせて笑った。頭の回転が遅いアグリーは、それから

1時間も経って同じことをニヤニヤしながら言った。だけど明日は彼女も、汚れた

雪解けを見るに違いないのだ。

 

朽ちかけた長い回廊を抜けた時、早春の陽光は眩しく暖かかった。           

透き通った新緑の若葉が風にささめくのを聞き、

僕はまた新しい詩を一つ書こうと思った。

汚れなく白い思い出をその言葉に託して、輝くこのひと時を飾ってみよう。

描きかけのカンバスに絵具を重ねて、いつかは別れてゆく二人の後ろ姿を見送るよう

に、栞をさした頁を開いて泪の跡を辿る。

流れ星が燃え尽きたら僕は広い夜空の何処かに、願い事の一つを失くしたように

星々の間を探すけれど、心の中で歌はいつも独りぼっちだった。

遠い夢の旅路をさすらう人の、あの優しい微笑みにもう一度出会えたら、

白百合の花に包まれたイースターの街に夜明けを求めて、

さあ行こうワトソン君、ガニマールでは頼りにならないからね。

 

 メガネをかけた僕の友達のおかげで、どうにかオナガの鳴き声だけ判るようになっ

た。カエルを木の枝に串刺しするというモズは、感じの悪いくちばしをしている。

最近カラスが随分多いけれど、あれはスズメが汚れたのだろうか? スズメと言えば、

僕の田舎ではヒチコックの「鳥」さながらに群れをなして飛ぶのであります。

この間、多摩川でトンビに会ったけど、彼(女) はすごいのですよ。あっという間に、

グーンと上昇してしまうのです。「トンビにアブラゲ」というのは、人があれを羨んで

作った話に違いないのだ。実際のトンビはとっても上品でアブラゲなど取らないのです

(嘘です。トンビは非常に好奇心旺盛でアブラゲだって奪うのです)。

 血を吐いて鳴くというホトトギスは、なんだか物悲しい鳥です。だけどウグイスに

ひなを育てさせるとは、調子いいんだわー。東名なんか走っていると思い出す鳥は、

フラミンゴ。どうしてかって? ニャン、ニャン。

傷ついた山鳩を助けたのは我がアグネス。借金バードは、ひょっこりひょうたん島

登場人物なのです。

 鳥が風に流されながら、それでも飛び続ける姿は、まさに感動的であります。そして

僕は人間に生まれて本当に良かったと思うひと時でもあるのであります。

 

 屋根を打つ雨音を聞いていると、心の中に、ある暖かみが伝わってくる。そんな時

僕は、浮かんでは消える面影や言葉に優しさを見つける。誰かが言った冗談にもう

一度笑ってみたり、ある故人との最後の会話に涙ぐむこともある。そして、人を傷つけ

たに違いない言葉を何度も呟きながら、心は謝罪し、許しを求めていた。

いつまで続くか分からないこの気持ちが、思い出の一つとなって、その時また今と同じ

ように微笑むことが出来るだろうか。

 雨が去り夕陽が差し込んだら、好きなレコードをかけたまま窓を開けて、通りの彼方

を見つめた。そして、瞳を閉じて明日に夢を託す、子供の自分にも別れを告げようと

思った。

 

私は再び駆け巡ろう

季節が残した足跡を辿りながら

遠い昔の感情に身を浸そう

指先で崩れていく老木のように

朽ちた渇きを癒しながら

唯巡り来る春の日に眠り

渡る風に吹かれよう

空を濡らす

如月の雨に打たれよう

芽を吹き始めた緑が

やがて輝く頃

私はまた帰って来よう

霧が晴れて光が宿る

この寂れた心を

私は再び駆け巡ろう

 

夏は遠い季節

いつの間にか広がった空を

小さな雲が流れた

もみじが輝いた

夢は途切れ

心が重く感じられた

誰の言葉も無く

面影が浮かんでは消えた

最後のつばくろが去り

落葉が庭を埋めた

寒々とした風が吹き渡った

山はもう装いを変えた

冬支度の村に人影は絶えた

やがて眠りに閉ざされ

降り頻る雪だけが

絶えず聞こえた

その静けさの中で

私は長いきざはしを上がった

思い出の中で

人は訪れ去った

泪の中で

呟きが繰り返された

私は手紙を書いた

音の無い横笛を聞いた

さようならと言った

ああ 竹藪を流れる朝靄

長逝の響きの中を渡る

私は遠い旅に出る

 

 アレサ・フランクリンの影響かは知らないけれど、「ライブ・サイモン」の「明日に

架ける橋」はすごくゴスペル風になっている。だけどやっぱりアート・ガーファンクル

がいなくては。あの澄み切った男性最高部音のテノールには、何故か感動するのです。

S&Gの持つ寂しげな、そしてハードな感じというものは、みんなアーティーのもの

なのでしょう。そして3月30日にはサイモンが来日します。きっとコンサートは

満員、またレコードも売れることでしょう。だけど小学生の時からの付き合いである

僕にしてみれば、ちょっと不愉快でもあるのです。

 S&Gがデビューして10年。この間には僕等自身にしても、色々な事があった。

僕は唯すべてが綺麗な思い出になるよう、星に願うのであります。

 という訳でどうやらマナサスに着いたらしいので、冬眠の続きをしようと思います。

だけど春になったら、また会おうね。 おやすみなさい。クマ<終>1974年1~3月

 

    *     *     *     *     *

 

 高校2年の3学期、私達はクラスで「機関誌ダンディー」を発行していた。これは

その一部分、私が書きなぐった雑文。2017年2月

 

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)3

3.投影図

 

 県境の鉄橋を渡る電車の鈍い響きに、建付けの悪い下宿の窓が少し共振した。

ー  明日、僕ハ、コノ部屋ヲ出テ行ク。

荷造りの済んだ狭い部屋を見回して、彼は煙草に火を付けた。学生生活が終わった事、

そして明日から社会に出て行くことが、吐き出す煙の中に唯漠然と身じろぎしている

ようだった。

 彼は先程机を片付けている時に見つけた、明治神宮菖蒲園の入場券を手に取った。

色褪せたそれは高校時代の思い出だった。

ー  ソウ、友人ハ皆、物持チノイイ奴ダト僕ヲ笑ッテイタッケ。

それは四月の初め、学校は春休みで彼等二人は月並みに渋谷のハチ公前で待ち合わせ

をした。それから後に「公園通り」と呼ばれる大通りを抜け、代々木のオリンピック

プールを通り過ぎて神宮に着いた。

 参道の砂利道に人影は疎らで、二人は恐ろしく退屈な話ばかりしながら歩いた。

「この道も正月参賀日は人がいっぱいで動けないんだ。それでも家の親父が行こう

と言って聞かないものだから、毎年その度に喧嘩さ。それなのに君を今日ここに誘った

のも、おかしな話だね。」

彼女はその言葉に少し微笑んだ。本堂の前には正月とは打って変わったように控えめ

な賽銭箱が置いてあり、二人は並んで二礼二拍一礼した。彼は本気で二人の関係が

このまま続くようにと祈った。そのあと菖蒲園の方に回り池の畔のベンチに腰を下すと

二人は早くも口論した。

「…だから僕はね、もし僕がこうすれば、こんな事を言えば、相手が喜ぶだろうって

分かっている時でも、敢えてそんな事をしようと思わない。そういうのは何か見せかけ

の白々しい優しさみたいで大嫌いなんだ。」

「そうかしら。私はそうは思わない、私はやっぱり人の為に何かしてあげたいわ。人間

には思いやりが必要よ。」彼女は意外な程、強い口調で答えた。

「でも仮に、人を思いやることで自分が疲れるとしたら、自分を殺す事で、人に尽くす

としたら、それは誠意とは言えないだろう。」

「そうかも知れないわ。」

「だから僕は人に対して優しくあるよりも、誠実でありたいと思うんだ。」

「でもそれは、あなた自身に対しては誠実であっても、相手の人に誠実であるとは限ら

ないでしょう。たとえ自分の本心はそうでなくても、人を思いやるのが本当に優しい人

ではないかしら。」

「そうかな、それはそれは見せかけの優しさだと思うよ。自分を偽るということは、裏

を返せば相手を欺いてる事になるんじゃないか。よく女の子は、どういう男性が好き

とか聞かれると、大概は優しくてユーモアのある人って答えるだろ、そしてその優しさ

というのが、相手の喜ぶ事をしてあげる事ならば、僕は全然優しい人間じゃないね。」

しばし小休止があった。

「いいえ、あなたはやっぱり優しい人だわ。」彼女は殆ど自分に言い聞かせるように

小さく呟いた。

彼はこの件について、それ以上何も言わなかった。そして二人は白けた気分のまま渋谷

まで歩き、フランセで甘いウィンナーコーヒーを飲んだ。店内の若いカップルを見なが

ら、彼女は独り言のように、「あの人たち、どんな話をしているのかしら。」と言った。

彼は適当な言葉を見つけられないまま、苦笑いを浮かべて「さあ」と答えただけだっ

たが、心には棘のようなものが残った。

 彼女は一昨年前短大を卒業したはずであるが、今、何をしているのかは知らない。

もしかしたら既に結婚したかも知れない。そんな事を考えながら、恐らく彼女はもう

とっくに捨ててしまったであろう古びた菖蒲園の入場券を彼はちぎって捨てた。あの

日から半年後、『いつまでも続きますように』との願いも虚しく、二人は学校の廊下

で顔を合わせても、気まずくすれ違うようになっていた。

ー  初詣ニ行キ渋ッタオカゲデ、僕ニハ明治神宮ノ御利益ガ無カッタラシイ。

 彼は苦笑いを浮かべて、短くなった煙草をもみ消した。<終>1977年12月

 

     *     *     *     *      *

 

 この短文もアグリー著作となっている。本来はもっと長編だったが、彼の要求で

原稿用紙4枚迄との制約を受けた。尚、この物語は「告別演奏會顛末記」とはリンク

していない。2017年2月

 

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)2

2.谺(コダマ)

 僕はもう少しで泣き出しそうだった。こんなに遠く迄一人で来たのは初めてだった

し、僕の大好きなお母さんからはいつも「森には恐ろしい鬼がいるから、絶対行って

はいけません。」と言われていたのに、今朝、そのお母さんと喧嘩した後、気付くと

僕は森へと続く細い一本道を歩いていた。だけど今日はこんなにいい天気で、木立の

間から小鳥達のさえずりが僕を誘っているし、それに僕の気持ちを少しも分かって

くれないお母さんを、少し心配させてやろうという気も手伝って、思い切って森の中

に入って行った。

 しばらく歩いてみても鬼なんかいる様子は無く、僕は木漏れ日の当たる柔らかい草

の上に寝転がって、「お母さんなんか嫌いだ。」と呟くと、急に瞼が熱くなって涙が

とめどなく流れた。そして僕はいつの間にか眠っていた。

 それからどれだけ時間がたったのだろう。目が覚めた時はもうほとんど夜になって

いた。僕は驚いて飛び起き、あたりを見回したけれど、微かな月明りではさっき通っ

てきた道もまるで分らず、小鳥のさえずりの代わりにフクロウの声が不気味に響いて

いるだけだった。僕は急に怖くなり泣き声で「お母さーん」と叫んだ。すると遠く

で誰かが「お母さーん」と呼んだ。僕によく似た子供の声だった。『誰か同じように

迷った人がいるのかしら』

「誰かいるの?」僕は期待しながらもう一度叫んだ。「誰かいるの。」また遠くで

誰かが答えた。「僕はここだよ」・・・「僕はここだよ」何処かにもう一人子供が

いることは間違いない。この森の中で独りぼっちじゃないと分かると僕は少し元気が

出てきた。でもその時、『森の中には鬼がいる』というお母さんの言葉を思い出し、

あの声の主が鬼だったらと考え、「君は鬼なの」僕は恐る恐る、でも大きな声で聞い

た。「君は鬼なの」相手も怯えながら尋ねた。「僕は鬼なんかじゃないよ」僕は答え

た。「僕は鬼なんかじゃないよ」遠くから返事が聞こえた。『相手が鬼じゃなくて良

かった。でも怖い鬼なら僕を騙して食べちゃう事くらい朝飯前だろうな。それに、

さっきから僕と同じ事しか喋らないのはどうしてだろう?』僕はそう考えて思い切って

「君は誰だい? どうして僕と同じことしか言わないの」と聞いてみたら、今度はすぐ

近くから声がした。

「僕はコダマだよ」「コダマ?」僕はびっくりして、あたりを探したけれど誰もいな

かった。「そうコダマさ」「何処ににいるの」「君の目の前の大きな木の中さ」「木

の中で何をしているの」「何もしていない、時々人間が来て大きな声で呼ぶのに答える

だけさ。ところで君はどうしてこんなにおそく、ここにいるんだい?」「お母さんと

喧嘩してここに来たら、いつの間にか眠っちゃったんだ。」

「どうして喧嘩したんだい。お母さんが嫌いなの」「違うよ、お母さんは大好きさ。

だけど・・・」「だけどどうしたの」「僕は新しいお父さんなんか欲しくないんだ」

するとコダマは木の枝をゆすってカラカラと笑った。

「何がおかしいんだい」僕は怒ってそう言った。「ごめんよ、だけど君は幸せだね。

お母さんがいるし、お父さんだってもうすぐできるんだもの。僕は君が生まれる

ずうっと前からこの森に一人でいるんだよ」

「僕はお母さん一人でいいんだ」

「それは困ったね。でもきっとお母さんは君の為に新しいお父さんを探して来たんだ

と思うよ」

「そんなの嘘だよ。お母さんは僕なんかどうでもいいと思っているんだ。僕の事、もう

嫌いなんだよ」僕は泣き出した。

「そんなことはない。ほら今誰か君を探して森の中を歩いて来たよ」

「どうしてそんな事が分かるの」「僕は森の中のことはみんな分かるんだ。フクロウ

君よりもね」するとずっと遠くから僕の名前を呼ぶお母さんの声がした。「お母さん」

僕は叫んだ。それに答えるようにお母さんの声がこだました。

「僕の言う通りだろう。だけどお母さんだけじゃないよ、男の人も一緒だ。きっと君

のお父さんになる人だね」僕は何も答えなかったけれど、コダマはまたカラカラと

笑った。「いいことを教えてあげよう。二人が迎えに来たら、君のお父さんになる人

の手を握ってごらん」「どうして」コダマはそれには答えず「さあ、もうそこまで来て

いる。それじゃあさよなら」コダマが言い終わるとすぐ、お母さんが男の人と息を切ら

して駆けつけて来た。

 僕はお母さんに抱きついて泣いた。『ごめんなさい』と言おうとしたけども、言葉

にならなかった。男の人は黙って微笑んで僕を見ていた。「さあ帰りましょうね」

お母さんは僕の手を取った。僕はコダマに言われた通り、もう片方の手を恐る恐る

男の人に伸ばした。男の人は頷いて僕の手を握った。その手は大きくごつごつして

いて、お母さんのように優しくなかったけれども、その代わり力強く暖かかった。

僕もそれに負けないよう力を込めて握り返した。

 二人に挟まれて歩き出した僕は、後ろを振り向き大きな声で「さよなら」と叫んだ。

お母さんは不思議そうに僕の顔を見た。「コダマにさよならって言ったんだ」僕は

二人を見上げて得意げに言った。「おかしな子」お母さんと男の人は嬉しそうに笑っ

た。僕はそれに合わせてカラカラと笑う、コダマの声が聞こえたような気がした。

<終> 1977年11月

 

       *    *    *    *    *    *

 

 1975年、私はなんとか現役で大学生になった。ところが前作の登場人物アグリーが

一浪して、なんと同大学同学部同学科同専攻に入学して来た。彼は相変わらず音楽を

続けていたが、何を思ったか「童話創作会」というサークルに入っていた。結論から

言うと私は彼のゴースト・ライターで本作を書いた。従ってオフィシャルには著者名

はアグリーのままである。2017年1月

 

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)1 

1.予告

 告別演奏会顛末記にアクセスして下さった方々、改めて御礼申し上げます。これから

は、小生の過去の小品を連載して行きたいと思います。どれも相変わらず駄文ですが、

よかったらお付き合い下さい。内容は何でもありです。とは言っても無計画なので、

どうなることやら。現在準備中です。宜しくお願い申しあげます。

 

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 後書き

 1975年夏、私はこの物語を書いた。きっかけは一浪中のメガネユキコ女史からフェア

ウェル・コンサートのテープの追加注文の連絡を受け、理由を訊けば、当時同級生だっ

た女子が入院治療中なので見舞いに持って行きたいと言う。私はかろうじて大学生に

なっており、しかも夏休み中バイトもせず家でブラブラしていたので、二つ返事で了解

した。そしてテープをダビングしている時、ふと、これだけでは芸がないなと考え、

コンサートの裏話を書いてみようと決めた。高校の頃の日記、機関誌ダンディー、後は

自分の記憶を辿って、およそ一週間ででっち上げ、ノートに直筆だった為、わざわざ

大学の図書館に行きコピーを取った。現在のようにコンビニも無い時代である。

無いと言えばPC、携帯電話といった今ではあって当然の物も存在すらしていなかった

為、コミュニケーションは直接会うか、家の固定電話か手紙に限られていた。

 ともあれ、時代は流れこうして衆人の目に駄文を晒すことに抵抗を感じなくなる歳

になり、感慨深いものがある。本当は写真等もULしたかったが、被写体となった人物

の了承を取ろうにも、連絡先が判らず断念した。ただ文中に多く登場する敵役的存在

のアグリー氏には電話で「貴方の事をボロクソに書いているよ。」と言うと、笑って

承諾してくれた。尚、この物語は限りなく現実に近いフィクションであることを申し

添える。

 

 このブログの合計アクセス数は今日現在1,258である。最初は100くらいかなと想像

していたので、これは嬉しい誤算であった。

 最後になるが、ブログ立ち上げについて種々アドヴァイスをしてくれたoogatasen

さん、また☆をつけてくれた方々、アクセスしてくれた全ての人達、そして無料で私

にスペースを提供してくれたhatenablogさんに深謝申し上げる。

 

                        2017年1月15日

                              緒永廣康(クマ)

                       Twitter     https://twitter.com/katamiwake

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 番外編

13.春の訪れ

 フェアウェル・コンサートが終わって数日間、クマはライブレコーディングした90分のカセットテープ

2本を何度も繰り返し聴いていた。テープの注文はアグリーが20近く集めていたが、そのままダビングする

のではなく、編集して何とか1本にまとめたかったのだ。しかし不要な部分を削っても半分のC-90にする

には演目をカットするしかなく、それは避けたかった。C-120はテープが薄く耐久性に欠けることは当時

の一般常識であったが、アグリーと相談の上、結局それを採用することになった。販売価格はテープ代のみ

で、ダビング等の手間賃は完全に勤労奉仕だった。

 そして、その頃全く違う目的で、全く別のボランティア・グループが、クマの知らないところで動いてい

た。2年4組最期のクラス合宿の前日、クマとアグリーはクマの家でオーダーされたテープのダビングを終

え、めずらしくサイモン&ガーファンクルの歌をクマのギター1本で遊びで録音していた。そこへダンディー

から電話が架かってきた。「あのさぁ・・・女の子達から頼まれて電話したんだけど。」ダンディーはいつも

のように淡々と話を続けた。「ナッパさんが君ともっと親しくなりたいと思っているらしいんだけど、自分

からは言い出せないし、合宿が終わったら君の方から誘って貰えないか、という話なんだ。」クマは最初面食

らったが、そう言えばコンサート終了後、ニッカがセンヌキにナッパを「深沢うたたね団」に入れてくれない

かと依頼した話や、夕日を物憂げな表情で見ていた事など勘案すると、思い当たる節も無いことはない。

2-4インケングループはそんなナッパの想いを忖度し、煮え切らない優柔不断なクマの背中を押す為、ダン

ディーに相談を持ち掛けたのだろう。「良かったじゃないか。」と言うダンディーにクマは礼を言って電話を

切った。彼は自分の置かれている立場を未だよく理解出来ないままアグリーの元に戻って、その話をそのまま

伝えた。アグリーは「やったじゃない。」と喜んでくれたが、心中までは図り知れなかった。

 二泊三日のクラス合宿は南房総の他の都立高校の寮を借りて行われ、引率は担任のカギ付きサナダ。参加者

は「うたたね団」とインケングループ + アルファ。特に何事も起こらず無事終了、夜、渋谷駅で解散となっ

た。そこから各々東急バスで帰宅するのだが、クマとナッパ、他男子2名が同じ路線であるのに、女の子達が

その2名に一緒帰ろうと声をかけ、結局クマはナッパと二人っきりなった。おそらく女子の間で話が出来上

がっていたのだろう。二人は三軒茶屋で降りクマはナッパの家がある三宿まで送ってゆく間に、デートを申し

んで快諾を得た。これから先の事は判らない。しかし二人が新しい世界へ一歩踏み出した事は間違いなかっ

た。至福の輝きか或いは更なる昏冥に向かって。<終>