緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 20(最終回かな?)

12.「Don't Think Twice, It's All Right」クマは呟くように歌った

 とにかく何とか終わったのだ。アグリーはコンサートのライブテープの注文を取って回っていた。クマの

ところにはヒナコとムーがやって来て、「3年で同じクラスです。よろしく。」と挨拶した。彼は珍しく愛想

よく「こちらこそよろしく。」と答えた。その後、ナッパが例のカラオケテープを返しに来た。「これ表の方

も聞いちゃった。いい声ね。」クマは『それで、ほら、他に言うことはないの? 例えば私も実は前からクマ

さんの事が好きだったとか、春休みにデートに誘って欲しいとか・・・』と期待したが、やはり何も無かっ

 

らわざと怒った振りをした。

 ペチャ松が見に来なかったので残念そうにしているセンヌキに、ニッカはナッパを「うたたね団」に入れて

くれるよう頼んだ。しかし、取敢えず高校生活での青春に決別したつもりの彼は「僕等はもう解散するん

だ。」と冷たく言い放ったのだった。カメは大阪へ行く為、そそくさと帰っていった。

後片付けが行われている間、ナッパはニッカと窓辺にもたれ、思い悩んだような顔をしてうなだれていた。

黄昏は、空と雲と彼女の頬を紅に染めている。それは単にみんな別かれ別かれになるという感傷に浸っていた

だけだったかも知れないが、クマはその表情が何か言いたげだと思った。それ以外の者の顔は、心の中はどう

であれ、なんとなく晴々としていた。

 楽器や機材を再びリヤカーに積み込むと、「うたたね団」はヒナコとムーに手伝わせて、センヌキの家へ

戻って行った。ナッパはさよならさえ言わずに帰ってしまった。

そしてヒナコとムーはセンヌキの家のNAPスタジオで、録音されたばかりのテープを聞くや、地獄の光景を

見たのだった。「うたたね団」が互いに口汚く、けなし合いを始めたのである。

「なんだこれは! センヌキは完全に間違ってるじゃないか。」

「ゴメンよ! 間違ったもんはしょうがないじゃんか。それよか何でクマの声ばかりデカく入ってんの?」

「そうだ、クマの奴が一番感度のいいマイクを取ったんだ。きたねえ野郎!」

「違うよ、俺の方が声量があるんだよ。ボソボソ蚊のなくような声で歌ってんじゃないよ!」

「いや、クマはいつも自分さえ良ければいいと思ってんだ。」

「悪かったねぇ。でもボーカルのバランスを取るのは、ミキサーのトシキの仕事だろう。」

「僕は知らないよ。もともとみんな下手なんじゃない?」核心を突く鋭い一言が出た。

「なに~っ!!」

「いや、そうだ。この曲の時はカメがボリュームをいじってたんだよ。」

「そうかカメの責任か。」

「うん、カメが一番悪い。」もとより喧嘩になる訳でもなかったが、無事欠席裁判が済み、少し落ち着くと、

リヤカーを返しに学校へ戻り、全員近くにある駒沢飯店へ行ってタンメンを食べた。食べながらセンヌキと

ダンディーは、来年の受験の事を話していた。クマはその話に加わろうと、二、三言葉を探したが、すぐに

止めてしまった。彼にとって今は、受験などどうでもよかったのだ。『もうすべては終わったのだ』そんな

感慨がこみ上げてきた。

 店を出て、アグリーがギターを2本持っているのを見たクマは、「家まで1本持って行ってやろうか? 俺

は全部センヌキのところに置いてきたから。」と言った。しかしアグリーは、何故かその申し出を断った。

クマは誰かと一緒に帰りたい気分だったのだ。

そのままそこで全員解散した。もう再びI,S&N も「深沢うたたね団」も共に演奏することはないかも知れ

ない。クマはVANの黒いダッフルコートの襟を立てて、花冷えのする桜並木の一本道をバス停に向かって歩き

出した。去年の秋、文化祭の準備で帰りが遅くなった時、ナッパと二人で歩いたこともあった。あの時、一体

どんな会話をしたのだろう? 何も思い出せなかった。そして今、この夜に・・・。

頭の中では一つの時代が終わったという実感のみが、鈍く響いていた。心を燃やし、費やされた時間が、決し

て意味の無いものではなかったことを彼は知っている。しかし、今にして思えばこの二年間喜び、悲しみ、

そして苦しみなど、どれも些細な出来事に対して向けられたものに過ぎなかった。

「Don't  think  twice,  it' all  right 」昔聞いたボブ・ディランの歌を呟くように口ずさみながら、信号のところ

で立ち止まった彼は、「カフェテラス・ロッシュ」で幸せそうに食事をする、見知らぬ若い二人の影を見て

小さく笑った。

そしてその声を掻き消すように爆音を轟かせながら通りがかったオレンジ色のギャランGTOが、国道

246号線を多摩川向かって走り去って行く、その特徴あるダックテールを、ただぼんやりといつまでも見送っていた。

 

 

 本当にすべてが終わってしまったのだろうか。<完>

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 19

11. 「せっかく・・・」センヌキが恨みがましく非難した

 会場を三年四組に移して、マイクのセッティングやミキシングの調整が行われ、それが終わるとナッパから

春休みに行う最期のクラス合宿の説明があった。彼女の服装は白のブラウスに黒く細いリボンを垂らし、白い

毛糸のベスト、淡いピンクのミニスカート、そして白のハイソックスと、まるでアグネスチャンの衣装その

ものだった。

 客の入りはパラパラと三十名程度、その内の1/3 は出演者とスタッフだったが、女生徒に絶大な人気がある

「まり子先生」こと米原教員が来ている事が異色と言えば異色だった。それでもクマやアグリーが充分満足

していたのは言うまでもない。昨年12月に話が持ち上がったコンサートは、今まさに始まろうとしている。

クマがミュートしたギターでリズムを刻み、センヌキが歌い始めた。名曲「青い目のジュディ」の最後のリフ

レインである。予定では続いてアグリーが3度下、クマが3度上という風に3パート・ハーモニーになる筈で

あったが、センヌキは自分のパートをキープ出来ず、下につられたり上についたり、要は音を外しまくった。

しかし、途中で止める訳にいかず、エンディングだけ何とか決めて、次はニール・ヤングの「オン・ザ・ウエ

イ・ホーム」、グレアム・ナッシュの「ティーチ・ユアー・チルドレン」と、もろC,S,N & Yのアルバム

「4way street」のコピーで通し、途中オリジナルを挟んで最後はやはりC,S,N&Yの「愛への賛歌」で

しめた。と言えばカッコいいが、スペアのギターが無い彼等はチューニングの変更に手間取り、その間誰も

MCをする余裕がなく、皆を白けさせた。いつの間にか現れたアガタの「もう、止めちゃえよ」と言う言葉

が妙に現実性を帯びて聞こえた。その点で言えばクマのギター1本でやった曲の方が余程纏まりが良かった。

  次はサチコである。彼女はその日の朝、風邪でいつもの美声?が出ないことを理由に、出演を取り止める

とクマに申し出ていた。本当はどうでもよかったクマだが、一応なだめたり、すかしたりして出演させたので

あった。サチコは確かに鼻声で喉の調子もいまいちだったが、演目をすべて歌い切った。「うたたね団」は

ぶっつけ本番で伴奏したがまずまずの出来であった。

 続いての登場は、憎んでも余りあるHIM(ヒナコ&ムー)である。奴等は最初30分と報告していたにも

拘らず、延々一時間以上もやりやがって完全にコンサートの主役になってしまった。『だいたいヒナコという

女は、よそのクラスまで来て態度デカくよくやるなぁ』と、日頃図々しいと皆から言われているアグリーで

さえ、すっかり感心してしまった。彼女達はヤマハ提供の「コッキーポップ」というラジオ番組で放送されて

いる曲や、ムーの自作曲を冗談を交え次々と歌う。ムーのギター演奏は相変わらず酷かったが、ヒナコの歌声

は素人離れして妙にセクシーでもあった。最後オフコースの「でももう花はいらない」で打ち上げた。クマは

その曲を初めて聴いたが、なかなかいい歌だと思った。やはり歌は曲と歌詞、そしてボーカルの技量であっ

て、些細なギターテクなどある意味どうでもいい事なのだ。それをクマ達は思い違いしていたのだった。

 そしてナッパは腹山と共に1曲歌い、あとはソロである。彼女の出番を後ろに持って来たのは、先にやって

帰ってしまわないようにと、ここでもクマの考え過ぎとも思える、緻密で万全な計算が働いていたのだ。

ナッパは例のカラオケが多少功を奏したのか、かなり難はあるものの「うたたね団」の伴奏に何とかついて

きたが、ラストの「あなた」で勇んでベースを持ち上げたクマは伴奏を断られてしまった。「あの~」ナッパ

は言いにくそうに小さな声で言った。「いいです。伴奏があるとかえって歌えないの。」アグリーをはじめ

「うたたね団」は声を上げて笑った。あの練習の状況を考えれば、それは当然と思われたが、センヌキはクマ

の気持ちを代弁するかのように、「せっかくベースの人が一生懸命やろうと思ったのに!」と恨みがましく

非難した。その一言は気の弱い彼にしては、よく言ったと後々まで語り草となった。

 「ゴ、  ゴメンナサイ」ナッパは本当に申し訳なさそうにクマを見た。その時、彼女はこの曲を下手な伴奏

などに惑わされることなく、心を込めて歌いたいのに違いない。クマはそう思った。

 「深沢うたたね団」は和洋、オリジナル等種々取混ぜ演奏したが、基本的にエレキは得意としておらず、

クマはリードギターとベースを持ち替え奮闘したが、あまり結果がついて来なかった。「・・・6700」も

期待した程受けず、ボーカルが殆ど聞き取れない最悪のパフォーマンスを露呈、それでもラストの「オハ

イオ」をクマとアグリーのツインリードで図々しく9分もやって、またみんなを白けさせた。

 最後はクマ達の呼びかけに全員立ち上がり、チューリップの「心の旅」をSING OUTして、3時間に

わたるフェアウェル・コンサートのすべてのプログラムが終了した。<続>

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 18

10.『すべてとお別れだ』クマは心の中で呟いた(2)

 いよいよ明日が本番という日、巷ではルバング島から帰還した小野田少尉の話で持ち切りの時、「深沢うた

たね団」は、軽い打ち合わせのつもりで全員がNAPスタジオに集まった。幻のリードギタリストのアガタは

グレコストラトキャスターをセンヌキに貸し、本人は不参加。

センヌキは暫くそれをいじくっていたが、突然フィンガー5の「恋のダイヤル6700」をやり始めた。「おい、

これ明日やろうぜ。」クマが冗談半分に言ったところ、本当にやることになってしまった。原曲は電話の

ベル音の後、タエコという女の子の「ハロー・ダーリン」という言葉で始まるが、クマは鈴を鳴らし裏声で、

「ハロー・ノータリン」というアイデアを出し、バカウケを取った。悪乗りしたダンディーはテレビで見た

振付までやることになったのである。

『明日はきっと受けるぞ』雑談する声も弾む。「・・・6700」の興奮が醒めきらないまま、各人ギターの弦

の張り替えを行い、楽器や機材を1階のセンヌキの部屋に下ろした。ギターやベース7本を始め、アンプ類

4、スピーカー3と、とても一度に運べそうになかったので、翌日二度に分けて持って行くことにした。

そしてそれぞれ明日への期待を胸に秘めて、「うたたね団」は帰っていったが、センヌキはその日の内に、

スピーカーケーブルやジャックの結線をハンダ付けで行わなければならなかった。

 

 ついに1974年3月25日が訪れた。早朝センヌキの家にクマとダンディーがやって来た。何事にもいい

加減なアグリーは、いつものように遅れて到着。クマ、アグリー、ダンディーは両手に生ギターとエレキを、

センヌキはダンボールの箱に入れたベースとマイクやコード類が入った鞄を持った。センヌキはベースが持ち

辛い為、しばしば休憩を要求したが、「ケチッてケースを買わんからよ。」とクマに即され、渋々立ち上がっ

た。途中、他に部員のいない陸上部を文字通り一人で支えている小島氏にあったが、彼はなにやら逃げるよう

に立ち去った。それ程四人の目はらんらんと輝いていたのだ! しかし校門を潜ると周囲の冷たい視線を感

じ、そそくさと教室に逃げ込んだが、そこでもクラスのアイビー悪ガキ連中のバカにしたような顔を見ること

になったのである。

 やがて終業式前に恒例の大掃除が始まったが、「うたたね団」は全員エスケイプし、用務員のおじさんに

学校のリアカーを借りて、アンプ類を取りに再びセンヌキの家へ向かった。相当な重さとなったリアカーを、

坂道で引き上げるのはかなり骨だった。にも関わらずアグリーは全然力を入れていないように見えた。

ようやく学校に戻った時には、既に終業式は始まっており、連絡事項として、倫社の教員が午後は次年度の

新入生が来る為、全員速やかに下校することと言い渡したのだ。

それを聞いたクマとセンヌキはいきり立った。『一体何の為に今までがあったのだ!』二人は唯オロオロする

ばかりのアグリーを置いて、まるで殴り込みにでも来たように職員室のドアを荒々しく開けると、担任のカギ

付きサナダ虫にかみついた。「僕に言われてもネェー。」虫はニヤっと笑って言った。

「だけど、この日にやるって事は前から決めていたのだし、今更止めろと言われても困るんですよ!」クマは

部屋中に響き渡るような声で言い切った。

「それじゃ日直の先生に話してみよう。」担任が折れ、彼のお陰で3年4組の部屋が借りられることになっ

のである。

 その日はまた、クマ達三年生での新クラスの発表もあった。クマもアグリーもナッパとは一緒になれず、

クマは1組、アグリーは2組、ナッパは8組となっていた。クマは内向的な自分の性格を知っているだけに、

クラスが変われば、まして教室の階数も違う状況になれば、話をする事さえ出来なくなると思った。

 結局この約2年間、クマは自分勝手に恋をし、自分勝手に失恋しただけだった。その対象となったナッパに

対し、幼すぎる接近を図ったものの、何ひとつ自分の意志を明確に表示することはなかった。彼は唯、彼女

から自分の方に歩み寄って来るのを夢見て待っていたのだ。それは確かに内向的な性格も影響したかも知れ

ないが、しかし彼は彼女に受け入れられなかった時の事を恐れるあまり、自ら「愛」を裏切り、背を向け、

逃げ出したのだ。

彼は、時が早く流れればいいと思った。今いるこの場所から、自分を取り巻く周囲のすべてのものから、1日

も早く解放されたいと思った。一年後、大学のキャンパスという来たるべき新しい環境の中で、ひ弱で臆病な

心も新しく生まれ変われると信じたかった。そうすることで一度相手に後ろを見せた犬が、いつまでも負け犬

であり続ける事を、彼は無理に忘れようとしていた。

 そしてアグリーやセンヌキ達も、この「フェアウェル・コンサート」の終了が、楽しい高校生活の終焉

だと、勘違いしている振りをしていた。この4月からの一年間は大学受験の為のものであって、ギターを弾い

たり、女の子と付き合ったりする年ではない、という極端な結論を出しておかなければならなかったのだ。

何故、彼等にはもっと心のゆとりが無かったのだろうか? 

 月の光に手をかざして暖かみを求めているようなナッパへの想いを断ち切る為、クマは意を決したように

心の中でで呟いた。『今日ですべてとお別れだ』<続>

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 17

10.『すべてとお別れだ』クマは心の中で呟いた(1)

 コンサートを数日後に控えて、センヌキの家での I, S & N の練習は、連日夜まで続けられた。しかし今まで

吉田拓郎の歌が全てだと信じてきたセンヌキに、クマの高度というよりは変則チューニングを使ったサウンド

は摩訶不思議の世界で理解出来るはずもなく、いつまでたってもでも自分のパートを覚えられるずにいる。

クマは露骨に嫌な顔をしながら、何度も彼に教え込まなければならなかった。 

 ここで彼等が使っている変則チューニングについて少し触れる。

基本は以前に述べたDチューニング = DADF#ADで、特にクマは自作曲にも多用した。またオーソドックス

チューニングのDとも相性が良く、左右にPANで振ってフィンガリングすると絶妙な雰囲気を醸し出した。

同じD系では、DADDAD、DADGBD も C,S,N&Yのコピーには必須である。DADDAD はマイナーにも、

メジャーにも対応し、ギター1本でソロ演奏にも適している。(代表曲:青い目のジュディー =原曲のキー

はE=)DADGBD はどちらかと言えばブルース系に向いている様に思える。

そして一番難解なのが、D. クロスビーが用いる EBDGAD である。これはD系と全く違い、解放弦で弾いた

だけでも、不思議な感じがするチューニングで、当然通常のコード表など使えない。クマは普通のオープン

リールのテープレコーダーに9.5cm/sec で録音し、4,75cm/secで再生、音程は1オクターブ、速度も2倍に

落ちるが、一音ずつ耳で拾いコピーした。その曲「グウィニヴィア」を意地でもコンサートでやるつもり

だったからである。 尚、C, S , N & Yのアルバムタイトルにもなった名曲「デジャ・ヴ」も、このチュー

ングが使われている。他にはジョニ・ミッチェル等のGチューニングもあるが、クマ達は上手く導入出来

なかった。

 さて、センヌキがクマから厳しい指導を受けていたある日、戸塚に引っ越したばかりのトシキがわざわざ

練習の見学にやって来たが、彼はセンヌキの弟で未だ3歳のサブの面倒を見るはめになってしまい、階段の

上下でみかんを投げ合って、結局、練習に参加する事が出来なかった。因みにセンヌキの兄の名は一郎、

本人は二郎、弟は三郎という。割と安易な大学教授もいるものだとアグリーは笑った。

練習の合間にも、電話で放送委員のリンダさんに放送部備品のマイクスタンドの貸し出しを依頼したり、また

コンサートの実況録音する為の機材も用意され、準備は着々と進められてゆく。写真はマッチビに頼んだ。

 クマ達は基本的にはこのコンサートの目的を、レコーディングごっこの集大成、即ち自分達のライブ・アル

バムを制作することと考えていた。従って他の女子の出演者は、端的に言えば客寄せの餌に過ぎず、主役は

あくまで I,S & N であり、「深沢うたたね団」である。その主役、脇役の在り方を HIM(ヒナコ&ムー)が

メチャクチャにしてしまう事を、彼等はまだ知らずにいたのだった。<続>

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 16

9.「何故もっと早く・・・」ダンディーが恨み言を言った

 再びレッスンが始められたが、ナッパの持って生まれたリズム感の無さから、これ以上の練習は時間の無駄

のように思えた。するとアグネスチャン・ファンクラブ会員のカメが、カラオケテープを作り彼女が家に帰っ

てからも練習できるようにしたらと、珍しく賢い事を言った。早速録音にかかろうとしたが、生テープが無

い。ところが、たまたま運の悪いことにクマの一作目のオリジナルテープのB面が空いたまま、センヌキが

持っていたのだ。「これにしよう!」センヌキはイタズラ好きの子供が、新しいプランを考え付いた時の

ように、得意げな笑みを浮かべて、そのテープをクマの前に突き出した。

 クマは一瞬、顔面蒼白になった。何故ならこのテープのトップに収録されている『君に捧げる歌』という

曲は、彼のナッパへの思いを歌ったもので、夏休みの頃、クマやメガネユキコ、ナッパ達、文化祭責任者だけ

打ち合わせで学校に集まり、日直で来ていた担任教員カギ付きサナダ虫が、慰労としてくれた小遣いでかき氷

食べにゆき、その帰り買って来た花火を昼間なのに校舎の影でしたことが、次のような歌詞で綴られて

いた。

 

   日差しに歩く 後ろ姿が

   子供のように はしゃいでたね

   買ったばかりの 花火を振りながら

   夜までとても 待てないなんて

   あの時 言えば良かった

   君がとても 好きだって

   僕の心を 知ってるように

   君の瞳が 笑っていた

 

これを聴けば、ナッパは誰の事を歌っているのか、すぐ気づくはずだ。体に似合わずシャイなクマはそれが

恥ずかしかったのである。彼の必死の反対にも、結局『A面は聞かない』という約束で貸すことになって

しまった。

「絶対聞いちゃあダメだよ。」逆効果になると知りつつ、クマは帰り支度のナッパに念を押すように言った

が、その時彼は、『もしかしたら、自分が作った歌に彼女が感激して、「クマさんって素敵な人ね」なんて

ことが、あるかもしれないな』などと、ありもしない、しかしあってもよさそうな、つまり自分に都合のいい

事を考えていた。

 ナッパとニッカがバス停までの帰り道を知らない為、クマは詳しく説明したが、今度は何故かアグリーが

気配りする風に「送って言ったら。」と言い出した。しかし先程、学校に迎えに行って悲惨な思いをしたクマ

は、さすがに行きたくない。敵が逃げ腰だと見たアグリーは、さっきの仕返しとばかり追い打ちをかけてく

る。

「しかしアナタ、こーんなに薄暗くなって女の子だけで帰すのはよくないと思わない。」

「うん、でも僕等はも少し練習しなきゃいけないし・・・」

「アナタ何を言ってるんですか、そんな問題じゃあないでしょうが。」

「・・・」クマの形勢は悪くなるばかりだった。『だったらお前が行けよ』と言いたかったが、ナッパの前で

あまり醜い争いはしたくない。

「いえ、大丈夫ですから。ねえニッカ。」ナッパの言葉にニッカも『大丈夫です』と頷いた。

 女の子二人が帰ると、クマ達はしばらく放心したように黙り込み、部屋に静けさが訪れた。すると、ふと

ダンディーが来ていない事に気づき、電話を架けて呼ぶこととなったが、はたしてチャリンコを飛ばして

やって来た彼は、つい今しがたまで、密に好意を抱いているニッカがここにいたと聞き、何故もっと早く

呼んでくれなかったのかと、皆に恨み言を言った。しかしナッパと共に至福な時を過ごしたクマやアグリー

の耳には、何も聞こえているはずが無かったのである。<続> 

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 15

8.「♩ ・・・♩・・・」ニッカは必死にリズムを刻んだ

 ナッパは正門側の自転車置き場の所で待っていた。『いやあ、お待たせしてゴメン。さあ行きましょうか』

と言おうとしたクマは、彼女の隣にニッカが立っているのを見て、思わず言葉に詰まってしまった。

「ニッカが付き添いで来てくれるって。」ナッパは嬉しそうに言った。

アガタはクマの不運を笑いながら行ってしまい、てっきり彼女が一人で来るものと勝手に信じ込んでいたクマ

は、仕方なしに二人を促して歩き出した。『何か話さねば』焦るクマの前には、お馴染みインケンの見えない

壁が立ちはだかり、彼を拒んでいるかのように二人でケラケラ談笑している。 『これじゃ唯の道案内だ』クマ

意地になって速く歩き、前を行くクマと二人との距離は3m、5m、最大10mまで開いて、彼のセーター

の中は汗だくになった。こんな筈ではなかった20分の道程が彼には途轍もなく長く感じられた。

 ようやくセンヌキの家に着くと、待ち構えていたようにアグリーが階段を飛び降りて来て、自分が風邪で

寝込んでいた間のクラス合宿の準備の進捗状況を、さも心配そうに尋ねている。『いい子ぶるのはよせ!』

すっかりいじけたクマは、迎えに行った事を後悔するのだった。

 早速、練習が始められたが、クマの予想通りアグリーは強引に出しゃばってきて、ギターを弾くことに

なった。ところが信じられないことが起きた。ナッパは先天的ともいうべきリズム音痴で、音程はほぼ合っているの

だが、全く伴奏に乗れない。イントロが終わって歌が出ない、メロからサビへ移る時、走る、間奏を飛ばす。

誰かがガイドで一緒に歌うとなんとか追いついて来るのだが、本番は一人で歌わなければならないのだ。

『これは重症だ』相手がナッパでなければ、気の短いクマはとっくに怒鳴り散らしているはずだったが、

あくまで微笑みを絶やさず、しかし少し顔を引きつらせながら、何度も同じフレーズを繰り返す。歌い手の

リズムの変化に臨機応変に対応するNHKのど自慢のバンドリーダーの苦労がわかるような気がした。しかも

「うたたね団」自体にその技量も無かった。それを見てニッカは手やら足を使って、必死にリズムを教えよう

とするのであったが、すべては徒労だった。ニッカは、ボーイッシュな短髪の運動神経抜群の女子で、いつ

だったかクラス対抗のハンドボールの試合で、見事な倒れ込みシュートを放ち、クマはひどく感動した記憶が

あった。運動神経とリズム感に関連があるのかは不明だが・・・。

それはともかく、あのアグネスチャンの歌声をDOLBY NR ON で録音し、OFF で再生するような声で歌って

いるナッパも、次第にうつむきかげんになって来て、何やら気まずい雰囲気が漂ってきた時、センヌキの母親

が救いの差し入れを持ってきた。

「センヌキのところには、めったに女の子の来客が無いのに、今日は二人も来て母上が驚いていたじゃな

い。」何とか場を明るくしようとするクマの冗談に、声を出して笑ったのはアグリーだけだった。クマは

反響の少なさを意外に思いながら、残ったドクターペッパーの姉妹品ミスターピブを飲み干した。<続>

緒永廣康 「青春浪漫 告別演奏會顛末記」 14

7.「ごちゃごちゃ言ってんじゃねーよ」アガタは迫力ある顔にものを言わせた(2)

 翌日、クマはアガタの家へ行き、アガタが知り合いから引っ掻き集めたギターアンプ類を、二人でセンヌキ

父親から分捕った感のある「上野毛NAPスタジオ」までバスで運んだ。途中、車内でタンバリンを3度

も落とし、その度に他の乗客から睨み付けられた。いつの日も凡人は芸術家に冷たい。センヌキの家に着く

と、もう既にナッパから電話が架かった後であった。

「あれ~学校に寄って来なかったの? ナッパさんにもうオタクが行っているって言っちゃったよ。」

「だってアンプガ重くて、学校なんか寄れないよ。」

「すぐ迎えに行って。」

センヌキとクマが玄関で話していると、2階から「俺が行こうか。」とイヤラシイ声がした。なんと何処で

嗅ぎつけたのか、アグリーが風邪をおして来ているのだ。

 彼女を迎えに行く、という事は『学校から上野毛までの約20分間、あのナッパちゃんと肩を並べ、楽しい

お喋りをしながら歩ける』ということだ。

そこでクマとアグリーどちらが行くか、またしても醜い男の争いが始まった。

「重たいアンプを運んで疲れてるんだらろう?」

「そうでもないけど。アータこそ未だ風邪が治ってないんじゃない? 無理しない方がいいよ。」

「いや、もう大丈夫だよ。それに今日はあったかいし。」

「でもセンヌキは、僕が迎えに行ったとナッパに言ったんだから、やっぱり僕が行かないとおかしいんじゃ

ない。」

「そんな事は関係ないよ。」

「だったらオタクが行ってくれば。」不愉快といった表情目一杯のクマ。『すべてをお膳立てしてトンビに

油げは無いだろう。』彼はアグリーの図々しい無神経さが信じられなかった。

「二人で行こうか?」品の無い眼差しのアグリーが、妙な妥協案を出してきた。

「なんで? 二人で行く必要なんかないじゃない!」

センヌキが唯唖然とする中、二人の戦いは果てしなく続きそうに思われた。その時ついに深沢全共闘の闘士、

アガタが迫力のある顔にものを言わせて断を下した。

「ごちゃごちゃ言ってんじゃねーよ。クマが行けばいいだろう。」

クマはその言葉に涙が出る程感謝しながら、うんうんと頷いてアグリーの方を見ると、彼は急に風邪が、ぶり

かえしたのか、立て続けに咳をしながらスゴスゴと二階へ上がってゆくところだった。

 新聞委員会に用事があるアガタと学校へ向かう道、クマの目に映る景色は、最早冬ざれた灰色の翳りは

なく、すべてが早春の陽光に眩しく輝く町並みであった。

「もしかしたら、『今』幸せなのかも知れない。」クマがそう呟くと、アガタはニヤッと笑って余計迫力ある

顔になった。<続>