緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)23

14.めもらんだむ 1978 1.

 僕は今日も学校に行かなかった。所謂自主休講である。昼近くまで寝ていたのを、

間違い電話で起こされて、することも無く一人ビールを飲んで煙草を吸った。少量の

アルコールは、しかし僕を少し酔わせて、意味を成さない幾つかの言葉を呟かせた。

 ー Mama stop!  turn you around.  Go back!  think it over...。It's all over now...。

When you see me, fly away without you...。And I must lean to live without you now...。

どれも歌詞の一節ばかりだ。それをビール片手にボソボソ歌う。「それにしても考えて

みれば、随分酒に弱くなってしまったものだ。大学に入って間もない頃は平気でウイス

キーのボトル1本空けていたのに。」そして僕は、ふと思い立って昨夜から書き始めた

小説を読み直してみた。「しかし、これが何になるのだろう。詩が書けないから、今度

は小説か。安っぽい恋愛小説。過去ばかり振り返る主人公、去って行く女。そうだ女は

去って行く、軟弱で不器用な男から。優しい男、男らしい男、話題が豊富な男、お洒落

な男。僕に言わせれば、どれも白々しいだけだ。もう安田や村井ともこれっきりだ。

彼等の都合のいい時ばかり利用されるのはまっぴらだ。下らない冗談に相づちを打っ

て、大袈裟に笑い転げるなんて…。」しかし僕を苛立たせている本当の理由はそんな事

ではなかった。「そう、今日は和子の結婚式の日だった。」僕は再びペンを取って小説

の続きを書き始めた。書けるうちに書けとでも言いたげにペンは走った。

 「私ね、再来月結婚するの。相手は島崎君の知らない人よ。今はサラリーマンだけ

ど、実家が九十九里浜で旅館をやっていて、いずれはそこを継ぐみたい。披露宴には来

てくれるでしょう。あなただけ呼ばないと人が変に思うから。きっと来てね。今日来る

途中、招待状を出したの。」別れ際に出来るだけ平静を装って、和子は言った。<続> 

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)22

13.愛すべき女学生達

 理由も無いのに立ち止まって、何故だろうなんて考える年頃の彼女達は、きっと僕

の心の中など判りはしないだろうが、でも、その実、何もかも見通しているようで、

時々ハッとさせられるのである。とにかく彼女達は新鮮で、愛らしくて、そんな彼女達

を少女と呼ぶ室生犀星氏にとって、そんな少女の死は小説の最初に述べてあるように、

いたみつくせない美しさとはかり知れぬ悔しさ、そのものであったろう。

 彼女達は一日のうちで、何度となく大人と子供の間を行き来しながら、その奥に、

僕は僕ににとって本当の安らぎあるのだと信じている。だが、どのようにしてその安ら

ぎを感じ取ればいいのだろうか。小説からは可能な答えは何も見いだせない。何故な

ら、それはもう作者にとって関係ない事。彼は父親のように優しく包み込むだけ。そし

て僕はと言えば、明日になると何が起きるのだろうなんて楽しみにしているだけ…。

 僕はいつも口ずさむ歌がある。直訳すると、

     聞いてごらん

     僕のあの娘が笑っているのを

     でも、何故だか教えてくれないよ

     心の奥深くにあることなのだから

彼女達の優しさは誰でも知っている。そしてその不可解な行為も。作者はそれをそのま

まに伝えている。その一つ一つ取り上げるのは物好きな人の任せておけばいいが、悲し

みを感じさせないこの悲しみは一体何だろう。彼女達は死んでゆく。唯、思い出を残し

て。そしてそれに浸りながら、僕は酒を呑むかわりに、泣き続けることが出来るだろ

う。

 沢山の詩人が訪れて、彼女達を言葉に変えた。そのどれもに真実と嘘とがあったが、

僕をこんなに優しくした作品は今までに無い。題に挙げたように、僕はここで僕の周囲

にあって蝶のように飛び回る彼女達の素晴らしさを多く書きたかった。結果はどうであ

れ、これからまた僕は、色々な言葉を書く度に、そのどれもが決して僕の為でだけでは

ない事に気づくだろう。それこそ愛すべき彼女達の為のものなのだ。しかし、それがす

べてでも無い。誰もがそうであるように、僕もまた浮気者である。そして彼女達も…。

僕は永遠の葛藤であるこの事実を、再び考えなければならない。それは一人では判らな

いだろう。また二人でも判らないかも知れない。しかし、選ぶべき相手だけは知って

いるつもりだ。<終>1973年

 

      *       *       *       *

 

 高校2年の時の現国の読書感想文のテスト。作者は室生犀星だと判るが、恥かしい事

に題名を失念してしまった。授業中の試験なので時間が無く、後半は何が言いたいのか

分からない内容になっている。要は自分には好きな子がいるよと言うのを回りくどく書

き、本題から外れてしまっている。若気の至りと大目に見てもらいたい。2017年9月

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)21

12.DTM 1993年 2.

 DTMはデスクトップミュージックの略である。文字通り机上でデータさえ打ち込め

ば、ソロピアノからバンド演奏、果てはオーケストラまで録音・再生が機械で出来てし

まうのである。しかも打ち込んだデータは変更可能で、メロの差し替え、強弱、テンポ

音色、エフェクト、転調等々、すべてディスプレイで可視化状態で出来てしまうのであ

る。かってアナログ多重録音で苦労していた時代のことを考えると、まるで夢のような

環境を手に入れたのだった。

 それからというもの、どっぷりDTMに浸り込み、手持ちのオリジナル曲を金曜の夜

から土日は寝食を忘れて殆ど打ち込みを続けた。早く出来上がりを聞きたいからで、

だが、時間は瞬く間に過ぎていく。ついには病が高じて、月曜の朝起きられず会社を

遅刻することも何度かあった。

 唯一やっかいなのは、打ち込み中PCが突然フリーズしてしまう事である。再起動

するしかなく、新たに打ち込んだデータは元に戻ってしまう。これにはこまめに上書き

保存を繰り返す事で対応するしかなく、面倒だが仕方無い。

そうこうしているうちに段々慣れて来て、そうなるとプロの作ったデータを読み込んで

パラメータを解読し参考にしたり、自画自賛ながら私のデータも多少洗練されてきた。

また音源を増設したり、ギター入力する為にギターミディコンバータなるものも購入し

たが、このコンバータはギターマイクの精度が低いのか音飛びがして殆ど使い物のなら

なかった。

 私は5人編成のド下手バンドに入っていて、一応リードギターとキーボードを担当。

専ら演奏技術向上の為スクウェアのコピーと、最終的にはオリジナル曲の演奏を目指し

ているが、なかなか上手くいっていないのが現状である。しかも練習4時間、反省会

(飲み会)6時間だから結果は言わずもがなである。このバンド練習にもDTMはその

力を如何なく発揮して、簡単にデモテープを作り、後は符割した簡易楽譜を配るだけで

新曲をメンバーに伝える事が出来る。

 私としては、みんなでワイワイ演奏するのも好きだし、DTMでじっくりストリング

ス等のアレンジを考えるのも悪くない。ただPCで何でこんな事が出来るのだろう、と

言う謎は未だに解決していない。<終>1993年

 

      *       *       *       *

 

 時はwindows3.1の時代である。このVisionというソフトはWIN95版で終了

してしまい、それをWINmeでだましだまし使っている。システムは健在で、今はも

っと進んだ物があるのだろうが、取り替える気は起きていない。バンドの方はメンバー

一人が早世したこともあり自然解散。一度レコード会社の新人募集があり、オリジナル

2曲のテープと写真を送ったが、審査に時間がかかっているのか、未だに返事が来な

い(笑)。2017年8月 

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)20

12.DTM 1993年 1.

 パソコンで音楽をやろうと思った。これまではシーケンサーという機器を使って、

シンセサイザーやドラムマシーンを自動演奏させていたが、写真等で見るプロの現場

には、必ずと言っていい程マックのコンピュータがあり、それを使い何やらやっている

らしいのだ。

 一方巷ではこれからはWindowsだと言う。せっかく高額な出費をして入手したもの

が、時代遅れの一台になってはたまらない。そうこう悩んでいるうちにVision

という元々マック用シーケンスソフトのWindows版が発売された。しかも日本語だとい

う。フロッピーディスク2枚で5万円近くするが、背に腹は代えられない。しかし支出

はこれだけでは済まなかった。先ずパソコンに通信回路を設ける為、ISAボードに差し

込み入出力するMIDIポートのインターフェースを認識させ、ジェネレーター(音源)

SC88を鳴らさなければならず、入力は多少キーボードが弾けるので既に持っている

DX7を使うこととした。

尚、入力はリアルタイムと、楽器が弾けなくてもステップの二種類が用意されている。

と、書いてしまえば簡単だが、ヤマハMSXやコモドールのMS・DOSを使ったこと

はあったが、本格的なパソコンを触るのも初めてだし、そもそもWindowsの知識は全く

なく、接続作業中はエラーの連続、意味不明な英語のメッセージは出るし、いつまで

たっても音は出ないし、周囲に同じ事をやっている者もいないので、殆ど情報も無い

まま、悪戦苦闘の末、約1か月半かけてようやく設定構築が完了。

 最初に自分が弾いたフレーズを、忠実に再現するのを聴いた時、不覚にも思わず涙ぐ

みそうになってしまった。<続>

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)19

11.中国1996年(南京、武漢、上海)3.

 上海空港から市内へバスで移動中、建設ラッシュの街並み指しながらのガイド氏は、

「中国では高速道路や地下鉄建設に際し、そこに住む者には別の地区に新しい住宅を

用意する。従って移転問題は全く発生せず、住民はかえって喜んでいる。」と説明し

た。

 さずがは中国共産党と思わず納得してしまいそうだが、1995年3月、北京の人民代表

大会に、住み慣れた住居の撤去命令を受けた上海の人達が請願に訪れた事は事実である

し、同年の暮れ以降バブルがはじけ、各開放地区の高層ビルやマンションの価格は急

落、入居者のいないビルも多いという。本年8月には、上海浦東開発地域での大型用地

土地使用譲渡と、新規マンション建設許可が禁止となった。これにより国内投資家は

大打撃を受け、海外投資家は撤退を余儀なくされる。中国は政策を転換したと指摘する

人もいる。

 香港の返還を控え、中国の将来について様々な見方がある。作家であり実業家の永漢

は、1993年の著書「中国人と日本人」で「これからはアジアの時代」と述べ、「中国

経済が大きく発展することは間違いない」と予見していたが、今は悲観的な立場をとっ

ており、また、中国民間経営者の大陸脱出が始まっているという話もある。

 人口・食料問題、開放政策の引き締め、人民の不満。他の共産圏・社会主義国家が、

次々と崩壊していったように中国共産党一党独裁も終わりを告げるのだろうか。それと

もあの天安門事件の如く、再び力をもって現体制を維持するのだろうか。

 しかし現在の中央政府もたかだか五十年足らずの権力者に過ぎず、四千年の歴史の中

勃興し滅んでいった幾多の王朝のひとつと考えれば、中国は気が遠くなるような時を

経てマルクス・レーニン主義ではない、独自の共産主義を確立することがあるかも知れ

ないと思えてくるから不思議だ。そして蘇州の静かな佇まいと運河の賑わいは、その時

になっても何も変わっていないのかも知れない。

 唯、同時代を生きる者として私は、上海バンドを楽し気に歩いていた、あの若いカッ

プル達の将来が少し気がかりではある。<終>1996年

 

      *       *        *        *

  

 二十年前と現在の中国、その間に三度訪れる機会があったが、外観は変わっても本質

に大きな変化は無いように思える。貴方はどう考えるだろうか。2017年7月 

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)18

11.中国1996年(南京、武漢、上海)2.

 今回訪問した各港湾局や公司では皆が、将来、上海を商業の中心とすることは、国の

政策であると異口同音に唱え、今後日本からの合弁の申し入れを期待するといった意味

の言葉を何度も聞いた。そして上海では更に具体的な地区別の開発計画を聞き、それら

の説明を裏付けるかの如く、林立する高層ビル群や建設中の施設も見た。

 そして都市部の大通りは、何処も埃と喧騒の坩堝である。即ち所構わず横断する歩行

者、途切れることの無い自転車の波、警笛を鳴らしまくり、少しでも前へ進もうと無理

な割り込みを行う小型のタクシー。マクドナルド、ケンタッキーといったファストフー

ドの看板が並び、最早、人民服姿は見当たらず、スーツやジーンズ等思い思いのお洒落

をした若いカップルは、当然のように手をつないで歩いている。不思議に思ったのは、

2008年に開催が決まったオリンピックに誰も興味を示さない事だ。「あれは北京が

やる事」という理由で、まるで別の国の話のようだ。「北京は政治、上海は商業」と

いう棲み分けが成されていると言ってよい。それより長江上流に建設される三峡ダム

方が重大な関心事で、本来、発電を目的としているが、水位が安定し内陸部まで大型船

が航行出来るようになると言う。

 確かに「改革・開放政策」は促進されている感はある。しかし一方、立派なビルの裏

手には、あばら家が立ち並び、駅や名所旧跡等、人の集まる場所には必ず大勢の物乞い

がいる。恐らく「民工潮」と呼ばれる農村部から流入する膨大な数の人達の一部なのだ

ろう。

 「改革・開放政策」により都市部の開発は進んだが、農村部との深刻な所得格差が

生じたという。農民は十倍の所得を求め出稼ぎに行き、田畑は放置され砂漠化が進む。

公称12億の人口を抱える中国の食糧危機は誰もが指摘するところである。<続>

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)17

11.中国1996年(南京、武漢、上海)1.

 宮本輝著「血脈の火」には、戦後間もない大阪中之島の情景=焼玉エンジンのポン

ポン船が、石炭や生活物資を積んで川を行き来する様=が描写されている。そのイメー

ジを容易に思い浮かべることが出来るようになったのは、蘇州の運河を航行する艀の

船団を目の当たりした後である。曳船の舳先には長い竹竿を操る女性が立ち、幾重にも

輻輳する船舶や、迫る河岸を巧みに回避してゆく。「蘇州夜曲」の曲調そのままの長閑

で美しい風景の中、運河の交通だけは時の流れを通常の速度で刻んでいるかのようだ。

 この度は、昨年の韓国に続き研修の一員として、南京、上海から武漢まで長江流域

を訪問する好機に恵まれた。以下はそのとりとめの無い雑感であるが、こうして文章を

書き始めようとする時、外国、特に距離的に近く、歴史的にも日本と関係の深い国に

ついて実際には何も知らない事に、改めて気付かされる。これは唯、私個人の国際感覚

に対する意識の低さに起因する事は言うまでもない。

 「世界のどこと比べても、より多くの人間ドラマがあり、検証出来る事実はより少な

い」と言われる国、中国はやはりよく分からない。

 

 7年前、天安門事件。あの時、全世界で多くの人々が、中国は思わぬ方向に進んで

しまったと考えたはずだ。「中国人は中国人を撃たない」に反し、北京市民と言葉が

通じない地方の軍隊投入後の状況を伝えるテレビ映像を見た時、私自身も大きな衝撃を

受けた事を覚えている。

 一方、市場経済導入後の「二十一世紀は中国の時代」に代表される中国フィーバーは

既に設立された合弁会社の多くが、税制の変更、突然の労働者の賃上げ要求といった

問題を抱えている現実がありながら、日本をはじめ世界の企業が経済進出という形で

続行中である。片方で力による独裁支配、もう一方は改革・開放政策。ここに矛盾は

無いのだろうか。<続>