緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)19

11.中国1996年(南京、武漢、上海)3.

 上海空港から市内へバスで移動中、建設ラッシュの街並み指しながらのガイド氏は、

「中国では高速道路や地下鉄建設に際し、そこに住む者には別の地区に新しい住宅を

用意する。従って移転問題は全く発生せず、住民はかえって喜んでいる。」と説明し

た。

 さずがは中国共産党と思わず納得してしまいそうだが、1995年3月、北京の人民代表

大会に、住み慣れた住居の撤去命令を受けた上海の人達が請願に訪れた事は事実である

し、同年の暮れ以降バブルがはじけ、各開放地区の高層ビルやマンションの価格は急

落、入居者のいないビルも多いという。本年8月には、上海浦東開発地域での大型用地

土地使用譲渡と、新規マンション建設許可が禁止となった。これにより国内投資家は

大打撃を受け、海外投資家は撤退を余儀なくされる。中国は政策を転換したと指摘する

人もいる。

 香港の返還を控え、中国の将来について様々な見方がある。作家であり実業家の永漢

は、1993年の著書「中国人と日本人」で「これからはアジアの時代」と述べ、「中国

経済が大きく発展することは間違いない」と予見していたが、今は悲観的な立場をとっ

ており、また、中国民間経営者の大陸脱出が始まっているという話もある。

 人口・食料問題、開放政策の引き締め、人民の不満。他の共産圏・社会主義国家が、

次々と崩壊していったように中国共産党一党独裁も終わりを告げるのだろうか。それと

もあの天安門事件の如く、再び力をもって現体制を維持するのだろうか。

 しかし現在の中央政府もたかだか五十年足らずの権力者に過ぎず、四千年の歴史の中

勃興し滅んでいった幾多の王朝のひとつと考えれば、中国は気が遠くなるような時を

経てマルクス・レーニン主義ではない、独自の共産主義を確立することがあるかも知れ

ないと思えてくるから不思議だ。そして蘇州の静かな佇まいと運河の賑わいは、その時

になっても何も変わっていないのかも知れない。

 唯、同時代を生きる者として私は、上海バンドを楽し気に歩いていた、あの若いカッ

プル達の将来が少し気がかりではある。<終>1996年

 

      *       *        *        *

  

 二十年前と現在の中国、その間に三度訪れる機会があったが、外観は変わっても本質

に大きな変化は無いように思える。貴方はどう考えるだろうか。2017年7月 

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)18

11.中国1996年(南京、武漢、上海)2.

 今回訪問した各港湾局や公司では皆が、将来、上海を商業の中心とすることは、国の

政策であると異口同音に唱え、今後日本からの合弁の申し入れを期待するといった意味

の言葉を何度も聞いた。そして上海では更に具体的な地区別の開発計画を聞き、それら

の説明を裏付けるかの如く、林立する高層ビル群や建設中の施設も見た。

 そして都市部の大通りは、何処も埃と喧騒の坩堝である。即ち所構わず横断する歩行

者、途切れることの無い自転車の波、警笛を鳴らしまくり、少しでも前へ進もうと無理

な割り込みを行う小型のタクシー。マクドナルド、ケンタッキーといったファストフー

ドの看板が並び、最早、人民服姿は見当たらず、スーツやジーンズ等思い思いのお洒落

をした若いカップルは、当然のように手をつないで歩いている。不思議に思ったのは、

2008年に開催が決まったオリンピックに誰も興味を示さない事だ。「あれは北京が

やる事」という理由で、まるで別の国の話のようだ。「北京は政治、上海は商業」と

いう棲み分けが成されていると言ってよい。それより長江上流に建設される三峡ダム

方が重大な関心事で、本来、発電を目的としているが、水位が安定し内陸部まで大型船

が航行出来るようになると言う。

 確かに「改革・開放政策」は促進されている感はある。しかし一方、立派なビルの裏

手には、あばら家が立ち並び、駅や名所旧跡等、人の集まる場所には必ず大勢の物乞い

がいる。恐らく「民工潮」と呼ばれる農村部から流入する膨大な数の人達の一部なのだ

ろう。

 「改革・開放政策」により都市部の開発は進んだが、農村部との深刻な所得格差が

生じたという。農民は十倍の所得を求め出稼ぎに行き、田畑は放置され砂漠化が進む。

公称12億の人口を抱える中国の食糧危機は誰もが指摘するところである。<続>

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)17

11.中国1996年(南京、武漢、上海)1.

 宮本輝著「血脈の火」には、戦後間もない大阪中之島の情景=焼玉エンジンのポン

ポン船が、石炭や生活物資を積んで川を行き来する様=が描写されている。そのイメー

ジを容易に思い浮かべることが出来るようになったのは、蘇州の運河を航行する艀の

船団を目の当たりした後である。曳船の舳先には長い竹竿を操る女性が立ち、幾重にも

輻輳する船舶や、迫る河岸を巧みに回避してゆく。「蘇州夜曲」の曲調そのままの長閑

で美しい風景の中、運河の交通だけは時の流れを通常の速度で刻んでいるかのようだ。

 この度は、昨年の韓国に続き研修の一員として、南京、上海から武漢まで長江流域

を訪問する好機に恵まれた。以下はそのとりとめの無い雑感であるが、こうして文章を

書き始めようとする時、外国、特に距離的に近く、歴史的にも日本と関係の深い国に

ついて実際には何も知らない事に、改めて気付かされる。これは唯、私個人の国際感覚

に対する意識の低さに起因する事は言うまでもない。

 「世界のどこと比べても、より多くの人間ドラマがあり、検証出来る事実はより少な

い」と言われる国、中国はやはりよく分からない。

 

 7年前、天安門事件。あの時、全世界で多くの人々が、中国は思わぬ方向に進んで

しまったと考えたはずだ。「中国人は中国人を撃たない」に反し、北京市民と言葉が

通じない地方の軍隊投入後の状況を伝えるテレビ映像を見た時、私自身も大きな衝撃を

受けた事を覚えている。

 一方、市場経済導入後の「二十一世紀は中国の時代」に代表される中国フィーバーは

既に設立された合弁会社の多くが、税制の変更、突然の労働者の賃上げ要求といった

問題を抱えている現実がありながら、日本をはじめ世界の企業が経済進出という形で

続行中である。片方で力による独裁支配、もう一方は改革・開放政策。ここに矛盾は

無いのだろうか。<続>

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)16

10.韓国1995年(釜山、慶州、ソウル)4.

5. ヒロインはショートの茶髪

 その国の文化を知るひとつの方法は、地元のテレビ番組を見ることである。という訳

で、夕食後はホテルの部屋で一人テレビを見て過ごした。5局程の国内放送の他、CN

NとNHK衛星2局が映る。同じ様な顔形をしているのに、言葉も文字も全く理解出来

ない。やはりこれはかなりショックを受ける。それでもめげずにチャンネルを回し続け

た。

 日本で言うワイドショー的なものあり、夕方は子供向けアニメ、コンピュータゲーム

とクイズを組み合わせた番組、そしてドラマ。赤縁のメガネをかけたイヤミそうな姑と

「冬彦さん」風気弱そうな青年。茶色に染めたショートカットの若い女性。直観的に

これは韓国のミポリンだなと決め付ける。フーミン似の間抜け顔のネエチャン等も出て

きて、ボディコン・スーツを纏い颯爽とオフィス街を歩いて行く。「・・・ふむふむ、

これは所謂トレンディードラマだな。」と勝手に納得しながら、更にチャンネルを回す

と、ニュース番組をやっている。男女一名ずつ司会者がいて、時折レポーターも登場

する、そう言えばニュースキャスター達も含め、女性は結構茶髪が多い。言葉は理解

出来ないが、どれも日本のテレビで見慣れた光景である。

 韓国では日本の大衆文化(映画、歌謡曲、漫画、週刊誌等)の流入を規制していると

いうが、通勤途上に購読するスポーツ紙、ストレス解消のカラオケやゴルフ、アニメの

キャラクターに至るまで、日本のそれを原型ないしは媒介型にするものも多い。中には

著者名を隠し、いかにも韓国製であるかのような体裁の劇画が販売されているというと

の事。それでいて韓国は一般的に、かって日本に文化を伝授してきたという優位性を

誇りにし、日本は単に外国文化をごちゃ混ぜにコピーした文化であるから尊敬出来ない

という立場に立っているのだそうだ。

 テレビのコマーシャルも賑やかである。やはりご当地もマルチメディアブームなのか

、最近日本でも見るサムソンのパソコンのCMが目を引く。意味不明のハングル文字の

後に95とある。この一文字は絶対「窓」という言葉だと、またしても決め付けてし

まった。

 

6. 違和感の行方

 自然環境、歴史、文化が異なる外国に対し、我々は多くの部分で違和感を覚える。

肌の色、言語、思想、作法等々。今回初めて韓国へ行き、確かに日本と異質なものを

感じ、戸惑う部分も多くあった。不適切な例えかも知れないが、これがアフリカ辺り

のあまり馴染みの無い国であれば、その違和感を当然のこととして受け止めるはずで

ある。そういった意味では、韓国とは関係が深く、顔形が似通っているが為、つい

日本人と同じような民族だろうと考えてしまう。また更には、同じでなければならない

と思い込む。しかし現実は多くの類似性と異質性を持った民族なのであり、その違い

だけをとらえてそれが韓国であると表象し、ましてや劣っているとかけしからんと

言うのは間違った態度であると考える。何故ならば日本は世界の模範国家でもなく、

韓国が日本的に変わらなければならない理由など何処にも無いからだ。

 結局「正しい歴史認識」についての知識は相変わらず何もない。ただ今回韓国へ

行くにあたり、韓国に関する書物を数冊目を通しただけではあるが、例えば日本人に

とっては「前の世代の不幸な過去」であっても、先祖からの脈々とした血族意識を

尊ぶ韓国人には「子孫が負うべき先祖の罪からの逃避」としか写らないであろうこと

が、おぼろげながら認識できるような気がする。要は相手を知る事から始めなければ

ならないということだろうか。その意味でも、やはり「百聞は一見に如かず」である。

<終>1995年

 

      *      *      *      *      *

 

 一応オフィシャルな個人感想文であった為、随分ソフトな内容になっている。現在

の私は韓国に対し、もっと過激な考えを持っているが、亡父の影響だろうか?

 尚、手元に無かったこの原稿が印刷された冊子を送付して下さった事務局のT女史

に深謝申し上げる。2017年6月

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)15

10.韓国1995年(釜山、慶州、ソウル)3.

3. 冷たい?店員

 研修旅行中の食事は幾分キムチの臭いに閉口したものの、基本的には何でも食べられ

る体質が幸いし事なきを得た。ただ気になったのはレストランの店員がどうも冷淡と

いうか、所謂愛想が無いことである。別に我々が「俺は客だ」という態度をとったつも

りはないのだが、例えば何かをオーダーしても、返事はないしニコリともしない。かと

言って、ちゃんと物は持って来てくれる。儒教道徳に基づいた「東方礼儀の国」を自負

韓国のイメージとこの現実がうまく結びつかない。この「無愛想」は日本人韓国旅行者

の定番の感想であるという。このことから韓国の礼節は単に形式だとの批判も聞くが、

よく耳にする「年上の人の前で煙草は吸わない。酒を受ける時は横を向いて飲む」に

代表される「孝」の美風とサービス精神は別物なのである。それだけの事であろう。

現地ガイド女史は「韓国はサービスの面で遅れている」という言葉で説明し、レストラ

ンで彼女自身が店員に代わって我々に食器やグラスを配る姿を何度も見た。

 韓国では接待業は賤業であるらしい。古田博司の「朝鮮民族を解く」によれば、接待

業の中でも、特に食堂、床屋、酒場が卑しまれ、さらに食堂は床屋を、床屋は酒場を

蔑むといった序列があり、学校において「サービスをする人への感謝」を教化している

という。私としては賤業についたことが「恨」となって愛想が無くなったのだと短絡的

に考えてしまう部分もあるが、何にでもつい曖昧に微笑む傾向がない事だけは事実であ

る。

 

4. 韓国は家族命?

 現地での移動はすべてバスである。ガイド女史は我々に先ず韓国語の挨拶を教えて

くれた後、韓国についての様々な事を語った。その中で特に印象に残ったのは、男が

非常に大事にされているらしい状況である。韓国では跡取りとしての男子が重要視さ

れ、その為嫁はとにかく男児を出産しなければならない。女の子でも生もうものなら、

姑から露骨に嫌な顔をされ、次は必ず男とのプレッシャーがかかる。極端な話、男が

生まれるまでガンバル傾向にあるという。そして結果として男児が生めなかった嫁は

悲惨である。離婚されても仕方がないし、夫がよそで子供を作って来ても文句は言えな

い。従って息子を養子に出すなど言語道断の行為なのだ。韓国には確か姦通罪があった

はずであるし、ホンマカイナ?と思うが、ガイド女史は真面目である。

 また同じ姓名同士の結婚は出来ないという。同じ姓が多そうな韓国で、そんな事が

あるのかと不思議に思い調べてみると、確かにあった。ものの本によれば、朝鮮民族

の社会は宗家という男子の単系血族の集合体から成り立っており、先祖発祥の地(本貫

)を冠した同族名で示され=例えば「慶州李」=本貫が異なれば問題は無いが、同族

では結婚出来ない。これは同姓婚の禁止として法律になっているとある。しかも済州島

の高氏、梁氏、夫氏は、先祖が島の三姓穴という穴から同時に飛び出してきたという

神話から同じ宗家だと信じて婚姻しないそうである。そしてロイヤリティの対象は国や

政権よりも、自分の門中にあり、先祖の勲功に多大な関心を示す。

 在日韓国人作家つかこうへいの「娘に語る祖国」にも次のような件がある。「韓国の

おじさんの家には、百科事典みたいに何冊も家系図がありました。出身も慶尚北道

金銘金賀という名家だと、よく自慢していました」

 ちなみに先の男児優遇についての言及は見当たらなかったが、本当なのだろうか。

<続>

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)14

10.韓国1995年(釜山、慶州、ソウル)2.

2. Sleepless night on Camellia

 船での渡航という言葉には、何かしらロマンチックな響きがあるが、別にタキシード

持参、豪華客船の旅という訳でもなく、ましてや数時間の航海である。そして乗船した

途端、船内に漂うキムチの臭いが、我々がこれから何処に向かっているのか、否応なし

に認識させてくれる。

 夕刻出港後、ラウンジにて会食、幸い日本海はベタ凪のようで揺れも無く、各人自己

紹介、余興のカラオケ等、和やかな雰囲気のうちに、初日の夜は更けていった。

 さて四人部屋の一等客室に戻り、就寝しようとするが、空調は音の大きさの割には

一向に効かず、妙に暑い。またベッド幅は狭く、寝返りは左右半回転が限度。そして

二段ベッドの上段には落下防止のベルトが無く、たまにベッドから落ちる私としては

気が気でない。しかし安全ベルトが無いということは、これまで落下事故が無かった

という事であろうし、怪我をして本船や研修団に迷惑をかけ、挙句に笑い者になって

しまう訳にもいかず、これはもう眠らない事にするしかないとの結論に達した。

 しばらく雑誌などを眺めた後、取敢えず明かりを消して目を閉じていると、ロビー

からまるで喧嘩でもしているような声(韓国語なので話の内容は当然判らない)が聞

こえてくる。後で現地ガイド女史から聞いた話によると、韓国の人達は概して議論好き

であり熱し易く、その際、周囲をあまり気にしないとの事。これは日韓異質性論を展開

する学者が、先ず指摘する行動様式の差異のようだ。即ち、

(1) 公開の場で争う。

(2) 争いは原則として一対一で、集団化しない。

(3) 行動が派手である。

(4) 裁定者に当たる者がいない。

(5) 争いはその場で終わり、あとをひかない。

善し悪しは別にして以上の特徴があり、そこが日本とは違うという。呉善花という人の

著作には、これをワサビと唐辛子を引き合いにした面白い表現がある。曰く、「ワサビ

を食べたときの血液は、特に心臓のほうへの偏りを見せる。そのため、鎮静作用が働い

て、精神に落ち着きをもたらしてくれる。一方、唐辛子を食べたときの血液は、ワサビ

の場合とは違って、頭部のほうへ偏りをみせる。それが神経に刺激を与え、血液の循環

をよくすると同時に、精神的に興奮しやすい作用を生み出している。」という。まあ

香辛料のせいだけではないだろうが、深夜に船中であの騒ぎは、違和感と多少脅威すら

覚える。ひょっとしてトイレに行く時に見咎められ、反日感情の標的にされるかも知れ

ないなどと被害妄想に取り付かれ、生理現象をも抑制された眠れぬ夜は果てしも無く

長く続く・・・。

 と言いながら、そのうちウトウトとし始めた時、今度はアンカーを打つガラガラと

いう音で、レム睡眠状態から目覚めた。Good grief !

 朝食後、船はシフトを開始し、我々はデッキに立って港の説明を受ける。幾分風は

冷たいが、朝の陽光に輝く街並みと背後に迫る山々を一望にしながら、世界第五位の

コンテナ扱い量を誇る釜山へ入港して行くのは、なかなか気持ちがいいものだった。

<続>

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)13

10.韓国1995年(釜山、慶州、ソウル)1.

 確かに「百聞は一見に如かず」の言葉の通り、現地に赴き、その国の空気を体感

することは、何にもまして得難い経験である。以下はある研修に参加し、初めて

韓国へ行った取り留めのない雑感である。

 

1. 韓国のイメージ

 多分生まれ育った時代、環境のせいだろうと思うが、私の父親はある種の、そして

その年代の日本人にはありがちな人種差別主義者である。かって私は成長過程の必然

として反抗期に突入し、その結果、朝鮮半島に住む人々に個人的には何の義理も恩義

も無いはずなのだが、彼が否定(理論だてて説明するのでは無く、単に見下した言い方

をするだけだ)するものを、逆に擁護し肯定しなければいけない立場になってしまう。

 ところで話は若干逸れるが、朝鮮半島という言い方はどうも正式ではないらしい。

あの半島は王朝名が変わるとともに地域名も変わり、現在はというと、大韓民国と朝鮮

民主主義人民共和国に分かれているが、この両者を総称する地域名は無いそうなのだ。

そして「韓」と「朝鮮」はいずれも半島全体を指す名前であり、両者はそれぞれそこに

於ける唯一の正統性を主張している。従って韓国ではここを韓半島と呼び、片割れの国

北韓という。これに対し北側の国では、それが朝鮮半島南朝鮮となる。この問題は

両国が統合される日まで解決しないもののようである。

 さて、反抗期の私としては、唯その蔑視や偏見をいわれのないものとして否定したに

過ぎず、私の父親世代に言わせれば、逆に充分いわれのあることとの認識であったかも

知れない。

 私が辛うじてリアルタイムで記憶する韓国という国の認識は、李承晩ライン(韓国

では平和線)により、日本の漁船が頻繁に拿捕されたというテレビのニュースに始まっ

た。学校教育では、秀吉の朝鮮出兵西郷隆盛の征韓論あたりで時間切れとなり、日韓

併合や太平洋戦争前後は素通りして終わってしまった。その後の金大中事件、朴大統領

暗殺事件、ソビエト空軍の大韓航空機撃墜事件、韓国陰謀説があった金賢姫事件、ソウ

ルオリンピックボクシング会場の乱動事件等々、結果的に悪い印象を伴った「不可解な

イメージ」が残っていることは事実である。これは日本にいて一方的に与えられた情報

によってのみ形成されたものに間違いはないが、今にして思えば、その情報が偏向して

いたと言うより、情報が提供されている時に、我が家には変なニュース・キャスターが

がいたせいもあるなと考えたりもしている。

 昨今、我国では、度々問題発言が取り沙汰され、諸外国からは「正しい歴史認識」を

求められている。太平洋戦争前後に、日本人がした事、朝鮮人がした事の殆どを私は

知らないし、多くの日本人がそうであろうと思う。「不幸な過去」という意味不明の

言葉と、韓国では日本は好かれていないという漠然とした認識だけを持って、韓国研修

が始まった。<続>