緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)29

18.干支に因み~「PEANUTS」の魅力(1)

 かなり遅ればせながら、謹賀新年。

 早速だが、「ピーナッツ」と聞き、何を思い浮かべるだろうか。炒ったり茹でたり

して、ビールのつまみに合う落花生のことだろうか。私がこれから書きたいのは、もし

かしたらスヌーピーと言った方が分かり易いかも知れない。そう、あの二足歩行可能な

ビーグル犬が登場するコミックのタイトル「ピーナッツ」の事なのだ。

 このコミックとの出会いは中学生の頃まで遡る。それは同級生の女子が校内文集に

書いた読書感想文を読んだ時の事だった。その生徒は物静かで、私は直接会話した事

など殆ど無かったが、相当な読書家だという話は聞いており、その読書家が敢えて漫画

の感想文を書くギャップに興味を持ったのだ。

 私はそれまでマンガという物を殆ど読んだ事が無く、(もっともテレビでエイトマン

やスーパージェッター、また魔法使いサリー等は見ていたが)いわゆる少年マンガ雑誌

は親も買ってくれなかったし、特に読みたいとも思わなかった。 それでもその時私は

近所の比較的大きな書店で、試しに「ピーナッツ」を1冊購入して来た。新書サイズで

冒頭に主な登場人物の簡単な紹介、そして各ページ四コマ漫画が並び、吹き出しの中に

は詩人の谷川俊太郎氏の訳文、欄外に本来の英文が表記されている。先ず分かった事

は、このコミックの主人公はスヌーピーでは無く、その飼い主であるチャーリーブラウ

ンだという事だ。

 さて、そのコミックの内容はと問われれば最初の数ページを読んだ段階では、はっき

り言って、あまりピンと来なかったと言うのが実際のところだった。勿論、初めて目に

するのであり、その背景も何も分からない状況なので仕方無いと思うが、折角買ったの

だし、なんと言っても稀代の読書家ご推奨の漫画なので、そのまま読み続けた。

 読み進んでいるうちにある事に気づいた。谷川氏の翻訳は原文とは結構違う部分が

あるのだ。尚、私は小学校低学年の頃、姉の英語の家庭教師に週一回、約15分程指導

を受けその後高学年になると、ラジオで聴いたサイモン&ガーファンクルにハマって、

レコードを購入、歌詞カードを見ながら、ポールサイモンの才能に驚愕し、また美しく

心地よい韻の踏み方など学んで、学校の成績は別にして英語は好きな言語だった。

従って「ピーナッツ」の訳文も、最近で言う超訳に近いものがあると一人勝手に納得、

日本でこれだけ支持されたのも、詩人である谷川氏の力に寄るものも大きいと今でも

思料している。

 取敢えず最後まで読み切ると、このコミックの性格がおぼろげながら理解出来たよう

な気になっていた。

その結果どうなったか。結論から言うと、私はこのコミックのシリーズを次々と入手し

始めたのだ。<続>

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)28

17.留萌の思い出

 2017年もいよいよ年の瀬。今月に入って「この冬一番の寒さ」とメディアが報じ

る日が続き、ここに来て強力な冬型の気圧配置、所謂「爆弾低気圧」が北日本から日本

海側を覆った。その中で留萌港の灯台が殆ど跡形もなく破壊されたニュースが目を引い

た。「積丹半島以北は11月を過ぎると日本ではなくなる」と聞いた事はあるが、それ

だけ自然条件が厳しいという意味だろう。テレビで地元の人が「灯台がもげた。」と

言っていた。余程激しい風と波浪があったに違い無い。

 かれこれ数十年前、私は留萌を初めて訪問した。主たる目的は港湾施設の見学と関係

各所への挨拶で、現地の人達は20代の無知な若僧を歓待してくれた。その時、北海道

は記録的な猛暑で、タクシーを含め一般車の殆どが冷房を装備していない状況に閉口

しながら、スケジュールを消化していった。留萌港の入り口付近の岩場には、座礁した

石炭専用内航船の錆びた残骸があり、波に洗われている哀れな姿が印象に残った。

 北海道の日没は早い。夕食は由緒ありそうな古い料亭に案内されたが、座敷に入って

驚いた。昼間会った人とそうではない人、合わせて十数名が拍手をもって迎えてくれた

のだ。私は深々と頭を下げ、すすめられるままに上座に座り、長老の挨拶の後、慣れな

い感謝の言葉を述べ宴会は始まった。後から聞いた話だが、ご当地では遠来の客が来る

と、大勢が集まって酒席を設けるのが習わしだったそうだ。もしかしら海事関係だけか

も知れないが。

 宴は進み、いよいよメインの登場である。「蛸しゃぶ」だった。大きな銅鍋に日本酒

をたっぷり注ぎ、温まったところでぬめりを取ったスライスの生蛸をしゃぶしゃぶして

紅葉卸のポン酢で頂く。私は勿論初めての経験で、味はともかく物珍しさで結構食し

たが、その頃には部屋中、酒の匂いが漂っていた。

 ようやく宴会が終了し、年配の方々が帰るのを見送っていると、残った船舶代理店の

人達から「ちょっとキャバレーに行きましょう。」と誘われた。私はてっきり風俗店

だと思い、必死に固辞したが結局行く事になった。ところが着いてみれば、これまた

古い建物で中に入ると広いダンスホールのある所謂昔のグランドキャバレーだった。

私はひとまず安心したが、それから先の事は殆ど覚えていない。唯一つ、留萌港では

水先案内人(パイロット)は代々青函連絡船の船長OBが務めて来たが、最近はなり手

がいないと嘆いていたのは妙に記憶に残っている。確かに冬場、荒天の時、小さな通船

からジャコップ(縄梯子)で外航船に乗下船するのは危険だし、特に温暖な地域の住民

で、ある程度地位のある人が敢えて留萌まで移り住む事は考え辛い。この問題は解決

したのだろうか。翌日、私は次の目的地、小樽へ移動した。

 その後、10年程して私は再び留萌を訪問した。その時も大勢で歓待して貰ったが、

さすがにあのグランドキャバレーは閉店したようだった。更に時を経て、留萌が関係

する商談が決定した時、現地と連絡を取った若い担当が、先方が私の名前を知っている

と、驚いて報告に来た。

 以上が「灯台がもげた」というニュースで思い出した事を書いたものである。

(2017年12月)

 

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 今回は珍しく書き下ろしです(笑)。昨年11月に立ち上げたこのブログもアクセス

総計約5300。これまでお付き合い下さった方々に改めて御礼申し上げます。

 暫く更新しない間も一日に2~3件の閲覧があると、𠮟咤激励されているような

気がして励みになりました。

 来年も何卒宜しくお願い致します。皆様ご自愛専一に良い年をお迎え下さい。

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)27

16.日本の地方自治の性質 1975年 (2)

 近代民主政治の先進国、イギリスやアメリカにおいて地方自治が発達し、日本では

そうでない事は、歴史的な問題があると考えられる。これは前に「日本に於ける市民

形成の可能性について」で述べた事だが、日本の都市の多くが旧城下町に発する封建

都市であり、その封建体制の中で資本主義が開化し、都市がこの制度と資本主義の結合

関係のうちに発達してきたという事である。

 そして住民の意識自体にも問題があげられる。日本では市民意識がまだ十分に行渡っ

ていないと思われ、特に農村などでは前途に不安を持ちながらも、食糧を自給する強み

がある為、何とか食っていけるという事から、現実を見つめ分析しようとせず、現在の

政策が自分のための政策ではないと思いながら実際の投票行動において、漫然と保守

政党を支持するという傾向が散見される。

 更に何よりも政治的無関心という現在の風潮が問題である。住民の政治的無関心

時として自治の独善的運用に格好の基盤を提供し、時として象徴的操作の絶好な対象

を形成していることになる。従って住民の政治教育が必要となるが、これは住民個人

が日常生活の中で学んでゆく事が重要である。冒頭のブライスの「地方自治は民主主義

の最良の学校である」という言葉は正にその通りなのである。しかし自治振興の道は

理念ばかり説くのではなく、住民との精神的距離を無くさなければならない。それには

先ず役所の窓口が住民の要望を満足させられるサービス精神に溢れ、議会の討論が家庭

的親近感で参加できるような形が望まれる。その意味でもイギリスの地方自治をより

見習うべきと思料する。

 日本はいわゆる島国根性で、狭い郷土意識、部落意識が残っており、「地元の為に」

という論理で代表を選ぶ態度が一般的であり、地域社会の発展が周辺社会に対して調和

ではなく、軋轢しかもたらさないということもしばしばある。従って地方自治は閉ざさ

れた社会から、より近代的な開かれた社会への転換を図るべきである。<終>

 

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 ソメチメス25「日本に於ける市民形成の可能性について」と同様、地域社会学

レポート。どちらも内容がタイトル負けしている感は否めない。2017年12月

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)26

16.日本の地方自治の性質 1975年 (1)

 イギリスの政治学ブライスは「地方自治は民主主義の最良の学校である」と述べ

た。これは地方の政治を理解しながら同時に国の政治を理解するきっかけを掴むこと

が出来るという意味であるが、戦前の日本では形の上では地方自治が行われてはいた

が、基本的には強大な中央権力の統制下にある中央集権主義がとられていた。即ち、

明治憲法には地方自治に関する規定は無く、明治21年に市制・町村制、同23年に

府県制・郡制が定められながらも、国の監督権は極めて高く、府県知事は任命制で

内務大臣の監督下にあった。しかも大正8年迄は等級差別選挙(納税額によって票に

等級をつける)が行われ、また、明治32年迄は府県も間接選挙制であり、いわゆる

健全な民主政治の発展を妨げていた。戦後になって地方自治は、ドイツのロージン流

理念型に従えば、国の変位に基づいて団体自治から住民固有の権利とする人民自治

への転形、議会権限の強化、公選原則の徹底、参政権の拡大、住民請求制度の創設、

各種行政委員会制度の導入など、確かに自治制度外形は大幅に革新された。しかし、

制度の実態は必ずしもそうであるとは言い切れない。即ち、行政官僚、地方公務員、

地方住民の意識構造には革新と言われる程の大変革は生じていないと思われるので

ある。地方自治体の固有財源はそれほど多くなく、国庫補助金等によって財政面が

成り立っている為、自主性に欠ける面も散見される。従って公営ギャンブル等に

よって財政を賄い、賭博のテラ銭が純正なるべき教育の費用となってきたりしている

ことが正当化されるという矛盾さえ引き起こしている。<続>

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)25

15.日本に於ける市民形成の可能性について 1975年

 日本は明治維新により封建社会から近代社会への道を歩み始めた。そしてその後、

日本の資本主義的発展は、驚異的なスピードで進められてきたのだが、その背景には

農業と農村があった。何故なら日本の近代化は「農民開放」が徹底的に行われないま

ま始められ、富国強兵をスローガンに農業と農村の特性の上に進められていった。

例えば、日本の産業が農民を世界的な低賃金で利用した事、また不況の際の失業も

農家に於ける家長的家族制度が、都市に働く人々の生活を何等かの形で生まれ故郷

の生家に繋ぎ止めておいた為、大きな混乱は起こらなかった。そして、都市に於ける

下層労働者の生活不安や農村に於ける小作貧農の窮乏といった問題は、明治後半期

以後の国家主義的教化の徹底、即ち最下層の人も最上層の人と同じように天皇の臣民

であるという教えにより、資本主義的階級分化の矛盾を隠してしまった。しかも日本

の主要都市の多くは旧城下町に端を発する封建都市であり、西欧では市民革命によっ

て近代都市が発達し、またアメリカでは封建時代が無かった為、未開発地から都市が

発達したのに対し、日本では封建体制に根を下ろして発達したのである。

従って日本は、工業化の進展に伴う都市の発達にもかかわらず、住民が信民としての

権利意識を自覚し、地域社会や地方政治に関心を寄せ、生活の確保や向上を目指すと

いう「市民形成」は見られなかった。しかも、そのような意識は危険思想として却っ

て弾圧さえされたのである。戦後に於いてもその傾向は見られ、未だに自治意識が

理念やイデオロギーの問題とすり替えられるところに日本の後進性があると思われる

が、それでも市民形成は少しずつ進んでいる面もある。

 都市住民の多くは地方出身者であるが、前に述べたように明治時代にあっては都市

住民にとって農村は帰るべき所であり、帰られる所でもあった。都市は一時的な滞留

の地、つまり労働の場であり生活の場ではなかったのである。ところが大正に入って

から、都市移住者は長期にわたって都市に居住し農村も変化してきた為、移住者が

再び農村に戻って生活する事は困難になってきた。しかし、それでも農村が生活の

拠点であり、心の軸であると考える傾向は強く残っていた。

しかし戦後の昭和30年頃には、いわば家郷喪失という状態が起こってきた。その

原因は、農村が都市と異なった世界ではなくなった為、移住者達は心の軸としての価値

を農村に求める事が出来なくなったのである。これにより都市が労働の場であり、生活

の場でもなければならないという意識が台頭してきた。そしてそれは生活基盤、生活

環境の問題を媒介して、市民意識として捉えられるようになったと言える。しかし、

それだけでは未だ充分とは言えない。例えば地方選挙に於ける高い投票率が直ちに自治

意識の高水準を示すものではなく、都市に於ける意識の高さを誇る文化族の棄権率も

自治にとっては危険な兆候である。

このように、地域住民にとっては今なお民主的な主権者としての自覚が充分ではない

ことも事実であり、しかしその中でも市民社会の市民として、どの地域社会に住もうと

そこに永住の意志の有無にかかわらず、その地域社会と自発的共同によって向上せしめ

ようとする態度もまた、大都市近郊において特に形成される可能性が強いことも事実で

あると思われる。<終> 1975年

 

      *      *      *      *      *

 

 大学1年の時、地域社会学のレポート。結局、結論は何なのか不明(笑)。

 

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)24

14.めもらんだむ 1978  2.

 彼女の髪は相変わらず長かったし、肌は透き通るように白かった。そして微笑んだ

時の瞳も未だあどけないままだった。僕の記憶の中にある和子は、すべて美しく可愛い

らしかった。

「おめでとう。」とひとこと言い僕は笑ってみせた。「ありがとう。」と和子もぽつり

と答えた。あまりにも取って付けたようなその会話は、僕を苦笑させた。『僕はいつも

そうだった。どんな事を聞かされても、驚くということは無かった。入院していた父親

が急死したという電話を受けた時も、茫然としている家族の中で一人冷静でいられた。

大学の同級生の秋山が自殺した時も何かショックを受けることは無かった。そして今、

最愛の人である和子が結婚すると聞いても、平気で笑っていられる。僕は余程鈍いか

冷たい人間かも知れない』

 二日後、僕は披露宴の招待状を受け取った。「佐藤 進」それが和子の相手の名で

あった。「全然ハンサムじゃないのよ。」と和子は幸せそうに笑って言っていた。

『佐藤 和子か…。」僕はそう呟いてみた。確かに僕は将来、彼女が島崎 和子となる事

を望んでいた。しかし僕はまだ大学生だし、彼女は短大を卒業したばっかりで、とても

具体的に結婚について話し合う状況では無かった。『君は夫の為に朝食を作り、会社へ

送り出すだろう。そして洗濯や掃除をして一人昼食を食べるだろう。その後夕食の献立

を考え、買い物に出かけるだろう。道で近所の住人と出会って、当たり障りのない世間

話をするだろう。そして夕方夫から、今から帰るという電話を受けて、食事の支度を

始めるだろう。それが済むと後は夫を待ってテレビか雑誌を見ているだろう。やがて夫

が帰ってくる、君は幸せそうな笑顔で迎えるだろう。そうやって和子の一日は繰り返さ

れ、時期が来れば、夫の実家である旅館の若女将になるのだろう。』招待状の活字を

見ながら、僕はそうやって考えを巡らせ、一度も彼女に好きだと言わなかった事を思い

出した。『しかし、和子はそれを分かっていたはずだ。』僕は最早取り返しのつかない

遠い所に彼女が行ってしまった事は十分理解しているつもりだった。映画の主人公の

ように、彼女を式場から奪い去ることなど出来ないし、かといって借りてきた猫のよう

に、おとなしくテーブルについていることも耐えられそうにない。

結局僕は、欠席で葉書を返送した。そしてそれから今日まで、心にぽっかり穴が空いた

まま、時が過ぎるのをじっと待っていたのだ。考えてみたら彼女について、僕の知らな

い事は沢山あったし、聞きたい事も幾つもあった。今こうして一人彼女の面影を思い

浮かべると、突然目頭が熱くなるのを覚えた。それでも僕が彼女を愛している事に変わ

りは無いし、彼女も心の奥深い所で僕を愛してくれたのだろうと信じる。

 行き場の無い苛立ちは消え、僕はまた書きかけの小説の続きに戻った。そして欄外に

一言書き込んだ。

「佐藤 和子に幸多かれと祈る。」(終)1978年

 

      *      *      *      *      *

 

 私は大学生の頃、福永武彦の著作が好きで、何とか自分でもその様な文章を執筆出来

ないかと、次々と雑文を書きなぐっていたが、如何せんレベルの次元が違い過ぎ、読み

返しては自己嫌悪に陥っていた。この駄文もその一つ。2017年10月

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)23

14.めもらんだむ 1978 1.

 僕は今日も学校に行かなかった。所謂自主休講である。昼近くまで寝ていたのを、

間違い電話で起こされて、することも無く一人ビールを飲んで煙草を吸った。少量の

アルコールは、しかし僕を少し酔わせて、意味を成さない幾つかの言葉を呟かせた。

 ー Mama stop!  turn you around.  Go back!  think it over...。It's all over now...。

When you see me, fly away without you...。And I must lean to live without you now...。

どれも歌詞の一節ばかりだ。それをビール片手にボソボソ歌う。「それにしても考えて

みれば、随分酒に弱くなってしまったものだ。大学に入って間もない頃は平気でウイス

キーのボトル1本空けていたのに。」そして僕は、ふと思い立って昨夜から書き始めた

小説を読み直してみた。「しかし、これが何になるのだろう。詩が書けないから、今度

は小説か。安っぽい恋愛小説。過去ばかり振り返る主人公、去って行く女。そうだ女は

去って行く、軟弱で不器用な男から。優しい男、男らしい男、話題が豊富な男、お洒落

な男。僕に言わせれば、どれも白々しいだけだ。もう安田や村井ともこれっきりだ。

彼等の都合のいい時ばかり利用されるのはまっぴらだ。下らない冗談に相づちを打っ

て、大袈裟に笑い転げるなんて…。」しかし僕を苛立たせている本当の理由はそんな事

ではなかった。「そう、今日は和子の結婚式の日だった。」僕は再びペンを取って小説

の続きを書き始めた。書けるうちに書けとでも言いたげにペンは走った。

 「私ね、再来月結婚するの。相手は島崎君の知らない人よ。今はサラリーマンだけ

ど、実家が九十九里浜で旅館をやっていて、いずれはそこを継ぐみたい。披露宴には来

てくれるでしょう。あなただけ呼ばないと人が変に思うから。きっと来てね。今日来る

途中、招待状を出したの。」別れ際に出来るだけ平静を装って、和子は言った。<続>