緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)27

16.日本の地方自治の性質 1975年 (2)

 近代民主政治の先進国、イギリスやアメリカにおいて地方自治が発達し、日本では

そうでない事は、歴史的な問題があると考えられる。これは前に「日本に於ける市民

形成の可能性について」で述べた事だが、日本の都市の多くが旧城下町に発する封建

都市であり、その封建体制の中で資本主義が開化し、都市がこの制度と資本主義の結合

関係のうちに発達してきたという事である。

 そして住民の意識自体にも問題があげられる。日本では市民意識がまだ十分に行渡っ

ていないと思われ、特に農村などでは前途に不安を持ちながらも、食糧を自給する強み

がある為、何とか食っていけるという事から、現実を見つめ分析しようとせず、現在の

政策が自分のための政策ではないと思いながら実際の投票行動において、漫然と保守

政党を支持するという傾向が散見される。

 更に何よりも政治的無関心という現在の風潮が問題である。住民の政治的無関心

時として自治の独善的運用に格好の基盤を提供し、時として象徴的操作の絶好な対象

を形成していることになる。従って住民の政治教育が必要となるが、これは住民個人

が日常生活の中で学んでゆく事が重要である。冒頭のブライスの「地方自治は民主主義

の最良の学校である」という言葉は正にその通りなのである。しかし自治振興の道は

理念ばかり説くのではなく、住民との精神的距離を無くさなければならない。それには

先ず役所の窓口が住民の要望を満足させられるサービス精神に溢れ、議会の討論が家庭

的親近感で参加できるような形が望まれる。その意味でもイギリスの地方自治をより

見習うべきと思料する。

 日本はいわゆる島国根性で、狭い郷土意識、部落意識が残っており、「地元の為に」

という論理で代表を選ぶ態度が一般的であり、地域社会の発展が周辺社会に対して調和

ではなく、軋轢しかもたらさないということもしばしばある。従って地方自治は閉ざさ

れた社会から、より近代的な開かれた社会への転換を図るべきである。<終>

 

      *      *      *      *      *

 

 ソメチメス25「日本に於ける市民形成の可能性について」と同様、地域社会学

レポート。どちらも内容がタイトル負けしている感は否めない。2017年12月

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)26

16.日本の地方自治の性質 1975年 (1)

 イギリスの政治学ブライスは「地方自治は民主主義の最良の学校である」と述べ

た。これは地方の政治を理解しながら同時に国の政治を理解するきっかけを掴むこと

が出来るという意味であるが、戦前の日本では形の上では地方自治が行われてはいた

が、基本的には強大な中央権力の統制下にある中央集権主義がとられていた。即ち、

明治憲法には地方自治に関する規定は無く、明治21年に市制・町村制、同23年に

府県制・郡制が定められながらも、国の監督権は極めて高く、府県知事は任命制で

内務大臣の監督下にあった。しかも大正8年迄は等級差別選挙(納税額によって票に

等級をつける)が行われ、また、明治32年迄は府県も間接選挙制であり、いわゆる

健全な民主政治の発展を妨げていた。戦後になって地方自治は、ドイツのロージン流

理念型に従えば、国の変位に基づいて団体自治から住民固有の権利とする人民自治

への転形、議会権限の強化、公選原則の徹底、参政権の拡大、住民請求制度の創設、

各種行政委員会制度の導入など、確かに自治制度外形は大幅に革新された。しかし、

制度の実態は必ずしもそうであるとは言い切れない。即ち、行政官僚、地方公務員、

地方住民の意識構造には革新と言われる程の大変革は生じていないと思われるので

ある。地方自治体の固有財源はそれほど多くなく、国庫補助金等によって財政面が

成り立っている為、自主性に欠ける面も散見される。従って公営ギャンブル等に

よって財政を賄い、賭博のテラ銭が純正なるべき教育の費用となってきたりしている

ことが正当化されるという矛盾さえ引き起こしている。<続>

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)25

15.日本に於ける市民形成の可能性について 1975年

 日本は明治維新により封建社会から近代社会への道を歩み始めた。そしてその後、

日本の資本主義的発展は、驚異的なスピードで進められてきたのだが、その背景には

農業と農村があった。何故なら日本の近代化は「農民開放」が徹底的に行われないま

ま始められ、富国強兵をスローガンに農業と農村の特性の上に進められていった。

例えば、日本の産業が農民を世界的な低賃金で利用した事、また不況の際の失業も

農家に於ける家長的家族制度が、都市に働く人々の生活を何等かの形で生まれ故郷

の生家に繋ぎ止めておいた為、大きな混乱は起こらなかった。そして、都市に於ける

下層労働者の生活不安や農村に於ける小作貧農の窮乏といった問題は、明治後半期

以後の国家主義的教化の徹底、即ち最下層の人も最上層の人と同じように天皇の臣民

であるという教えにより、資本主義的階級分化の矛盾を隠してしまった。しかも日本

の主要都市の多くは旧城下町に端を発する封建都市であり、西欧では市民革命によっ

て近代都市が発達し、またアメリカでは封建時代が無かった為、未開発地から都市が

発達したのに対し、日本では封建体制に根を下ろして発達したのである。

従って日本は、工業化の進展に伴う都市の発達にもかかわらず、住民が信民としての

権利意識を自覚し、地域社会や地方政治に関心を寄せ、生活の確保や向上を目指すと

いう「市民形成」は見られなかった。しかも、そのような意識は危険思想として却っ

て弾圧さえされたのである。戦後に於いてもその傾向は見られ、未だに自治意識が

理念やイデオロギーの問題とすり替えられるところに日本の後進性があると思われる

が、それでも市民形成は少しずつ進んでいる面もある。

 都市住民の多くは地方出身者であるが、前に述べたように明治時代にあっては都市

住民にとって農村は帰るべき所であり、帰られる所でもあった。都市は一時的な滞留

の地、つまり労働の場であり生活の場ではなかったのである。ところが大正に入って

から、都市移住者は長期にわたって都市に居住し農村も変化してきた為、移住者が

再び農村に戻って生活する事は困難になってきた。しかし、それでも農村が生活の

拠点であり、心の軸であると考える傾向は強く残っていた。

しかし戦後の昭和30年頃には、いわば家郷喪失という状態が起こってきた。その

原因は、農村が都市と異なった世界ではなくなった為、移住者達は心の軸としての価値

を農村に求める事が出来なくなったのである。これにより都市が労働の場であり、生活

の場でもなければならないという意識が台頭してきた。そしてそれは生活基盤、生活

環境の問題を媒介して、市民意識として捉えられるようになったと言える。しかし、

それだけでは未だ充分とは言えない。例えば地方選挙に於ける高い投票率が直ちに自治

意識の高水準を示すものではなく、都市に於ける意識の高さを誇る文化族の棄権率も

自治にとっては危険な兆候である。

このように、地域住民にとっては今なお民主的な主権者としての自覚が充分ではない

ことも事実であり、しかしその中でも市民社会の市民として、どの地域社会に住もうと

そこに永住の意志の有無にかかわらず、その地域社会と自発的共同によって向上せしめ

ようとする態度もまた、大都市近郊において特に形成される可能性が強いことも事実で

あると思われる。<終> 1975年

 

      *      *      *      *      *

 

 大学1年の時、地域社会学のレポート。結局、結論は何なのか不明(笑)。

 

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)24

14.めもらんだむ 1978  2.

 彼女の髪は相変わらず長かったし、肌は透き通るように白かった。そして微笑んだ

時の瞳も未だあどけないままだった。僕の記憶の中にある和子は、すべて美しく可愛い

らしかった。

「おめでとう。」とひとこと言い僕は笑ってみせた。「ありがとう。」と和子もぽつり

と答えた。あまりにも取って付けたようなその会話は、僕を苦笑させた。『僕はいつも

そうだった。どんな事を聞かされても、驚くということは無かった。入院していた父親

が急死したという電話を受けた時も、茫然としている家族の中で一人冷静でいられた。

大学の同級生の秋山が自殺した時も何かショックを受けることは無かった。そして今、

最愛の人である和子が結婚すると聞いても、平気で笑っていられる。僕は余程鈍いか

冷たい人間かも知れない』

 二日後、僕は披露宴の招待状を受け取った。「佐藤 進」それが和子の相手の名で

あった。「全然ハンサムじゃないのよ。」と和子は幸せそうに笑って言っていた。

『佐藤 和子か…。」僕はそう呟いてみた。確かに僕は将来、彼女が島崎 和子となる事

を望んでいた。しかし僕はまだ大学生だし、彼女は短大を卒業したばっかりで、とても

具体的に結婚について話し合う状況では無かった。『君は夫の為に朝食を作り、会社へ

送り出すだろう。そして洗濯や掃除をして一人昼食を食べるだろう。その後夕食の献立

を考え、買い物に出かけるだろう。道で近所の住人と出会って、当たり障りのない世間

話をするだろう。そして夕方夫から、今から帰るという電話を受けて、食事の支度を

始めるだろう。それが済むと後は夫を待ってテレビか雑誌を見ているだろう。やがて夫

が帰ってくる、君は幸せそうな笑顔で迎えるだろう。そうやって和子の一日は繰り返さ

れ、時期が来れば、夫の実家である旅館の若女将になるのだろう。』招待状の活字を

見ながら、僕はそうやって考えを巡らせ、一度も彼女に好きだと言わなかった事を思い

出した。『しかし、和子はそれを分かっていたはずだ。』僕は最早取り返しのつかない

遠い所に彼女が行ってしまった事は十分理解しているつもりだった。映画の主人公の

ように、彼女を式場から奪い去ることなど出来ないし、かといって借りてきた猫のよう

に、おとなしくテーブルについていることも耐えられそうにない。

結局僕は、欠席で葉書を返送した。そしてそれから今日まで、心にぽっかり穴が空いた

まま、時が過ぎるのをじっと待っていたのだ。考えてみたら彼女について、僕の知らな

い事は沢山あったし、聞きたい事も幾つもあった。今こうして一人彼女の面影を思い

浮かべると、突然目頭が熱くなるのを覚えた。それでも僕が彼女を愛している事に変わ

りは無いし、彼女も心の奥深い所で僕を愛してくれたのだろうと信じる。

 行き場の無い苛立ちは消え、僕はまた書きかけの小説の続きに戻った。そして欄外に

一言書き込んだ。

「佐藤 和子に幸多かれと祈る。」(終)1978年

 

      *      *      *      *      *

 

 私は大学生の頃、福永武彦の著作が好きで、何とか自分でもその様な文章を執筆出来

ないかと、次々と雑文を書きなぐっていたが、如何せんレベルの次元が違い過ぎ、読み

返しては自己嫌悪に陥っていた。この駄文もその一つ。2017年10月

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)23

14.めもらんだむ 1978 1.

 僕は今日も学校に行かなかった。所謂自主休講である。昼近くまで寝ていたのを、

間違い電話で起こされて、することも無く一人ビールを飲んで煙草を吸った。少量の

アルコールは、しかし僕を少し酔わせて、意味を成さない幾つかの言葉を呟かせた。

 ー Mama stop!  turn you around.  Go back!  think it over...。It's all over now...。

When you see me, fly away without you...。And I must lean to live without you now...。

どれも歌詞の一節ばかりだ。それをビール片手にボソボソ歌う。「それにしても考えて

みれば、随分酒に弱くなってしまったものだ。大学に入って間もない頃は平気でウイス

キーのボトル1本空けていたのに。」そして僕は、ふと思い立って昨夜から書き始めた

小説を読み直してみた。「しかし、これが何になるのだろう。詩が書けないから、今度

は小説か。安っぽい恋愛小説。過去ばかり振り返る主人公、去って行く女。そうだ女は

去って行く、軟弱で不器用な男から。優しい男、男らしい男、話題が豊富な男、お洒落

な男。僕に言わせれば、どれも白々しいだけだ。もう安田や村井ともこれっきりだ。

彼等の都合のいい時ばかり利用されるのはまっぴらだ。下らない冗談に相づちを打っ

て、大袈裟に笑い転げるなんて…。」しかし僕を苛立たせている本当の理由はそんな事

ではなかった。「そう、今日は和子の結婚式の日だった。」僕は再びペンを取って小説

の続きを書き始めた。書けるうちに書けとでも言いたげにペンは走った。

 「私ね、再来月結婚するの。相手は島崎君の知らない人よ。今はサラリーマンだけ

ど、実家が九十九里浜で旅館をやっていて、いずれはそこを継ぐみたい。披露宴には来

てくれるでしょう。あなただけ呼ばないと人が変に思うから。きっと来てね。今日来る

途中、招待状を出したの。」別れ際に出来るだけ平静を装って、和子は言った。<続> 

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)22

13.愛すべき女学生達

 理由も無いのに立ち止まって、何故だろうなんて考える年頃の彼女達は、きっと僕

の心の中など判りはしないだろうが、でも、その実、何もかも見通しているようで、

時々ハッとさせられるのである。とにかく彼女達は新鮮で、愛らしくて、そんな彼女達

を少女と呼ぶ室生犀星氏にとって、そんな少女の死は小説の最初に述べてあるように、

いたみつくせない美しさとはかり知れぬ悔しさ、そのものであったろう。

 彼女達は一日のうちで、何度となく大人と子供の間を行き来しながら、その奥に、

僕は僕ににとって本当の安らぎあるのだと信じている。だが、どのようにしてその安ら

ぎを感じ取ればいいのだろうか。小説からは可能な答えは何も見いだせない。何故な

ら、それはもう作者にとって関係ない事。彼は父親のように優しく包み込むだけ。そし

て僕はと言えば、明日になると何が起きるのだろうなんて楽しみにしているだけ…。

 僕はいつも口ずさむ歌がある。直訳すると、

     聞いてごらん

     僕のあの娘が笑っているのを

     でも、何故だか教えてくれないよ

     心の奥深くにあることなのだから

彼女達の優しさは誰でも知っている。そしてその不可解な行為も。作者はそれをそのま

まに伝えている。その一つ一つ取り上げるのは物好きな人の任せておけばいいが、悲し

みを感じさせないこの悲しみは一体何だろう。彼女達は死んでゆく。唯、思い出を残し

て。そしてそれに浸りながら、僕は酒を呑むかわりに、泣き続けることが出来るだろ

う。

 沢山の詩人が訪れて、彼女達を言葉に変えた。そのどれもに真実と嘘とがあったが、

僕をこんなに優しくした作品は今までに無い。題に挙げたように、僕はここで僕の周囲

にあって蝶のように飛び回る彼女達の素晴らしさを多く書きたかった。結果はどうであ

れ、これからまた僕は、色々な言葉を書く度に、そのどれもが決して僕の為でだけでは

ない事に気づくだろう。それこそ愛すべき彼女達の為のものなのだ。しかし、それがす

べてでも無い。誰もがそうであるように、僕もまた浮気者である。そして彼女達も…。

僕は永遠の葛藤であるこの事実を、再び考えなければならない。それは一人では判らな

いだろう。また二人でも判らないかも知れない。しかし、選ぶべき相手だけは知って

いるつもりだ。<終>1973年

 

      *       *       *       *

 

 高校2年の時の現国の読書感想文のテスト。作者は室生犀星だと判るが、恥かしい事

に題名を失念してしまった。授業中の試験なので時間が無く、後半は何が言いたいのか

分からない内容になっている。要は自分には好きな子がいるよと言うのを回りくどく書

き、本題から外れてしまっている。若気の至りと大目に見てもらいたい。2017年9月

緒永廣康 「ソメチメス」(sometimes)21

12.DTM 1993年 2.

 DTMはデスクトップミュージックの略である。文字通り机上でデータさえ打ち込め

ば、ソロピアノからバンド演奏、果てはオーケストラまで録音・再生が機械で出来てし

まうのである。しかも打ち込んだデータは変更可能で、メロの差し替え、強弱、テンポ

音色、エフェクト、転調等々、すべてディスプレイで可視化状態で出来てしまうのであ

る。かってアナログ多重録音で苦労していた時代のことを考えると、まるで夢のような

環境を手に入れたのだった。

 それからというもの、どっぷりDTMに浸り込み、手持ちのオリジナル曲を金曜の夜

から土日は寝食を忘れて殆ど打ち込みを続けた。早く出来上がりを聞きたいからで、

だが、時間は瞬く間に過ぎていく。ついには病が高じて、月曜の朝起きられず会社を

遅刻することも何度かあった。

 唯一やっかいなのは、打ち込み中PCが突然フリーズしてしまう事である。再起動

するしかなく、新たに打ち込んだデータは元に戻ってしまう。これにはこまめに上書き

保存を繰り返す事で対応するしかなく、面倒だが仕方無い。

そうこうしているうちに段々慣れて来て、そうなるとプロの作ったデータを読み込んで

パラメータを解読し参考にしたり、自画自賛ながら私のデータも多少洗練されてきた。

また音源を増設したり、ギター入力する為にギターミディコンバータなるものも購入し

たが、このコンバータはギターマイクの精度が低いのか音飛びがして殆ど使い物のなら

なかった。

 私は5人編成のド下手バンドに入っていて、一応リードギターとキーボードを担当。

専ら演奏技術向上の為スクウェアのコピーと、最終的にはオリジナル曲の演奏を目指し

ているが、なかなか上手くいっていないのが現状である。しかも練習4時間、反省会

(飲み会)6時間だから結果は言わずもがなである。このバンド練習にもDTMはその

力を如何なく発揮して、簡単にデモテープを作り、後は符割した簡易楽譜を配るだけで

新曲をメンバーに伝える事が出来る。

 私としては、みんなでワイワイ演奏するのも好きだし、DTMでじっくりストリング

ス等のアレンジを考えるのも悪くない。ただPCで何でこんな事が出来るのだろう、と

言う謎は未だに解決していない。<終>1993年

 

      *       *       *       *

 

 時はwindows3.1の時代である。このVisionというソフトはWIN95版で終了

してしまい、それをWINmeでだましだまし使っている。システムは健在で、今はも

っと進んだ物があるのだろうが、取り替える気は起きていない。バンドの方はメンバー

一人が早世したこともあり自然解散。一度レコード会社の新人募集があり、オリジナル

2曲のテープと写真を送ったが、審査に時間がかかっているのか、未だに返事が来な

い(笑)。2017年8月